第7話 良喜札めくると占い結果(4,5枚目)



「俺が、恐れるもの?」


 第二王子ライオットは唖然として、私――良喜札めくるの言葉を繰り返す。その視線は、後ろに控える護衛騎士のカーティス共々、宙に浮く『月』のカードに釘付けだ。


 描かれているのは、夜空に輝く上弦の月。その下で野犬と狼が遠吠えを響かせる水辺には、昼間は姿を見せないザリガニが這い出している。


「そうよ。古来より、人は夜を恐れてきた。何が潜むか分からない、先の見えない暗闇。月は、恐怖暗闇の先にあるものを照らし出すの」


「暗闇……俺が一体、何を恐れているというのだ?」


 震える手を握りしめながら、ライオットは口早にまくしたてる。


「経理部署の連中の追及をか? 監査部署の掌返しをか? それとも宰相の脅しをか? 恐れる? 俺が? カニンガム王国第二王子の俺が、自分の欲を満たすことしか眼中にない輩の言葉を恐れているとでも言うのか!?」


 拳でひじ掛けを殴りつけながら立ち上がったライオットに、私はただ一言を返す。


「『敗北』」


 ライオットは唇を噛んで、私にすさまじい形相を向けた。図星を突かれた怒りに、言葉を忘れたのだろうか。


 暖炉の薪は既に白い灰の山を作り上げている。冷え始めた部屋の中で、私は再び口を開いた。


「あなた、この部屋に来てから『絶対に許さない』とは言い続けてるけど、『負けたらどうなるか』を具体的に言及してないわ。無意識に、あるいは――目を逸らしているのかしら?」


「違う! 『負けたらどうなるか』だと!? そんなこと、口に出せるわけがないだろうが! そんな――」

「そんなことを?」


 割り込ませた言葉に、ライオットのまなじりが上がる。白くなるほど引き結ばれた唇から、いつ罵詈雑言が飛んできてもおかしくない雰囲気だ。


 ――怖いわね、正直……でも、これしきでビビっちゃいられないわ。


 画面越しではない生の怒りに、怯みそうな自分を叱咤する。ライオットに『恐怖と向き合え』と言うのに、自分がすくみ上っていたら説得力がまるでない。


 だが、このままではライオットに占いの結果を伝えることが出来ずに終わってしまう。自分を見直すための占いで、自分を見失わせるのは本末転倒にも程があるだろう。


 私はライオットの目を見据えながら、彼の心に届くよう慎重に言葉を紡いでいく。


「ライオット。本当に敗北を恐れない人は、敗北を見据えることに迷いはないの。自分にとっての敗北とは何かを理解した上で、それを避けるためにあらゆる手を尽くさねばならないからよ。


 身を、心を、知恵を、そして魂を。何もかもを傾けて敗北しないための最善を尽くすこと。


 古来より人は、全てを掛けて臨むその行いを――『戦い』と呼ぶのではないかしら?」


 ハッ、とライオットが息を呑んだ。彼の顔から、わずかに怒りが消える。


「負けられないと思うからこそ、何をもっての『敗北負け』なのか。それを理解しないまま戦っても、何の成果も得られないわよ」


 その言葉に、ここまでの私たちのやり取りを見守っていたカーティスが反応した。


「メクル様は、戦いの精霊ではないのですよね?」

「そうよ。どうしたの?」

「いえ、その。今のお言葉と同じ内容が、騎士学校の教本にありましたので。『戦いに際しては、勝利と敗北に明確な条件を付けよ』と」


 そんなカーティスのげんに、険しかったライオットの眼差しに冷静さが戻る。

 意図してではないだろうが、カーティスが良い流れを作ってくれたので、遠慮なく乗ることにした。


「戦いって、何も武器を取って血を流すだけじゃないわよ。人間は、立場や考え方の違いから、どうしても他人と衝突せずにはいられない生き物だもの。だからどんなに避けようとしても、人の輪の中で生きる限り争いからは逃れられない。


 特に政治の場なんて、その衝突が一番激しいんじゃないかしら?」


 ライオットは目線を床に落とし、カーティスは深く頷いてみせる。私は平静を保ちながら話を続けた。


「争いに身を置けば、どんな人間でも目の前のことで手一杯で視野は狭くなってしまうわ。


 そんな時に一度立ち止まって、自分と周りを見直す機会を作って、別の道を示すのが占いよ。


 だからこそ、あなたが見ようとしていなかった道が示されたなら、その道の先を案内するのが占い師の仕事。言ったでしょ? 誠実かつ容赦ないって」


「……そう、だな……すまない。怒鳴ってしまって」

「いいわよ。気にしてないわ」


 どうにか、話が聞ける状態に戻せたようだ。私は改めて、ライオットを正面から見つめて問う。


「さあライオット。あなたが恐れるものは、何? あなたは負けたら、どうなるの?」

「俺が……負け、たら……」


 ライオットは顔を歪めながら、ぽつりぽつりと言葉を絞り出していく。


「宰相派が、勢いづくだろうな。そうなれば、母上の立場が危ぶまれる。それだけじゃない、兄上や弟、妹たちも下手をすれば追い落とされるだろう。


 そこに宰相派が側室の子息や令嬢を担ぎ上げてきたら、これまでの二国融和の努力が無意味になるし、隣国との関係も悪化してしまう……」


 ライオットの言葉に、なるほど、と得心する。二国間の関係悪化もそうだが、それ以上に彼は、家族をおもんばかっている。

 母親の努力、兄弟姉妹の立場。それら確かに、彼が守りたいと願うものだろう。


 でも――違う。


「立場が危うくなったり、追い落とされたりって、具体的には?」

「ぐっ……うむ……まず俺は不正を主導したと見なされ、王族の籍から抜かれた上で王宮から追放、どこかの地方で軟禁……と言ったところか。


 正妃である母上に直接危害を加えられる恐れはないが、風当たりも強くなり発言権は落ちるだろうな。

 兄上は、俺への監督不行き届きで王の後継に相応しくないと、王太子の位をはく奪されるやもしれぬ。


 もし、もし万が一そうなってしまったら……」


 そこでライオットが不自然に言い淀む。私は黙ってライオットの言葉をジッと待った。


 『月』のカードに描かれているのは水辺。水は、タロットにおいて感情の比喩。月と共に満ちていく波打つ感情の向こう側に、彼が本当に恐れるものはある。


「そうなったら……宰相派は、ここぞとばかりに側室の男児を担ぎ出してくるだろう。そうなった時、兄上、俺、そして弟は、王位を脅かす敵と判断されて――される」


 足元から迫り来る冷たい恐怖に凍え、声を、身体を震わせながら、ライオットは最後の言葉を吐き出した。


「向こうは同じ国の者であろうと毒を盛るのだ……俺たちに容赦をするわけがない……!」

「殿下!」


 真っ青な顔で今にも倒れそうなライオットを、カーティスが後ろから両肩を掴んで支える。

 ライオットは恐怖の余波から抜け切れていないものの、カーティスの存在に安堵しているようだった。


 ――毒か。そう言えばさっき聞いたわね……それにしても、随分な怖がりようじゃない?


 家族に危険が及ぶかも、と心配する気持ちは分かる。

 しかしこれまでのライオットと比べて、あまりにも繊細過ぎる反応に、私は違和感を覚えた。


 落ち着いたのを見計らって、私は確認のために二人に質問する。


「確か、不正を告発した文官の方が、毒を盛られて倒れたのよね?」

「そう、だ……俺が、最初に発見した……」

「申し訳ございません。自分が最初に部屋に入って確認すべきことでした」


 ――あーっ! それでか! そんなんトラウマにもなるわよ!


 ライオットの、家族の死に対する明確過ぎるヴィジョンと、尋常ではない恐れぶりに納得がいった。

 自分の知り合いが毒を盛られて倒れた所に居合わせたら、とても冷静でなんていられない。


 しかも、毒殺を指示した奴が家族と同じ王宮職場にいるのだ。家族が同じ目に遭わされるかもしれない、という考えが常に脳裏をちらつき、反論や踏み込んだ行動がとれなくなる。


 ここまで計算づくで毒を盛ったとしたら、全くもって悪辣あくらつ極まりない。


 不正の隠ぺいのために他人を殺すこともそうだが、何より、人を平気で傷つけ、心に一生の傷を負わせて間接的に脅し、思い通りに動かそうというその精神性が気にくわない。


 とは言え、今は占いの最中。さらに言えばこれはライオットの問題なのだ。私が息まいてどうにかなることはない。


 ――私に出来るのは、タロット占い。占いで、ライオットに道を示すこと。


 彼は自力で恐怖のに向き合えた。ならきっとも大丈夫。


 カーティスに支えられてソファに座りなおしたライオットに、私は穏やかに声を掛けた。


「怖かったわね、とても。自分の家族に毒を盛る奴がすぐ近くにいるかもなんて、ずっと想像してたら耐えられないわよ。あなた、そんな中で戦ってたのね。偉いわ、ライオット」

「メクル……」


 憔悴した顔でこちらを見つめるライオットに、私は穏やかに、だけれど残酷な問いを投げた。



「それほど家族を想うなら……家族のために、不正を告発した文官を見捨てて戦いを止める?」



 ライオットは、私の問いに無表情のまま目を閉じて黙り込んだ。重い沈黙が、部屋の中を満たす。

 窓の外はもう暗い。暖炉の消えた寝室に、夜の冷たさが染み込み始める。


 やがて邪念を振り払うようにきつく閉じられた瞼が、長い長い溜息と共にゆっくりと開かれた。


「できない」


 瞳に宿した決意を、ライオットはゆっくり言葉へ変えていく。


「嫌だ。このまま終わるなんて絶対に嫌だ。宰相に頭を下げるのも、嫌だ。監査部署に冤罪を掛けられたままなのも嫌だ。でも何より、経理部署の所業を見過ごすなんて以ての外だ」


 だって、と。彼は言った。


「だってそんなの、ユースティスが報われないじゃないか」


 そう言い切ったライオットの顔は、見た目の年齢よりもずっと幼く見えた。

 第二王子というしがらみに囚われない、掛け値なしの本音。彼自身の魂の言葉。


「ユースティスというのは、不正を告発した文官の方ね?」

「ああ。正妃派と宰相派の派閥の垣根を越えて、国を良いものにしたいのだと言っていた」


 ライオット曰く。最初は宰相派の巣窟である経理部署の策謀かと半信半疑だったが、集まる証拠の信ぴょう性は疑いもなく、何よりユースティスの熱意が本物だった。

 その姿に心を打たれたからこそ、不正の追及に協力したのだ、と。


「王族の特権は、国を正しく動かすためのものだ。国を正すために使えずして、何のための権力か」


 『家族に累が及ぶ恐怖』と『正しさに報いたい気持ち』。この二つに向き合ったライオットの纏う凛とした空気には、怒りも恐れもない。

 あるのはただ真っすぐな熱意のみ。


 ――うん、これなら見せてもいいわね。


「そうね。家族も信念も、両方大切にしたいもの。でも、両方とも一人で抱え込む必要はないんじゃなくて?」


 私はライオットの後ろに視線を向ける。振り返ったライオットの先に居るのは、護衛騎士のカーティスだ。


 カーティスは私の視線の意味を正しく理解し、胸に手を当ててライオットに頭を下げた。


「僭越ながら、ライオット殿下。正妃陛下や王太子殿下、弟妹の皆様には我々護衛騎士が付いております。

 授かった剣に誓って、如何なる企みからも、皆様をお守りいたしましょう。殿下に置かれましては、どうぞその信念を貫いて下さいませ」


「そうか……世話を掛けるな、カーティス」

「いえ。我々もまた、信念に従って勤めを果たすのみです」


 カーティスとの短いやり取りを終え、こちらを向いたライオットに、私は最後までめくっていなかった一枚を指し示す。


「道が見えたようで良かったわ。そうでないと、このカードは見せられなかったから」

「そう言えば、それは伏せたままだったな。何故だ?」


「自分を見失ってたように見えたから。そんな人間にこのカードを見せたら、根拠のない自信で間違った道をひたすら突き進んじゃうもの」


 私は十字の中央にある五枚目のカード――四枚目の助言を受け入れた先の未来を示すカードを開いた。


「さあ、これが助言を受け入れた先の未来。進むべき道を見失った熱意ある騎士は、しがらみに捉えられ己を見失い、敗れ去る運命にあった。しかし己の内なる恐怖を見据え、本当に目指す先を見つけたのなら、迷うことはもう何もない」


 白と黒の二頭の聖獣の手綱を取り、石造りの城から正面を見据えて出陣する豪奢な鎧に身を包んだ人物のカード。


 家族への想いと自身の信念の両方を携え、進むべき道をひた走る――


「カードの名前は『戦車』。意味は『困難の克服』そして――『凱旋』よ」



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