二日目
二日目の朝、私たちは早速、村の散策を行うことにした。
ザザギは、村を時計回りに。私は反時計回りに廻って、反対側で落ち合おうと決めた。なにやら反対側には美味しいカフェがあると村長が昨晩言っていたからだ。
「おや、もう出掛けるのですか?」
村長がまたどこからともなく現れ、そう聞く。
「ええ、では」
そっけない言い方をするザザギはあまり村長と話したくないようだ。確かに村長は何を考えているのか不透明で、私も気持ちは分からなくはないが、泊めてもらってる身ということもあり、ひとまず愛想良く会釈しておく。
「あ、ルールはきちんと守ってくださいね。分かってますか?」
「はい。私がガガで、こいつがザザギですよね」
心配そうに聞く村長に私は改めてルールを確認した。
「そうです。大丈夫そうですね、では行ってらっしゃいませ」
村長の見送りを背中に受け止め私は、霧の中歩き出した。
霧は深く、世界を閉ざしていた。が、しかし昨日と違い村人の姿がちらほらと確認出来る。私は早速、一番近くで農作業をしている40代くらいの黒髪の女性に声をかけることにした。
「おはようございまーす!」
こういうのは第一印象が最も重要だ。相手に不快感を与えないように、出来るだけ元気に人当たりよく声を出す。
今回の挨拶も完璧だ、だが……
「……」
聞こえなかったのだろうか。まぁ20m位離れてるし、耳が遠いのかもしれない。私はあぜ道に入って、女性の後ろに立った。
「おはようございまーす。あの……昨日からこの村に来たガガって者なんですけど……」
「……」
依然として、女性はしゃがんで土を触っている。
おかしい。いくらなんでもこの距離で聞こえない筈がない。耳を確認してもイヤホンをつけてる訳でもない。私は少し不快感を覚えたが、まだ耳が不自由な方という可能性もある。
今度は、肩を少し叩いて声をかけた。
「あのぉ」
ずっと、畑でしゃがみこんでいた女性は振り向いた。
しかし、こちらには目を向ける様子も無い。明らかに彼女の目には私の靴が映っているはず、幾ら耳が聞こえなくても私の方に目くらいは向けるはずなのに。
「……さし……はか」
私は彼女がこちらを向いて初めて、彼女が何かぶつぶつ言っていることに気づいた。蚊の鳴くような声を聞き取ろうと耳を近付ける。
「蛙、時刻、巣食う……」
何を言っているんだ?
支離滅裂に適当な単語を小声で土に向かって吐いている。改めて手元を見れば、別に農作業をしている訳でもなく、ただ土をいじくっているだけだった。
「因縁、テンション……」
私がその言動に耳を傾けて目を瞑っていると──ガリッという心臓が逃げ出したくなる嫌な音が耳を覆い尽くした。
慌てて、老婆から耳を離し、手で自分の耳を触ると何か暖かいものが付いてきた。
それは真っ赤で、生暖かく、少しコリっとしている固体。
世界がぐるりと廻る。これが事実と認めたくなくて、私は意識的に意識を失おうとしていた。しかし、それは叶わなかった。あまりにも生々しすぎる触感と鋭い痛みによって。
私の手にあったのは、私の耳だった。
「あんた!そのババアに何言ったって無駄だよ!」
ショックで目眩がする私の背中を叩く声がする。がさつだが、どこか安心感を覚える声だ。
聞こえてきた?いや、それはおかしいだろう。片耳が取れたのだ。はっきり聞こえるはずが無い。
少し冷静になった私がそう思って、こわごわと手の中を見れば、そこには何も無かった。ただ、汗を握りしめているだけだった。
「何ボサっとしてるんだい!ほら、こっち来な!」
声の主は、隣の家から顔を出してそう叫んでいた。一刻も早くこの場から立ち去りたかった私は、取り敢えず声に従いこの場を離れることにした。
そういえば、この女はもっと若くなかったか?さっきまで40代くらいじゃ無かっただろうか?
足元でしゃがんでいる白髪の老婆を見下ろして、ふと、そう思った。が、何故かそんなことはどうでもいい気がした。
為されるがままに入ったその家屋は、懐かしい香りが充満していた。いや、私は都会っ子だし、田舎に住んでいた過去も無いのだが、往々にして畳や、木造建築の日本家屋と言うものはノスタルジックな気分を誘う。
「なにやら浸ってるとこ悪いけど、話、良いかい?」
そう言って、女は押し入れから埃の被った座布団を引っ張り出して、床に投げる。
客に対する態度じゃねぇだろ、とあくまでも心の中でだけ私は悪態をついて、外向きには大人しく座った。
「アタシはダダ。それでアンタ、この村のもんじゃないようだけど、何しに来たんだい?」
ぶっきらぼうに彼女は私に聞く。
「私、大学で民俗学を専攻しているガガという者です。ここへは、卒論の研究に来ました」
何か情報を得られるかもしれないので、丁寧に名乗ると、ダダは大して興味もなさそうにふーん、とだけ言って、頬杖をついて外を見た。その目が捉えていたのは先程の老婆だった。
「それであの、さっきのお婆さんって……」
聞きたいことは山ほどあるが、まずは一番気になっていることを私は口にした。
「あぁ、サカタのババアか」
なんてことないように言った彼女の言葉に私は驚いた。
今、サカタと言わなかったか?濁点が付かない名前を聞いたのはこの村で初めてだった。
「あの、ザガダって呼ばなくて大丈夫なんですか」
「……ふん、本当に何も知らないわけだ。まぁ、その点も含めて話してやるよ」
彼女はよそ者である自分を嘲笑うように、でも何処か子供を見守るような優しさを携えた目で見て、ゆっくりと語り始めた。
この村では人のことは絶対に、絶対に濁点を付けた名で呼ばなくちゃならないのは知ってるな?
だけどな、アタシはそれを破っちまったんだ。
ちょうど3日前のこのくらいの時間、いつものように畑にいるババアに向かって、サカタのババアって呼んじまったんだよ。
なんでだろうな。アタシは本当はこの風習が嫌いだったのかもしれない。だって、ずっとずっと心ん中ではサカタって名前で呼んじまってたから。
その途端、だ。急に空気が重くなった。
アタシだってこの村で生まれた
自分の身に何が起こるか分かってて、諦めたって顔をして、泣いてたよ。アタシはその涙を見て漸く自分がどれ程の過ちを犯したのか理解した。
そして、ソレが現れた。
ゾバズバダドガだ。
呪いの神ゾバズバダドガが現れちまったんだ。アタシは初めて見たんだが、その時のことはあまり覚えていない、ただただ恐ろしくて記憶からも消しちまったんだろうね。
アタシが見た光景と後から他の奴らに聞いた話を合わせると、だ。ゾバズバダドガは人を抜け殻にしちまうんだよ。濁点が付かない名前を言った瞬間に、その名前の者は呪いの神に目を付けられる。
そうなったら、どうなるかは見た通りさ。あのババアのように意思疎通は不可能になり、支離滅裂な発言を繰り返しちまうのさ。
「つまり、ああなったのはアタシのせいなんだ」
自らの罪を語るダダは、あっさりそう言った。思っていたよりも重い話を聞かされて、私が言葉に詰まっていると、ダダは申し訳なさそうな顔をした。
「すまないね。湿気た話聞かしちまって」
彼女は頭を下げて、自虐的な笑みを浮かべた。
「いえ、良いんです。人に話すことで楽になることってあると思いますから」
取り敢えず私はそう慰めた。
それにしても重い、でもそれ以上に興味深い話を聞けた。この村独特の神、とはザザギが喜びそうな話だ。
「そうだな。人に話して慰めてもらって、そうやってアタシは許されようとしてるんだ。ホント、自分が嫌になる」
私はこれ以上重い話を聞かされるのも面倒だったので、椅子から立ち上がる。
「過ぎてしまったものは仕方が無いと思います。それにですね、悪意があった訳では無いんですから。
私の言葉を聞き、ダダの目は潤んでいた。
「ありがとう、何だか救われた気がするよ。村の外のもんに話してみると新鮮さを感じれて良いもんだね」
結局この女は私に許してもらった気になって救われているが、そんなことはどうでも良かった。私は彼女の感謝を聞き、家を出た。
「では、お話聞かせてくれてありがとうございました」
「こちらこそありがとうね」
そう言ってダダはドアから私を見送った。
アタシも覚悟を決めないとね、小声でそう呟いたのが聞こえた。
何だかんだ言葉遣いとは逆に根は良い人だった。
そう思いながら歩いていると、特に誰と出くわす訳でもなくて村の反対に着いてしまった。先に着いていたであろうザザギはベンチに座って、私に笑顔で手を振っている。
「面白い話があるぜ」
私を見るなり、ザザギはニヤッと笑ってそう言った。
「でも、とりあえず腹ごしらえしよう」
村に一件だけのハンバーグ屋を指して私はそう言った。
「……そうだな。試したいこともあるしな」
そう言ってザザギはポケットに手を突っ込んでベンチを立った。
「じゃあ、普通のハンバーグ200gを」 「2つで」
「ハンバーグ2つですねー」
店内には私とザザギ以外誰も居なかった。
「いや、しかしこの村、相当ヤバいぞ」
店員が去ったのを確認してからザザギは声を潜めてそう言った。
私はザザギの言葉に全面同意しつつ、抜け殻となったお婆さんの話やダダの話、ゾバズバダドガについて話すことにした。
「ゾバズバダドガねぇ。いや、俺もその話はちょっと聞いたんだが、魂を抜かれんのか。うーん」
何か引っかかったのか、ザザギは眉をひそめた。
「やっぱり、み……ザザギでも聞いたことない名前なのか」
「いや、聞いたこと無いってのは良いんだ。どの地にも独自の神ってのは居るもんさ。だがな、濁点を外した時に現れるってのが引っ掛かるんだよ」
ザザギの言葉の続きを促そうとした時に、タイミング悪く店員が来た。
「えー、カツカレーとカレーうどんです」
「あっ、あざっす」 「どうも」
いやぁ、それにしても美味そうだ。
私たちは、目の前の食事を楽しみながら続きを話すことにした。幸い二人とも食事しながらでも、スプラッタ映画ぐらいは見れる質だった。
「いや、な。濁点ってのは、元々日本では忌み嫌われてたんだよ」
宗教学を専攻するザザギはそう説明する。
「それこそ、百人一首の下の句には濁点は一つも無ぇし、神道をしんどうとは読まねえだろ?」
「確かに」
素直に私は感心した。ザザギの知識はこういった場でいつも役に立つ。
「つまり、だ。濁点を付けた時に呪いの神が現れるって話ならまだ理解できるんだが、この村じゃ全くの逆じゃねえか」
「でも、それこそ、この地独特のものってだけじゃないのか?」
「うーん、ま、悩んでも仕方ねぇか。実際そういうもんで、その婆さんもそうなっちまってんだもんな」
ザザギは蕎麦をずずっ、と啜った。
「今度はザザギの話を聞かせてくれないか」
私の言葉にザザギは待っていましたと言わんばかりに、嬉しそうに話を始めた。
俺が霧の中を歩き出して最初に出会ったのは、20代くらいの青年だった。年齢が近そうだなと思って、声を掛けようとしたんだが、俺は直ぐに辞めた。
そいつはな、イカれてたんだ。
なに、ただ頭がおかしいだけなら、俺も普通に接していたさ。なんなら大好物だ。でもそうじゃ無かった。
そいつは鶏を貼りつけていた。
何処から盗んで来たのか知らないが、数十匹の鶏が青年の足元にあった。全て、真っ赤な血に染まってたけどな。そして、青年は俺くらいの、だから2mギリ無いくらいの大きなキャンバスの前に突っ立っていたんだ。
俺は戦慄したよ。わお、こりゃやべぇ奴だ!ってな具合で。
ただ興味は沸いた。恐らく彼は芸術家で、俺は不幸なことに芸術には目がない。そういった訳で、俺は茂みからソレを見ることにした。
静かに奴のショーが始まった。
観客は俺と、そうだな……何処かから見ているらしいゾバズバダドガだけだ。
まず、青年は足元に転がっている一匹の鶏を脚で蹴り上げ、手に持った。
おっ、そいつで絵を描くのか?と思ったんだが、青年はもう二匹、脚で蹴り上げ、リフティングを始めたんだ!
文字通り命で遊んでたんだ。そして、これは単なる俺の天才的な推理なんだが、彼はサッカーが上手い。
それが3分くらい続いた後、ようやく彼はキャンバスに向かい合った。
その瞬間、青年の周りの空気が変わった。冷たい空気だ。
そして青年はその鶏の死骸の血で絵を描いた……訳ではなく、ドボン。傍に置いてあったバケツに浸したんだ。そして、そのびしょびしょになった鶏を彼は思いっきり投げた、キャンバスへ。
べちゃっ、汚い音を立てて鶏の死骸は貼り付いた。
俺はそこで悟ったんだ。バケツに入っていたのは液体のり、ということを。
そこから先は圧巻だったよ。
あっという間に数十匹の鶏はキャンバスで活きかえった。真実の口という新たな生命を鶏の死骸たちは得たんだ。真っ赤で立体感と悲壮感を併せ持つ死骸が、三次元的に重なり合い完成する。あの青年、絶対常習犯だぜ。
まぁ、何が言いたいかって言うとこの村の人達はイカれてるってことさ。
なにしろ、ショーが始まった時には俺ぐらいしか見ていなかったのに、ショーが終わる頃には村人が十数人集まってたんだ。
なのに、だ。誰もその行為を咎めない。誰もが拍手喝采。誰もが感涙。
俺はそっと、その場を離れた。
次に出会ったのは、70代くらいの婆さんだった。
「おや、見ない顔だね。客人かい」
そう言ってきたから俺はザザギ、とだけ名乗った。
「婆さん、俺、この村気に入ったんすけど、どうしても理解できないことがあって」
「この村を気に入ったって、お兄さん見る目あるねぇ。で、何が理解できないんだい?」
老人ってのは自分の住んでいる場所に変な誇りを持ちがちだ、つまりそこを突けば取り入るのもそう苦労はしない。
「あの、なんでこの村って歯充烏村って名前なんですか?なんか違和感あるなーって」
「あぁ、なんだそんなことかい。それはね、元々そんな漢字じゃなかったからさ」
ドンピシャだ。
「というと?」
「いや、歯充烏が間違いの漢字ってのは確実なんだけどねえ。元々を誰も知らないんじゃよ。ただ、あくまでも噂程度の話なんじゃが、『歯』は片仮名の『シ』を無理やり漢字にしたってのは聞いたことがあるのぉ」
片仮名のシ、未だよく分からない。が、これは何か手掛かりになる。そんな気がした。
あとは、ゾバズバダドガだな。
それに関しても爺さんは喋ってくれたよ。
あれ爺さん?婆さんだったけな。まぁいいや。爺さんも、お前のとこのダダって奴と同じような話をした。呪いの神で、濁点を外した名前の元に来るってな。ただ、自分で自分の名前を呼んでも大丈夫らしいけど。
そして、もう一つ重要なことを聞いたぜ。
なんでも明日、儀式があるらしい。それも、村のみんなが集まる儀式だ。明日の夜、中央広場。
「そんな話を聞いて、そんで、集合場所に着いたってわけだ」
ザザギは、オムライスの最後の一欠片を口に入れて、話を終えた。
「うーん、村の名前か。確かにそこには注目していなかった」
店員が私とザザギのお皿を片付ける。
「そんなことより、だ。絶対明日の儀式には参加するよな?」
キラキラとした目でザザギは私に聞く。
「当たり前だ、祭りってのは村を体現するからな」
そうして私たちは村唯一の洋食屋を出た。
ザザギはポケットに手を突っ込んで先を歩く。
カチッ、と音が鳴った。
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