第二話 不機嫌な魔女
◆
全ての争いは終結した。大陸の西半を治めていたリーフェルト王国と東半の魔族諸連合は遂に講和条約を結んだ。人族、獣人族、魔族の融和がリーフェルト国王と魔王エンリルの名の下に宣言され、三族は平等となった。
当然課題は山積している。人族の上流階級には未だに獣人を蔑視する声が多く、そのまま放置されればかつてのように獣人の離反という結果を繰り返すことになるかもしれない。文化、歴史、種族が全く異なる三族が本当に互いを認め合うことが出来るかなど、誰にもわからない。
それでも、針は進み出した。一度起きた変化は、複雑に他の出来事と絡み合って新たな顛末を生み出す。それは決して過去と同一ではない、新たな歴史へと繋がるのだ。
「……と言っても、それはあたし達の歴史です。あたし達が、これから背負わなければならない未来です」
巨大な門を背に、幾人かの人影が集まっていた。その中の一人、小柄で兎のような耳を生やした少女がそう語った。少女の視線の先には、女が立っていた。少女ほどではないがやはり小柄な体格に、それに不釣り合いなほど大きなつばの広い三角帽子。そして黒いローブに身にまとった彼女を見れば、きっと誰もが同じ言葉を想起するだろう。
「ですから、魔女さまのお手を煩わせることはもうありません。ただ、ただ……」
段々と声を湿らせていき、やがて少女は声を詰まらせて泣き始めた。それを見て、魔女と呼ばれた女は、「おいで、ミラ」と手で招いた。それに駆け寄ってきた少女を優しく抱きとめ、
「泣いちゃダメじゃない。教えてあげたでしょう? 一流の魔女は?」
「……涙を見せない」
その言葉に満足げに頷く魔女。
「あなたは魔女として、私の後を継ぐ。この世界の全てを背負って守らなければならない、とても辛い役目。けれど、きっとあなたなら大丈夫。なんと言っても、魔女の私が認めたんだから」
そう言いながらミラの頭を撫でる。ミラは何度も頷いて、そして決心したようにゆっくりと離れた。
続いて魔女はもう一つの影、すなわち龍人の男に向き直った。青い鱗に包まれ、鍛え抜かれた刀のように鋭い身体の龍人は、
「……我らの間に、多くの言葉は必要ないだろう」
「ええ、そうね」
「ただ、健闘を祈ろう。エンリル神の加護があらん事を」
「あなたも、元気でね」
そう言いながら、拳を突き合わせる二人。
そして最後に魔女が向いたのは、何の飾り気もない、平服姿の男だった。男は困ったように微笑みながら
「……やあ、いざお別れとなるとやっぱり寂しいもんだな」
男は頭を掻いて、そして魔女に小さな石を渡した。紅く、神秘的に輝いている。
「これは……」
「色々、考えたんだけどさ。どうやってお別れの言葉を言おうか、って。でも、何も思い浮かばなかった。情けないよな、別にどうでもいい時にはどうでもいい言葉ばっか出てきたのに」
「本当、ね」
「それを俺たちだと思って持っていてくれ。まあ、もし寂しかったらの話だけれどな」
「……寂しいに、決まってるでしょ」
男の言葉を、そして手のひらに乗った小さな輝きをかみしめるように、魔女は優しくもう一つの手を重ねた。その反応に男は戸惑ったように頭を掻いた。
「おいおい、ここは軽口を言い合ってお互いにいつも通りの掛け合いをするところだろ? 調子狂うぜ」
「こんな場面でもそんな調子だなんて、まったく貴方はデリカシーが無いわね」
「そうそう、そんな感じだ」
男は快活に笑った。それに釣られて、魔女も笑った。ミラも微笑み、龍人もくすぐったそうに目を細めた。しばらくして笑い声が落ち着いてから、男は改めて魔女に向き直った。、
「ただ、これだけは言える。サキナ、お前が来てくれて、俺は本当に良かった」
「私も。あなたに会えて、本当に良かった」
サキナと呼ばれた魔女は、優しく微笑んだ。大人びた表情の中にある柔らかな光に、男は「やめてくれよ、そんなの見せられたら……」と呟いた。魔女はそれを努めて無視して、そして。
「それじゃあ、みんな。さようなら」
さよなら、さらばだ、じゃあな。三者三様の別れの言葉を背に、魔女は門を潜った。同時に眩いばかりの光に視界が包まれ、そして――。
◆
先ほどまで誰も居なかった席、そこになんとなく見覚えのある女子の顔が忽然と現れたのを俊充は見た。
広永紗季奈だと思われる少女だ。
思われる、というのは、その服装が突飛も良い所だったからだ。まるで魔法使いのような黒く長いローブを纏い、足元は茶色のブーツ、その胸部は大胆に露出していて、大きな宝石がちりばめられたネックレスが谷間を隠すように掛かっていた。
俊充はそれを見て――安堵のため息を吐いた。危うく、空気の代わりに自分の肉体が弾き飛ばされるところだったのだ。それを回避して五体満足でそこに立っていることに心から感謝した。
だが次の瞬間には、目の前で困惑したようにキョロキョロとしている少女にどう声を掛けようか迷うこととなった。考えあぐねて、結局。
「お帰りなさい?」
「……は? 誰?」
クラスメイトに対してなんつうセリフだ地学オタクの陰キャ女、と思わず言いたくなるのを抑えて、俊充は確認を取ることにした。
「ええと、広永さんだよね? 二年B組の」
「……そうだけれど。それより、ここはどこなの? あなたは一体……」
そう言って立ち上がる広永さんを「まあまあ」と落ち着かせ、俊充は確認を続ける。
「俺は渚俊充、一応クラスメイトなんだけれど、まあ今はいいや。ここは県立葛城高校、日本の、千葉県の、高校だよ。広永さんが”さっきまで”居た、ね」
ゆっくりと、一つ一つの単語を言い聞かせる様な俊充の言葉。それを聞く紗季奈は段々と目を見開いていき、そして少し震えた声で尋ねた。
「……今は、西暦何年なの?」
想像よりも落ち着いた様子の紗季奈に感心する俊充。これなら対応も楽かもしれないな、そう思った。
「西暦二〇二四年の七月四日。広永さんが知っての通り、ね。じゃあ今度は俺からの質問だけど」
紗季奈のとなりに座った俊充は、困惑の光に満ちた彼女の目を見ながら尋ねた。
「――広永さんはどんな世界に、どれくらい居たわけ?」
窓から入ってきた夏のうだるような熱風が、カーテンと紗季奈のローブを揺らした。
◆
ノックの音と同時に、「トシ兄、来たよ」という声が聞こえ俊充は驚いた。だがすぐに気を取り直す。びくりと身体を強張らせた紗季奈に「大丈夫、同僚だ」と言った後、「あい、どうぞ」とドアの鍵を開けた。
「や、来ちゃった」
そこに立っていたのは、一目には男装の麗人だった。服装こそ俊充同様学ランだったが、その顔つきは少女のそれにしか見えなかった。唯一、比較的短い髪型がボーイッシュな雰囲気を出している。
尤も、本人そう伝えれば「ボーイッシュじゃなくてボーイなんだけどな」というシンプルな答えが返ってくるであろう。
「そりゃすぐ来れる応援となれば、お前か」
「不味かった?」
「いや……ありがとな、エイリ」
そう言ってやってきた少年、エイリから荷物を受け取る。袋の中にはジャージが入っていた。それをサキナに渡し、
「取りあえずその格好じゃ目立つだろうし、これに着替えてくれんか? あー、その間は外に出てるから」
そう言ってが立ち上がるが、サキナは俊樹を手で制した。
「要らない」
「へ? どゆこと?」
「着替えなら、用意できるから」
そう言ってサキナは、懐から長い棒状の物体を取り出した。
「……」
そしてそれをゆらりと振る。
「えっ、ちょ、まっ!」
俊樹が止めるよりも早くサキナは何かを言い切り、そして、
「おー、すごいね」
眩い光に包まれたかと思ったら、サキナの格好はいつの間にか見慣れた葛城高校指定のブレザーに変化していた。エイリは感心したように手を叩いているが、俊樹は立腹していた。
「おいおい、さっき言ったばかりだよな!? あんまそういうのを使ってもらったら困るって!」
「なんでそんなこと指図されなきゃいけないの?」
「なんでって……ハァ……一瞬でも楽出来ると期待したのが間違ってた」
「そりゃ甘いよトシ兄。どう短く見積もっても三分以上転移してたんだから、簡単には切り替えは出来ないでしょ」
エイリは近くにあった掃除用具入れにもたれ掛かって、
「で? そちらの方のステータスは?」
俊樹は深くため息を吐いた後、
「広瀬紗季奈さん、葛城高校二年で俺の一応クラスメイト。十六時十三分十七秒から三分二十六秒間転移。転移先はまあ見ての通り、魔法あり科学なしのB型……魔獣とか獣人も居たんだっけ?」
暫しの沈黙の後サキナが頷いたのを確認して、
「らしいから、B3型世界。世界名は現地語でティオミス。体感転移時間は十六年間だそうだ。そのうえでさっき、俺の立場と3原則についてまず説明したところだ」
ふむふむ、と頷くエイリ。
「じゃ、広瀬さんはやっぱり魔法使い?」
どっからどうみてもそうだろ、と俊樹は言いかけたが、
「……魔法使いなんて言わないでくれる? 私は魔女だから」
「あー……ということで魔女だから、間違えるなよ?」
どうやら地雷らしいので咄嗟に回避成功。彼女の居た世界では、「魔法使い」という言葉はタブーらしい。俊樹のツッコミにエイリはぺろりと舌を出して「これは失敬」と首をすくめた。
そんな軽快に様子に、
「ねえ、こう見えても私、混乱しているんだけれど。なんでそんなに、落ちついていられるの? 私の知らない間に地球では魔法が普及したわけ? 私は夢を見てたの? それともこれが夢なの?」
真剣な表情のサキナ。それに答えたのはエイリだった。
「違うよ。今のこの世界も、そしてあんたがさっきまで居た世界も、どちらも紛れもない現実。僕達が驚いていないのはね。あんたみたいに異世界に転移して、それから戻ってくるという現象がなにも初めてじゃないからだよ」
「初めてじゃない?」
俊樹が続きを引き取る。
「毎年行方不明者が国内で八万人出ているとされているけれど、ある調査によれば、その内二千人が異世界転移による消失が原因だと考えられている。当然、公式にはそんなこと公表されていないけれどな」
「公表されていないことが、なんで君たちに分かるの」
「単に消えるだけじゃなくて、広瀬さんみたいに戻ってくる手合も居るからだよ。異世界から帰ってきた人間、異世界帰還者がね」
だまりこくる広瀬紗季奈。素直に受け止めていないようであるのは一目瞭然だった。
「信じられないかな。僕からしたら、異世界に突然転移してそこで魔法覚えながら十六年過ごした、って現象の方が信じがたいと思うけどね。それをこっちがすんなり信じてあげてる時点で、認めてほしいんだけどな」
「だって、証拠はあるの」
「僕」
そういってエイリは自分を指さした。
「僕もあんたと同じように、異世界帰還者なんだ。まああんたみたいな魔法の世界じゃなくて、科学が発展した世界だったけど」
その言葉に、サキナはフッと笑った。
「なにそれ、まさか異世界が沢山有るって、そう言いたいの?」
「お、正解。流石に葛高生は物分りがいいね。ちょっとアホな高校生とかは全然察してくれないから」
その言葉にしばし額に手を当てる紗季奈。じっとエイリの顔を見つめ、やがて、
「……もしかしてあなた、西野エイリ? 学年主席で、海外大からの誘いを蹴って入学してきたっていう」
「おお、知ってくれているとは光栄」
「テレビでも見たことあるもの。YouTubeに自作の発明品の動画を投稿してるって話も知ってる」
「けれど、それにしては気付くのに時間掛かったな」
俊樹のその問いに、
「私にしてみれば、あなたの入学でクラスがざわついてたのは十六年も前の話だから」
なるほどね、とエイリは笑い、
「まあとにかく、僕もあんたと同じように転移して、あっちで過ごして、そして帰って来て」
エイリはたたとに駆け寄り、そして抱き付いて、
「トシ兄に保護されたってわけ。まあ元々僕は賢いけど、今みたいに常軌を逸して賢くなったのは転移を経験したから」
俊樹はゆっくりと自分に回された腕を離しながら、
「自分で言うな。それに保護したのは俺じゃなくて、RSOな」
「どっちでも一緒だよ。とにかく、そういう異世界帰還者たちが集まって、一緒に元の世界でうまくやっていきましょうっていう組織が、僕たちRSOってわけ」
「あーる、えす、おう」
繰り返す紗季奈。その表情は訝し気だ。
「そんな組織、聞いたことないんだけど」
俊樹は肩をすくめた。
「そりゃ、隠されてるからな」
笑うべき所だというのに、紗季奈はそれを聞いて更に眉間のシワを深めた。
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