三日目 前編

「今日はどうする?」


 着替えを済ませ、菓子パンと牛乳という簡素な朝食を摂っているザザギに私は聞いた。


「少し気になることがある。が、その前にはっきりさせたい。俺たちの中でも意見が異なるかもしれないからな」


 ザザギは食べさしのメロンパンで私を指した。


「この村の人達は全員狂ってるな?」


 村の朝は静かだ。それゆえ、囁くようなザザギの声もはっきりと届いた。


「あぁ。……いや全員か?昨日会ったダダは?」


 私の指摘にザザギは露骨に嫌そうな顔をした。ザザギは自身の仮説を覆す例外を極端に嫌うケがあるからだろう。確かそれで昔、傷害事件を起こして、大学でも変人として名が知れていたとか。


「そうだ。話を聞く限り、あくまでもお前の話を聞く限りその女はマトモなんだよ。でもそれはおかしい。だって俺が出会った村人は漏れなく、余すこと無く、尽く、おかしかったんだからな」


 確かに鶏の死骸で芸術する青年も、それを咎めずに賞賛する観客達も普通じゃない。


「村長は……別にいいか。いや、それにしても一人くらい頭がおかしくない人だっているだろう」


 一瞬、村長のことが頭をよぎったが直ぐにどうでもよくなった。


「あぁ、そうかもな。でもそうじゃないかもしれない。だからそれを確かめよう」


 ザザギはいつの間にかカレーパンを食べきって、準備万端といった様子だ。

 アタシも覚悟を決めないとね、その言葉が厭に私の耳にしがみついていた。




 私たちはダダの家に向かっていた。

 昨日、一昨日と掛かっていた霧は消え、太陽が歩く私達の頭を焼く。ただ都会よりも暑さはマシに感じられた。それはヒートなんちゃら現象が無いこともあるし、直感的に感じるこの村の居心地の良さも関係ある気がする。


「そういえば、どうやって正気を確かめるんだ?」


 根本的なことを私はすっかり忘れていた。そもそも意識すらしていなかった。


「それについては問題ない。ほら」


 ザザギが取り出したのはスマホだった。

 この村には似つかわしくないものを見て、私は少し嫌悪感を覚えた。たった三日の滞在でどうしてか、田舎のプライドみたいなものが芽生えている。


「いや、ほらって言われても。ここは圏外だっただろ?」

「ああ、だがなスマホはカメラとしては優秀だから俺は念の為に持ち歩いてんだ。それで、これ」


 ザザギはアルバムを開いてある動画を再生した。

 そこに映るのは昨日聞いて想像した地獄のような光景だった。公園の中心に佇む青年。足元に広がる真っ赤な死骸。背丈ほどあるキャンバス。

 私は瞬時に理解した。


「なるほど。それは名案だ」


 これをダダに見せて反応を確かめるって寸法さ、とザザギは自慢気に語る。

 いや本当に名案だと思うんだが、何故かその名案を使う気がしない。これはただの直感だけれど、確信に限りなく近い気がする。いや自分で矛盾しているのは理解しているが。





 それから5分くらいして、ダダの家まで到着した。

 昨日会ったサカタという老婆は、今日は見当たらなかった。ザザギは直接抜け殻を目で見たかったらしく、肩を落としていた。

 この村にはインターホンなんて文明的なものは無い。そのため、外から大声で叫ぶ。


「ごめんくださ〜い!!」


 返事が無い。

 外出してるのだろうか。


「すみませーん!」


 外出してるんだろう、そう思って私が引き上げようとすると、ザザギはそれを手で制した。


「おいおい、何帰ろうとしてんだ。俺たちは調査に来たんだぜ、ホシが居なくたって調べられることは有るだろ?」


 そう言ってザザギがドアに手を掛けたその時。


「すまないね。昨日夜遅かったもんで」


 ダダは目を擦りながら普通に出て来た。


「って、アンタか。何しに来たんだい、今度はお友達まで連れて」


 ドアに手を掛けたままのザザギをひと睨みしてダダは私達を手招きした。


「ま、いいや。取り敢えず入りな、ここじゃ寒いだろうし」


 この村に来て初めての気遣いだったんだろう。ザザギは目を丸くしていた。


「ありがとうございます」

「良いんだよ。昨日話を聞いてもらったお礼さ」


 やっぱりマトモだ。私がザザギの方を見つめると、ザザギは睨んで来た。




「それで、何の用だい」


 ダダは胡座をかいてゼリーを食べつつそう聞く。


「えーっと」


 まさか貴方が正気かどうか確かめに来たなど口が裂けても言えない。

 私がどう話を切り出そうか言い淀んでいると、横からザザギが助け舟を出してくれた。


「あの、ザザギっていうもんです。ちょっと貴方に見て欲しいものがあるんですけど……」

「ふん、そんな改まって何を見せられるんだか」


 少し面倒くさそうにしながらダダは立って、ゼリーのゴミを持った。と、その時一枚の紙が目に止まった。ちゃぶ台の下に落ちていた一枚の紙に。

 そこには、今日の日付と開催場:中央広場と書いてある。

 今日の儀式とやらについてのものだろうか?


「ダダさん。これって今日のイベント?のお知らせですか?」


 ザザギも気になったのか、白々しく儀式をイベントと言い換えて無知を装い聞く。


「あー、そうそう。なんか今日やるみたいだね」


 ダダはあまり興味が無いようだった。


「あ、ご自身は参加されないんですか?」

「いや。アタシは主役みたいだよ」


 ゴミを捨てて、ダダはそう言い放つ。


「主役?」 「めっちゃ他人事ですね」

「それが何も知らされてないのさ。村長に聞いても、当日来たら分かるの一点張り」


 呆れたように首を横に振ってダダはそう言った。


「まぁいい、それより何か飲むかい?」


 コーラ、お茶、炭酸水と選択肢を挙げながらダダが少し黄ばんだ冷蔵庫の扉を開けたその時。


 ぼとっ、と何かが床に落ちる音がした。


 床には、抜け殻と称された老婆の首が転がっていた。


 ぼとぼとっ、ぼとっ。


 ドアの部分に立てていたであろう左右の細い腕が、しわしわの右手が、続いて落下していく。


「あ、すまないね。この時期ともなると腐っちまうから取り敢えず冷蔵庫に入れてたの忘れてた」


 老婆の頭を片手で掴むダダは悪魔に見えた。それらを平然と拾って冷蔵庫に戻していく。

 その中を覗くと、人だったものがあった。人体工場の材料倉庫と化した冷蔵庫をパタンと閉めた時には、黄ばんだ冷蔵庫は所々赤く染まっていた。

 私とザザギは何も言えなかった。

 ただ確実なのは、もう動画を見せたりしなくて良いということだ。


「あ、そうだった。何を飲むか、だったね」

「いや、そうじゃねえだろ」

「?」


 急に敬語を辞めたザザギにダダは困惑しているようだった。


「今の。昨日のお婆さんですよね?」


 そう私が聞いた途端、ダダは嬉しそうに目を輝かせた。


「お、分かってるねえアンタ。そうだよ、サカタのババアさ」

「どうして殺した」


 ザザギはすかさずそう聞く。


「どうしてって……」


 怒気を含んだザザギの声にダダは心底分からないといった様子だった。


?自覚出来ないようなら教えてやる。お前は、人の命をどうとも思ってない悪魔だよ」


 ザザギの声は少し震えていた。それが怒りによるものなのか、恐怖によるものなのかは不明だが。


「悪魔?天使と言ってもらいたいね」


 拗ねたようにダダはそう言った。


「何を言っているんだ?」

「アタシはね、救ってやったのさ。あのババアを生の呪縛からね」

「救ってやった?誰がお前にそんなこと頼んだ?誰が人の命を奪っていいと言った?お前、何様のつもりなんだ?」


 怒涛のザザギの問いにダダはため息をついた。


「アタシはただの人間さ。これは罪滅ぼしなんだよ、ババアがああなったのはアタシの所為。なら終わらすのもアタシの仕事だ」


 私はザザギが喋り出そうとするのを無理やり手で抑えた。このままじゃ平行線、埒が明かない。


「話にならないな、私達は帰る」

「ふーん、見せたい動画はもう良いわけ?」


 ザザギを立たせ、手を掴む。


「もう解決し……」


 その時、ザザギが私の拘束を振り解き、そのままダダに向かって拳を振り下ろした。

 ドゴッ、鈍い音がダダの頭から鳴る。

 ダダは倒れて、頭を抱え転がる。そこにザザギは馬乗りになって殴る。

何度も、何度も執拗に。

 私は慌てて、ザザギを引き剥がしたが既にダダは血塗れになっていた。

 ただ、意識はあるようだ。


「ああ……痛いね。ザザギと言ったかい?アンタ人のこと言えないよ」


 それだけ言ってダダはふらふらと家の奥に入っていった。




「な、言っただろ」


 帰り道、ダダを殴って落ち着いたのかザザギは笑顔だった。


「ああ。でもあんな人だとだったとはな」


 私は驚いていた。

 ダダは少々がさつだけれどもお婆さんに話しかける私を止め、事情を説明するためには自身の罪を話すことさえ厭わない、根は優しい人と思い込んでいた。


「いや、その指摘は正しい。あまり不安にさせるのはどうかと思って黙ってたんだがな」


 こちらを見ずにザザギはポケットから何かを取り出した。ボイスレコーダーだ。


「これ聞いてみろ。昨日の昼飯の会話だ」

「オムライスが美味しかったって記憶しかないけど、何かあったのか?」


 ザザギは黙って再生した。



「じゃあ、普通のハンバーグ200gを」 「2つで」

「ハンバーグ2つですねー」


 再生ボタンを押して直ぐに聴こえたのは注文の声だった。まだ最初の三言目、それでも既に自身の記憶と食い違っている。

 その後、私の調査の話。ここは記憶通り。

 店員が近付いてくる足音が聞こえた。先の話だとハンバーグが来て、記憶通りだとオムライスが来る。さあどっちだ?

 注意して耳を澄ます。


「えー、カツカレーとカレーうどんです」

「あっ、あざっす」 「どうも」


 これは何の冗談だ?

 横を見ると、ザザギはじっと真剣に聞いている。私も再び耳に意識を集めた。

 ゾバズバダドガの違和感を語るザザギ、これも記憶通り。

 おそらくこの村の研究に役立つであろう彼の話を改めて聞いていると、妙な音が言葉の端に存在した。それは何か麺類を啜る音だ。それも二人ともが麺類を啜っている。

 これまた矛盾が発生した。注文したのはハンバーグ、実際に配膳されたのはカレー、食べているのは麺類。

 てんでちぐはぐだ。

 そしてザザギの話が始まった。

 記憶通りのそれが終わるとスプーンの音がした。そう、これだ。記憶にあるのはオムライス、スプーンの音がするのは当然だろう。

 ここで漸く記憶と整合性が取れ、私は少し安堵した。



「一体どうなっているんだ」


 驚きのあまり子供のような訴えをした私に、ザザギは少し笑い、直ぐに真剣な表情に切り替えた。


「さあ、俺にも分からん。ただ確かなことは、俺たちがこれを認識出来ていないという点だ」

「何かされた、ってことか?」

「ああ、何かが俺たちに干渉している。いや、俺達だけじゃないかもしれない。他の村人も干渉されていると観るのが良いだろう。でなきゃ、偶然狂人が集まってることになる」

「なるほど。それでダダも」


 ザザギの推理を聞いて私は興奮していた。


「面白いな。一体何が私たちをおかしくしているのか俄然興味が湧いてきた。これでこそ実地調査の価値ってもんだ」

「そうか?俺は嫌だけどな、気持ち悪くて。自分の知らない所で自分の何かが変わっていくんだぞ。支配されていることにも気付かない奴隷みたいなもんだ」


 舌を出してそう吐き捨てるザザギの意外な弱さを見て、私は少し驚いた。





「どうした?」


 私達は一度部屋に帰っていた。

 儀式の詳しい時間は知らないが夜なので心身共に労ることにしたのだ。それまで休むはずなのだが、ザザギが部屋の壁をじっと見つめ始めて五分が経過していた。


「ん、いや。大したことじゃない」


 ザザギは直ぐに踵を返し用を足しに部屋を出た。

 不審に思って、穴が空くほど見つめていた壁の所に行くと何か文字が彫ってあった。


「なになに。濁点はかし…文字だ?」


 『文字』の前の一文字が掠れていて読めない。

 『い』に見えるが『かしい文字』じゃ意味が通らないため他の文字なんだろうか。ちょうど、トイレからザザギが帰ってきた。


「これなんて書いてあるんだ?」

「多分……かしら文字だろうな」

「濁点が頭文字ってどういう意味か分かるか?」

「さあ?それより今日の儀式のことを村長に聞いてみようぜ」


 ザザギはスーツケースから夜に使う為か懐中電灯を取り出していた。


「何か質問があるのですか?」


 いつの間にか部屋に居た村長が首を傾げた。


「あの、今日儀式ってのをやるって聞いたんですけど、何時からやるんですか?」


 誰が漏らしたんでしょうか、と言いながら村長は髭をさする。


「今夜の儀式は夜八時からですが、村の外の方の参加は御遠慮頂いてます」

「は?」


 村長の言葉に思わず私は苛立ちを露わにしてしまった。

 玩具を目の前で取り上げられたようなものだ、勿論苛立つ。そんな私をザザギは睨みながら村長に「分かりました。大人しく待っています」と引き下がった。


「別に参加を認められなくたって、こっそり潜入は出来るんだ。取り敢えずは従うフリをしとけ」


 村長が部屋を出てからザザギは私に囁いた。

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