第三話 交渉失敗

RSO(Returnee Supporting Organization)、異世界帰還者保護支援機構。

広瀬紗季奈のように異世界へ転移した後に元の世界に帰還を果たした人間を保護し、その社会復帰を支援する組織である。ある独立行政法人を隠れ蓑とした、日本国政府直属機関。


 その存在は異世界転移の実在とあわせて一般には秘匿されており、サキナのように転移に巻き込まれた後帰還した人間にのみ伝えられる。

「で、俺とそこのエイリはRSOのメンバー。広瀬さんが異世界に転移したの検知して、あわてて駆けつけてきたってわけ」

「検知? そんなのどうやって」


 俊樹はエイリを見た。こういう技術関連の質問はエイリの庭だった。


「人間が突然空間から消滅するとなれば、その質量の分だけ、周辺の重力が変動する。それを準天頂衛星で検知する仕組みがあるんだよ」

 エイリはちらりとノートを見て、

「ええと、地学好きの人なら、ジオイドの形状が変化する、って言えば分かるかな?」

 その言葉にサキナが頷いたが、俊樹は聞き流す。別にその内容が分からないとて、使えればよい。


「……まあとにかく、そんな感じで広瀬さんがアッチに行ったのは分かったわけ。で、問題は帰ってくるかどうかだったんだけど」

 俊樹は改めて紗季奈を見た。容姿こそ俊樹の記憶にある、大人しい理系少女のそれであったが、妙に据わった視線と何処となく大人びた雰囲気が今の彼女にはあった。


 彼女の話によればこちらで過ごしたのと同じくらい、あちらの世界でも過ごしたことになるわけだ、精神年齢は既にアラサーだろうからその雰囲気も当然と言えなくもない。


(そういえばさっきの服装、メチャクチャ際どかったけど、どちらかと言うとエロいっていうよりセクシーだったな。別に肉体が歳を取ってるわけでもなさそうなのに。精神的な余裕はああいう妖艶さ、みたいなのにも影響するってことなんかね)


 下世話なことを考えている最中に、不思議なことに気付いた。

「……あれ、そういえばなんで十六年ってきっかり分かったんだ? 向こうでも時間の単位は一緒だったとか?」

「いいえ、ティオミスは一日二十六時間、一年が七百二十日だった」

 そう言いながら、サキナは懐から何かを出した。


「私は、これを見てたから」

「ほお……」


 それはスマートフォンだった。昨年の秋ごろに出た比較的新しいモデルで、待ち受け画面には「2040年4月23日」と表示されていた。

 だが、それはそれでおかしな点がある。それに突っ込んだのはエイリだった。

「え、なんでコレ充電されてんの。その、ティラミス?」

「ティオミス」

「ティオミスには、交流電源とかあったわけ?」

「そんなのあるわけないでしょ。下水すらないような世界だったんだから」


 それなら何故。サキナはその疑問に答えてくれた。

「私は土属性の魔法に適性があって、土や鉱物、地形を自在に操作することができるようになったの。だからその魔法を使って地中の鉱物や元素を組み合わせて、スマホを修理したり電池を作ったり、発電機を作ったりしてた」

 そう言って懐からもう一つ何かを取りだすサキナ。それを見て俊樹は絶句した。


「これは……」


 それは最初に出したのと同じモデルのスマホだった。だが最初のものが新品同様なのに対して、次に出されたものは画面が割れたボロボロのものだった。

「こっちのボロい方が本物。それでこっちは、あたしが魔法で造ったコピー」

 その言葉にエイリは目を丸めた。

「へえ、これは驚いたね。触っても?」

 どうぞ、と言われたエイリが綺麗な方を手に取る。


「凄いな、普通に動作してるよ。中の基盤もCPUもバッテリーも魔法で作ったってこと?」

 こくりと頷くサキナ。その言葉を信じるならば、古びた方こそまさに十六年分の時を経た代物だということになる。

「さすがにここまで高度な複製を作れる魔法ってのは、ちょっと見たこと無いな。とし兄は?」

「俺も無い。これは凄いな」


 その言葉に気を良くしたのか、サキナは、

「当たり前でしょ、あたしは魔女なんだからこれくらいは出来て当然。動かして、集めて、作り変える。土が関係してればなんでも出来るんだから」

 そう言って脚を組み替える紗季奈。その動きにはやはり妙な艶めかしさがあって、俊樹には確かに彼女が魔女に見えた。


「なんだったら、あんたたちの組織、RSOだっけ? それに協力してあげても良いけど?」


 その言葉に、俊樹とエイリは顔を見合わせた。エイリは肩を竦め、そして俊樹は、


「あー、それなんだけど……」


「好きなことを頼んでいいわ。流石に死人を蘇らせろ、とかは無理だけど。戦争の仲立ちとか、資源の採掘とか、それくらいの問題だったら今すぐにでも解決できるから。魔女たるもの、庶民のささやかな願いを叶えてあげるのが責務だから」


「……非常に、言いにくいんだけどさ」


「別にどんな些細なことでも遠慮する必要ないわ。逆に、どんなに大きなことでもね。だって私に掛かれば、どんな問題も杖を一度振るだけということに変わりないんだから。その代り――」


「――改めて、この世界での魔法の使用は控えてもらえないか」


 その言葉に、サキナの動きが止まった。暫くの沈黙の後、


「なんで?」

「さっきも説明しただろう」


 殺気。本当に死を意識させるような、氷のように冷たく鋭い視線。それを向けられながらも俊樹は続けた。


「異能力……異世界由来の力を行使し続けることは、この世界の平穏を崩す可能性がある。だから、出来る限りそれは控えて欲しい」


「違うわ」


 いつの間にか彼女は杖を構えていた。足を組んだまま、その先端を俊樹に向け、


「なんで私が、あなたの言うことに従わなきゃいけないの、って聞いてるの」


 お前がたった今何でも言ってと言ったんだろうが!と叫びたい気持ちを抑えながら、俊樹はゆっくりと手を上げる。


「……おいおい、そっちがどんな世界だったか知らないけどよ、ここは日本だぞ。人殺しは罪だって法律があるの、たった十六年で忘れちまったのか?」

「あっちにも有った。誰も守ってなかったけど」


 そう言って、杖の先から淡い炎を出した紗季奈。


「土魔法しか使えないわけじゃないのか」

「土が得意ってだけ。別になんでも使える」


 俊樹はサキナの目を見据えながら、次の言葉を考えた。RSOのリターナー初期対応マニュアルの内容を思い出す。


 まず第一に、相手が異世界での出来事に対してPTSD症状を呈しているかどうか。もし呈していれば即時の保護或いは記憶処理を行う。目の前の紗季奈を見る。杖を向けられたこちらがトラウマを抱えそうだ、と俊樹は思った。


 第二に、異世界由来能力、異能力が活性状態にあるかどうか。見るまでも無い。


 第三に、その異能力に殺傷能力があるかどうか。もしある場合は特別警戒員資格保有者に応援要請。どうやら殺傷能力はあるらしいが、今回の場合エイリが有資格者であるためこれは飛ばせる。


 第四に、その異世界帰還者に、基準世界人(現実世界のことだ)に対する攻撃的姿勢があるかどうか――。ここだ。ここで決定的な判断ミスを犯してしまっていたことに俊樹は気付いた。


 眼前に居る平静を保った少女。クラスで目立たない、消極的優等生だった広瀬紗季奈。たかだか一年と少々、視界の隅に映っていたというだけで、どこか安心してしまっていた。


 十六年も、訳も分からぬ異世界で過ごしてきた人間が、一般的観念における正気を保っているはずが無いというのに。


「……最初にも言った通り、」


 そう言ってカナは、机にさらさらと文字を書き込んだ。


「私のラインID。私に魔法の使用を許可するか、それか……ティオミスに再び戻る方法を教える気になったら、連絡をして。期限は24時間だから」


 その言葉と同時に、サキナは杖を振るった。そして。


「……転移魔法まで使えんのかよ。まるでチートだな」


「異世界転移なんてチートばっかりだよ。僕が言えたことじゃないけどね」


 先ほどまで少女が居たはずの空席を、二人は暫く無言で眺めた。


「……転移魔法は、早期警戒システムに引っかからないのか?」


「どうだろう、帰ってみて観測データを確かめてみる」


 机の上に置かれたジャージとノートを回収しながら「でも、あんなの相手にどうすんの?」とエイリが言った。


「どうすんのって言っても……まあ、取りあえず『準備できました』つって嘘ついてもっかい近づいて、そっから説得するしかないだろ」


 そう言って俊樹は立ち上がり、ぐっと伸びをする。


「取りあえずは晩飯食って、それからRSO行くぞ」


 その言葉にエイリは嬉しそうにはにかみ、


「ん、そうしよ。とし兄の奢り?」


「バカ、お前が先月荒稼ぎしたって話知ってんだぞ? ……でもまあ、明日も付き合って貰うことになりそうだし、先払いしとくか」


「やたっ、ラーメンいこラーメン! 早く行こう今すぐ行こう、タクシー乗ろう」


「アホか。きちんと歩いて、体力使ったあとに空からこそ旨いんだろうが」


 俊樹はエイリと共に地学講義室を後にした。

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