異世界帰還者保護支援機構―異世界に行けない無能力の俺は、異世界帰還者たちを出迎える―
及川盛男
第一話 予鈴
『という訳でゴタゴタ騒ぎはあったものの、俺たちは無事に結婚式を終えることが出来た。この平穏を掴むために、多くのものが犠牲となったことを忘れてはいけない。しかしだからといって、俺が守るべき人たちが幸せになる権利が失われたわけでは決してない。これからも、もしかしたらこの世界の平穏を乱す事件が起こるかもしれない。けれどこいつらとならきっと乗り越えられる、俺はそう信じているんだ。『突然異世界に行ってしまったけれども俺のことが大好きなモンスター娘たちに担ぎあげられて国王にされてしまった件!?』完』
そんな一節で結ばれた最後のページを読み終え、
読み終えた瞬間、教室の前方でかつかつとチョークが走る音が妙にうるさく聞こえ始めた。本を閉じると同時に訪れる、まるで別世界から突然帰ってきたようなその感覚が俊樹は好きだった。
表紙を見る。そこにはさまざまな種類のモンスター娘たちと、それに囲まれて困ったように笑っている男のイラストが描かれている。「大人気異世界召喚ストーリー、堂々の完結」という帯が眩しい。俊樹はそれを横目に、となりにスマートフォンを置いてメモアプリを起動した。
「タイプ:異世界召喚 世界類型:B4 文明:中世ヨーロッパ 支配種:人間 従属種:獣人 対抗種:魔族・魔物……で、魔法はマナタイプ……」
そのようなことをコツコツと書き溜めていると、突然コツンと頭に軽い衝撃を感じた。
「いてっ、って、あ……」
ゆっくりと見上げると、先ほどまで黒板の前に立っていたはずの教師が、いつのまにか真横に移動していた。教師は無言で、机の上にあるスマートフォンを指差した。
「えっと、これでノートを取ってました」
とっさの言い訳だったが、教師は軽く頷いてみせた。だが続いて、その横にあるライトノベルを指さされた。
「……あー、なんでこんなものが机にあるんだろう。誰かが魔法でも使ったのかしら」
そう言いながら机の中に仕舞うと、教師は頷いて教卓へと戻って行った。その光景に周囲からはクスクスと笑い声が起きていたが、当の俊樹は、
(……やっぱり、これからは電子書籍にしようかな)
と、まったく反省していない様子だった。
その日最後のコマの終礼のチャイムが鳴ると同時に、室内に詰め込まれていた四十人の生徒は弾かれたように一斉に教室を飛び出していく。文武両道の県立進学校、葛城高校のどのクラスでも見られる光景だった。ライトノベルほどではないが葛城高校にも大小様々な部活動がひしめいており、学生の部活動加入率は二百十三%に達していた。
だが俊樹はそのような中でも立ち上がることなく、ライトノベルに再び目を通し始めた。それからメモアプリに何かを書き込んで、またライトノベル。そうしてスマホとラノベを往復している内に、気がつけば終業から一時間が経過した。
といっても今は七月、外は未だ煩わしいほどに明るく、サッカーボールが蹴られる重く弾む音や、野球部の威勢のいい掛け声、軽音楽部の重低音とオーケストラ部のバイオリンの音色が騒がしく響いていた。
クラスの前方で黒板に今季アニメの講評を書き綴っている現代アニメーション研究部の活動をちらりと見ながら俊樹はあくびをした。彼らがそこで活動を行なっているのは俊樹への勧誘活動に他ならないのだが、俊樹には残念ながらその意思はなかった。
再びスマートフォンに向き直る。もう少しメモの内容を纏めなければならない、そう思っていたら「ピロン」という軽薄な音と共にスマホの画面上部に通知が表示された。ニュースアプリの速報のようだ。
「MMN速報:山平逸生死刑囚の死刑執行 法務省 東岡山連続殺人事件の犯人」
目で追った後、自分の身に直接関わる内容でないことを確認した俊樹はそれを右にスワイプした。おそらく匿名掲示板やSNSあたりではこれを肴に盛り上がっていることだろうが、今はメモのほうが優先であった。
だがそれから5分程して、再びその手は止められることになる。画面が切り替わり、スマホが着信を伝えた。
「ああ、調子出て来たとこだったのに」
思わず悪態を吐くが、発信主を見て表情を変えた。すぐに受話する。
「もしもし?」
「もっしー、俊樹? 今、葛高に居る?」
快活な女性の声。
「あー、居るけど……」
俊樹は周囲を見渡し、教室のベランダに移動した。
「おっけ、人の居ないとこ来た。で? またどこかに漂流物が現れたから拾ってこいって? それとも隠蔽工作手伝い?」
「だったら楽だったけど。今回はね、結構ガチで緊急事態がおきちった」
電話の相手は一呼吸開けて、
「その学校で、転移が起きた。つい、三十九秒前くらいに」
「は」
その言葉に俊樹は天を仰いだ。シマシマの模様をした天井が嫌に目についた。
「マジで言ってるの? ちょうど、この学校で?」
「そ。エイリちゃんの改良した重力検知システム、すごい精度でさ。ずばり、その学校のチガク講義室? そこで起きたんだって」
チガク講義室、つまり地学講義室。それは旧校舎の二階にあって、俊樹も一年の頃に授業でよく使っていた教室だった。
「帰還は?」
「まだ。だから長期滞在コースは確定。システムによれば帰還予想時刻まではあと3分」
「流石に応援は?」
半ば期待せずに尋ねた俊樹だったが、
「
との言葉に、流石に表情を強張らせた。
「だから、圏内の二級はあたし含めて全員移動中。今そこで対応出来るのは俊樹しかいないの」
俊樹は「なるほどね」と呟いた。
「そうとなりゃ、頑張るしかないか」
「こっちも早く片付けて、すぐ合流する」
「頼むぞ。時間稼ぎくらいは出来るから」
「そんなこと言って、なんやかんやで解決してくれるんじゃないかと期待しちゃってるけど」
「勘弁してくれよ」
俊樹は、自分がライトノベルの主人公にでもなったような心意気で、やれやれと首を振った。
「
◆
急いで駆けつけた地学講義室には誰もおらず、俊充は胸をなで下ろした。備え付けのテーブルと椅子が並ぶ様子は普通の教室と違った特別感があって、一年の頃はそれにどこかワクワクしていたことを思い出す。
机の上に置かれていたプリント類などが乱雑に床に散らばっている。きっと、転移の衝撃のせいだろう。
片付けようとも思ったが、高確率でまた散らばってしまうことを考え、やめにした。まず鍵を締め、外から入れなくなったことを確認する。
次に窓を開け、カーテンを閉める。突風の逃げ場作りと、外からの目撃を避けるためだ。
大体の準備を終え、時計を見る。目安の時刻まであと三十秒ほどだった。近くにあった席に座る。そして目の前にノートが広げられているのを見つけた。
「へえ……」
そこには綺麗な文字で、地学の講義ノートが纏められているように見えた。図やマーカーなどで丁寧にまとめられていて、持ち主の几帳面さが伺えた。だがよく見てみると、その内容は一年の時に習った覚えがないような細かなものばかり。どうやらこのノートの持ち主が独自に調べてまとめたものらしかった。
裏返してみると、表紙に「広永紗季奈」と、これまた几帳面そうな字で書かれていた。その名前には見覚えがあった。確かクラスでいつも静かにしていた女子の名前だ。地学のテストで毎回満点を取り、東大出身の地学講師から褒めそやされていたのを俊充は思い出した。
そこまで考えて俊充はあることに気づいた。このノートがここに置かれているということは、この席に広永何某(なにがし)さんが座っていたということである。だが今、ここには広永さんはいない。普通であればトイレか何かで離席中だと思うはずだが、俊充はみるみると顔を青ざめさせ、そして疑惑が確信に変わった瞬間、
「――ヤバっ!」
叫び、そこから飛びのいた。それとほぼ同時だった。
空気が揺れ、フッという音が鳴った。物理的に空間に起きた振動はそれだけの筈だったが、俊充はそれ以上の大きな衝撃を全身に感じ、
「――え……?」
そして俊充のものではない、少女の声がこの小さな部屋で響いたのを聞いた。
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