第2話 良喜札めくると最初の遭遇


「クソッッッタレがぁ!!!」

「ひょぅわっ!?」


 いざ異世界の情報収集! と意気込んだ瞬間、怒りも露わに一人の男が、罵声と共に寝室に入って来た。


 私――元占い師VTuber良喜札よきふだめくるは、空中に浮いたまま奇妙な悲鳴を上げて跳ね上がったが、男は私に目もくれずズカズカと部屋を横切り、暖炉の前のソファへ乱暴に腰かける。


 ――そっか、幽霊だから見えてないのね……


 やはりと言うか、幽霊となった私の姿は周りに見えていないらしい。この様子だと、さっきの悲鳴も聞こえていないだろう。

 安堵しつつも、自分が死んでしまった事実を再認識してちょっとへこんだ。


 とは言え、折角この世界の住人にお目に掛ったのだ。情報収集を兼ねて、しばらく近くで観察させてもらおう。

 そう決めた私は、気を取り直してソファに座った男を眺める。


 金糸で縁どられた詰襟の濃紺の上着に、投げ出された足の長さを強調する皺一つない白いズボンと、細身の黒革のブーツ。

 ライオンのたてがみを思わせる赤みがかった茶髪は逆立ち、森色の瞳は鋭く細められている。


 年齢は二十代に届くか届かないかだろう。暖炉の炎で照らし出された、精悍で彫りの深い顔立ちを憤怒に歪めながら、男は深々と溜息を吐いた。


 ――なんだか相当、参ってるみたい?


「失礼いたします。入りますよ、殿下」


 フワフワと漂いながらそんな感想を思い浮かべると、開いたままの扉から、また一人別の男が顔を出した。


 こちらも二十代くらいだろうか。短い黒髪のすらりとした細面の青年だ。

 使い込まれて鈍い輝きを放つ鎧の上から、青と白のサーコートを着ており、胸元には黒く染め抜かれた盾模様の上に金の獅子が刺繍されている。


 その上から『殿下』と呼ばれた男の上着と同じ色の濃紺の短いマントを羽織り、腰には細身の剣を下げている。いかにも西洋の騎士様といった格好だ。


 ――殿下ってことは、王子様? じゃあここってどっかの国のお城!?


 生まれて初めて生で見る王族におののいている私にお構いなく――まあ、見えてないから仕方ないけど――おそらく『殿下』の護衛であろう青年は、苛立ちも露わな彼の前に臆することなく歩を進めた。


「散々でしたな」

「全くだ! 筆舌に尽くしがたい屈辱だった……!」


 ソファに座る『殿下』が、悔しげに歯噛みするのを、護衛の青年は静かに見守っている。

 気安い口調から察するに、互いに気心が知れた間柄なのだろう。余計な言葉を交わすことなく意思疎通が取れている。


 が、如何いかんせん今は『殿下』のほうが冷静さを欠いていた。


「あ奴、決して許しておけぬぞ――……忠臣の皮を被った金の亡者が……!」


 バチンッ! と、大きな音を立てて薪が爆ぜた。室内を、張り詰めた沈黙が支配する。


 ――こわぁ……王宮ってやっぱドロドロしてるもんなのねえ……


 私は宙に浮いたまま若干二人から距離を取った。

 情報が欲しいとは思ったけど、違う、こういうのじゃない。


 本音を言えば、さっさとこの居たたまれない空気が占める場から逃げ出したい。

 しかし反面、この二人が巻き込まれているであろう厄介事に興味がないと言えばウソになる。


 何せここは異世界。右も左も分からない今、自分の身を守るためにも、巻き込まれ防止に話を聞いておきたい。


 そして何より。


 ――ああいう人にこそ、占いって必要なのよねえ。


 自分の中の占い師の矜持、ついでに野次馬根性とお節介焼きの性分がムクムクと首をもたげて来たのだ。


 あそこにいる『殿下』は、誰が見ても怒りに我を忘れている。そんな状態で事態の解決に当たっても碌な結果にならない。必ず、どこかで後悔が残る。


 個人的に、占いは『自分や自分を取り巻く状況を客観的に見直す手段の一つ』だと思う。


 たとえば血液型占いや数秘術など、自分を定義する類の占いは、自分では気づけなかった心の一面を発見することができる。

 あるいは占星術、ルーン、そして私の得意なタロットなど、運勢を予測する類の占いは、自分を取り巻く状況を様々な角度から分析することができる。


 自分を見つめる。周りを見渡す。どちらでも良い。

 一番恐ろしいのは、何も見通せないまま進んでしまうこと。

 誤っていると気づけないまま誤り続けて、泥沼にはまること。


 見ず知らずの相手とは言え、自分より若いであろう青年に道を誤らせるのは、占い師の端くれとして、何より一人の大人として見過ごしたくない。


 ――とは言え、今はタロットも手元にないしなぁ……


 ハァ、と私は誰にも聞こえない溜息を吐く。


 タロット精霊という設定なのに、肝心のタロットを持ってないとは。アイデンティティーの崩壊じゃないのか。

 そもそも、カードがあっても幽霊の自分に占えるのか。占えたとして、その結果を見えも聞こえもしない相手にどう伝えるのか。


 タロット精霊がタロットで占えないなんて、架空の自分とは言え情けない……そこまで考えて、ふと思いついた。


 ――もし私が設定どおりの『めくる』になっているのなら……タロットカードの『召喚』とか出来たりするかしら?


 『召喚』――確か、未開の森から配信している設定のVTuberさんとのコラボで、お相手のチャンネルにお邪魔させて頂くにあたって、その設定が生えたはず。


 打ち合わせの際、『すみません。うちの森未開なので、駐車スペースないんです。おっきいお城で来られるのはちょっと……』と難色を示された時、義弟が提案したものだ。


 良喜札めくるは夢と現実の境に住む精霊。夢の世界を漂う浮遊城『秘奥アルカナ』から現実世界へ、城にあるものを『召喚』することが出来る――とか何とか。


 もちろん、現実ではそんなこと起こせっこない。

 でも、『めくる』の姿で異世界転生(?)というファンタジーな出来事を現在進行中で体験している今、ひょっとしたら行けるんじゃないだろうか……なんて、普段の自分では絶対出てこない考えが浮かんでくる。


 ――どうせ誰にも見えないし、試すだけ試してみようかな。


 失敗したところで、私がちょっと恥ずかしいだけだ。

 そう開き直った私は、コホン、と一つ咳ばらいをしてから、右手を掲げこう唱えた。


「――来い、私のタロット!」


 その瞬間。なんと掲げた掌に光が集まり、輝き始めてしまった。


「え!? マジで来た!?」


 そして驚いたのは私だけではない。


「な、なんだあの光は!?」

「殿下! お下がりを!」

「噓でしょ見えてんの!?」


 しかもこの光、どうやら『殿下』と護衛の青年にも見えている。


「えっあっどっ、どどど、どうしよう!?」


 右手の光と下の二人を交互に見ながら慌てふためいている内に、光の中から見えてきたのは、慣れ親しんだ黒いビロードの巾着袋。


 間違いなく、私のタロットが入った袋だ。


 だが大パニックに陥っている私が、突然現れたタロットを冷静にキャッチできるはずもなく。


「わっ、ちょ、あーーっ!!」


 空中で取り損ねたタロットが入った袋は、それは見事な放物線を描いて吸い込まれるように殿下の胸元へ向かった。


「うわっ!?」「殿下!?」


 予期せず飛んできた巾着袋を、殿下が胸元で咄嗟にキャッチ。そして。


「なんだ?」


 殿下は手にした巾着袋を、躊躇ためらうことなく開け始めた――って、はあ!?!?!?


「ちょっ、勝手に開けてんじゃないわよーーーーー!!!!!」


 自分が幽霊ということも忘れ、私は巾着に指を突っ込む『殿下』に向かい、右手を伸ばして飛び掛かった。

 袋の中からタロットが無遠慮に引きずり出されたのと同時に、半透明な私の右手が殿下の指をすり抜けてタロットに触れる。


「ひゃわあっ!?」「うおっ!?」


 刹那、まるで私の意志に呼応するように、殿下の手からタロットカードが一斉に飛び出した。


 宙を舞った七十八枚の色鮮やかなタロットたちは、中途半端に伸ばされた私の右の掌に吸い込まれるように、一ミリのずれもない山札となって収まる。


 いや、違う――私の手元にあるタロットは、全部で枚だ。


 残りの一枚がある場所に目を向ければ、こちらを見上げる森色の瞳と


「誰、だ……?」


 山札に戻り損ねた一枚を右手に掴んだまま、呆然とした顔の殿下は――確かに、私を見てそう言った。


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