第12話
「……どうして?」
「命の恩には、命の恩で報いる。それではだめか?」
「だめに、決まっているでしょう? もうさよならだって、言いましたよね」
「女が泣きながら言ったことを信じるようでは、馬鹿な男と言われても文句は言えまい」
「泣いてなんていません。かっこつけて、こんなところまで来ちゃって、それこそ馬鹿なんじゃないですか?」
「何とでも言え。目の前で助けを求める女一人救えないで、何が英雄か。何が帝国一の冒険者か。自分が最強だと信じているからこそ、手を伸ばせる範囲のものはすべて救う。俺はこれまでずっとそうしてきた」
「それ、ここにいるのが私じゃなくてもよかったってことですよね。私、そんな人に助けられたくないです」
「ああ言えばこう言う……屁理屈だけは良く吐く口だ」
「だって、私はデキウスさんに助けなんて求めてないです。私だけでも全然脱出できますから」
「今から脱出しようと思っている奴が、そんな腑抜けた面で地べたに座り込むものだとは思わんがな」
「それはちょっと、まだ時期尚早だなって、思ってただけです。フレスちゃんさえ呼べればなにも問題ありません」
「呼べれば、か。この結界を超えて魔法を使うのは大分骨が折れるぞ。俺でもきつい」
「し、素人だからできないとでも?」
「見栄を張る必要もない。その程度のことは少し魔法をかじっていれば誰でもわかる」
「ちょっとくらい自分が最強だからって人のことを下に見て! 私だって、ここから出たいとは思いますけど、それと同じくらいデキウスさんに頼りたくないんですよ! わかりませんかねぇ!?」
デキウスさんがあんまりにもしつこいものだから、つい語気を荒くしてしまう。
だけど当のデキウスさんときたら、ふっ、と鼻で笑い飛ばしやがった。
「ああ、やっと本音を話し始めたな。無意味だと思っていた問答にも多少の意味はあったようだ」
むかつく。むかつくむかつくむかつく!
これだけ突き放してるんだから、離れていけばいいのに!
今までの人は何もしなくたって勝手に離れていったのに!
なんでこの人は私のそばにいようとするの?
私なんて、ちょっと頭でっかちで、人に嫌われることを怖がってよくわかんないことするし、ペットにしか気を許してないような根暗な女なのに。
どうして? どうして優しくしようとするの?
……また私に希望を見せてから捨てるの?
「そもそも、どうやってここに来たんですか」
「お前が俺を追い出した後に取りそうな行動など簡単にわかる。後は屋敷に忍び込んでみれば、お前の姿が見えなかったから怪しげなところを当たっただけだ」
「有能なのも考え物ですね。竜退治みたいな頭を使わないのが得意だったんじゃないんですか?」
「竜退治は楽しいから好きだが、別に他の仕事ができないとは言った覚えがないな。冒険者というのは、突き詰めれば何でも屋だ。魔物だけ倒していればいいというものでもない」
「それで、やることが貴族の不正を暴くことではなくて、小娘1人を助け出すこと、ですか?」
「お前を助け出すことにはそれだけ価値があると思うがな。能書きだけでも、隣国の王妃候補だった女。しかも
「ああ、確かに高く売れそうですよね。ここの家主もそう思ったからここに捕らえてるみたいですよ?」
「何より俺の命を救い、俺に優しくした女だ。それだけで、どんな能書きよりも上等な意味がある」
「それは……そんなに大事なことでしょうか? それこそ倒れていたのがデキウスさんじゃなくても、私は助けていたと思いますよ?」
「それでも、実際に助けられたのは俺だった。そして、助けたのはお前だった。それ以外の仮定に何の意味があると言うんだ」
「だって、だって、だって、このままじゃデキウスさんが私のことを助けちゃうじゃないですか!」
「助けられて困るやつは流石に初めて見たな……わかった。お前が得するかどうかじゃ納得しないんだな。ならこうしよう」
デキウスさんが右手を鉄檻へと触れる。
まずい。このままでは普通に助けられてしまう。
なぁなぁで済ませちゃったら、また人生のどこかで何かがおかしくなってしまうかもしれないのだ。
徹底的に拒絶しないと!
「お前が俺に助けられてくれないと、俺は女一人助けられず子爵家の野望も止められなかった間抜けな男として悪評を広げられ、名声が地に落ちる。失望されて、リジルとの縁も切れるだろうな」
「ひ、卑怯ですよ! 人質を取るつもりですか!?」
「囚われているのはむしろお前の方なんだがな……」
「でも、でもデキウスさんほどの人なら、一回の失敗でそんな酷いことにはならないはずです! ヒヒイロカネ級の冒険者なんですよ!? そんな悪評跳ねのけてしまうに決まっています!」
「お前は俺を拒絶したいのか、褒めそやしたいのか、そろそろどちらかに決めてくれないか」
「そりゃあデキウスさんがいい人だからこそ、私に関わってほしくないんですよ。そろそろ諦める気になってきません?」
「これだけ賭けてもまだ足りないか。形ないものではダメということか?」
「何を賭けたってダメなものはダメなんです! ダメだからダメなんですよ!」
「むぅ……他人から何を言われてもダメ、か。はぁ……これ以上追い詰める真似はしたくないんだがな」
「ふふ、なんだかやる気がわいてきてますからね。今の私は絶好調ですよ? この私にうんと言わせたら大したものですよ」
「なぜこいつは牢から出ないことに全力を出しているんだ……? まぁいい。少し荒っぽくなるから覚悟しておけ」
「む! 結局暴力に頼って勝手に助け出すつもりですか!? その手には乗りませんよ! 檻がなくなったとしても私はここに居座りますからね!」
「お前が妙な覚悟を固める分には構わないんだが、その前に一つだけ言っておいてやりたくてな。これで何も思わないのなら、そこで一生正座していればいいだろう」
「へぇ、この私をたきつけようって言うんですか? ぶっきらぼうで口下手なデキウスさんが? コミュニケーションが仕事のこの私を? 私、口先には自信ありますけど」
しかもさっきまではあんなにへこんでいたのが嘘のようにやる気に満ち溢れているのだ!
今ならデキウスさんだろうとフレスちゃんだろうとリジルだろうとワンパンで返り討ちに出来るに違いない!
そんな私に何を言ったって無駄無駄無駄ぁ!
「自信か。お前はこの世で信じられるのは自分だけだと言っていたな。それだけを支えに生きていると。だが、本当はその自分のことすらも信じ切れていないだろう? 俺にはそう見えるが」
む、だ……?
「お前のそれは自信ではない。ちっぽけな自尊心と、たまたまそれを埋め合わせてしまった成功体験だ。あのフレスという鳥と出会っていなければ、お前はその仮初の自信に
「私は、私とフレスちゃんのことだけは信じています。それは、出会って数日のデキウスさんに否定されるようなことじゃないと思うんですけれど」
「お前にとって信頼とは、その身を安心して預けられる存在に向けるものだ。だが、現状フレスはお前のことを助けに来ていない。やつは、お前の身を預けるに値しないことを現在進行形で証明し続けている」
「違います! 私が呼んだ時に来てねって、そう言ったからフレスちゃんは来てないだけです! フレスちゃんは何も悪くない! 勝手なことを言わないで!」
「だが、それはお前の定義では裏切りと呼ぶのではないのか? 助けてほしい時に助けてくれない存在は、お前にとって敵ではなかったのか?」
「それはっ! それは……だって、でも、フレスちゃんは私の半身で……」
「そしてそれは、お前自身にも言えることだ」
「なんですか? 私が、私のことも信じられていないって、本気で言っているんですか?」
「その通りだろう? お前はいつでも俺に助けを請うことができるというのに、いつまでもそれをしない。確かに一度離別は告げられたが、もし本当に別れを決断し続けられるのであれば、助けられた後にもう一度改めて離別すればいいだけのはずだ」
「……一理は認めましょう」
「お前は、恐れているのだ。ここで俺に助けられることで自分の決断を貫き通せなくなるのではないかと。自分の判断は間違っていたのではないかと自分を疑うことを。自分を疑いたくないから、そうならないように尽力する。それは、俺に離別を告げた時と全く同じ行動原理だな」
「でも私は、私は、自分のことだけは信じています! 信じてるんです! だから、他の人に何かを言われても揺らがないように先回りするんです! それの何が悪いって言うんですか!? 私は私を信じたいから! だからそうしようとしてるだけです!」
「本当に自分を信じている人間とは、他人に何を言われても芯のところは揺るがないものだ」
「なら私もそうでしょう!? 私は自分が間違ったと思ったことはありません! 間違っているのはいつだって私以外なんです! 私だけが、信じられるんです!」
「それが、その瞳で見た真実とやらか?」
「私の瞳は運命を見通す! その人がどれだけ間違った道を歩んできたのか! 空回り続けてきたのか! そして、私が導くことでどれだけ正しい道を歩けるのか! 私だけが、それを知ってるんです!」
「ならば、お前がその眼と心中できると言うほどに狂信できているというのならば、その眼で俺を見るがいい」
「……私の瞳は、私の運命に深く関わる人のことは見通せない。だから、デキウスさんのことを見ることはできません」
「お前は今そうやってあたかも絶対のルールのように語って、俺から眼を逸らし続けている。俺がここに現れてから、一度でも目を合わせたことがあったか?」
「私は、私は……」
「お前が俺を遠ざける理由がよくわかった。俺がお前に愛想を尽かせば、お前は俺の運命を見通すことができるようになるのだろう? ……見えないものは、怖いからな。すべてが見通せるというのならば、なおさらだ」
「見たくない……見たくないんです……だって、これだけ面倒くさい女、誰だって愛想をつかして当然じゃないですかっ。家族にも、国にも見捨てられたんですよ……? もしこれでデキウスさんにも見捨てられてたら……私は、もう自分すら信じたくなくなっちゃう! こんな瞳、持たずに生まれてくればよかったって、自分のことまで嫌いになっちゃう! これだけ優しくしてくれるデキウスさんだから、絶対に見ません。もう、助けたいなら勝手にしてください……だから、それだけは勘弁して……」
目の前の鉄檻がぐにゃりと折り曲げられる。
あれだけたくましいたくましいと思っていた手は、見た目よりも強靭だったみたいだ。
その手が、檻の中に座り込む私のおとがいを持ち上げる。
抗いたくても抗えない、男らしい動作。
……こんな私を見捨てないでくれようとしているのだ。
デキウスさんに何をされても、抗えるわけがない。
怖がる私の背中を押してくれているのだ。抗う理由がない。
「顔をあげろ。こちらを向け。そこに映っている者こそが、答えだ。誰でもない、お前の望んだ、見通せない運命だ」
ああ、何も見えない。
その真蒼の瞳の奥に映っているのは、泣き崩れて表には出せない顔をしている弱虫な女が1人だけだ。
何の運命も映ってはいない。いや、映っているものこそが運命なのかもしれない。
私の瞳にはデキウスさんが、デキウスさんの瞳には私が映っている。
本当に私には
家族でも私の関わらない部分については見通せていた運命が、まったく見えない!
それって、つまり、デキウスさんの人生で私に関わらないことなんてこれっぽちもないってことで。
……隠し事なんて何もないっていう、これ以上ないプロポーズなんだわ。
「デキウスさんっ!」
私は、なんだか感情が込み上げてしまって、もう何かを考えるのも馬鹿らしくなってしまった。
ただ今は、この人の胸に飛び込みたい。
それ以外のことはどうでもいい。どうなってもいい。そんな情動だけが胸の内を満たしていた。
デキウスさんは柔らかく受け止めてくれて、唐突に抱き着いたというのに、何も言わずに背に手を回し、もう離さないとばかりに抱きしめてくる。
もう離さないのはこっちだってそうよ! やっと見つけた運命の相手だもの!
ちょっと遠回りさせすぎてしまったかもしれないけれど、それでも、こんな私を見捨てないでいてくれる……そんな素敵な男性がいるなんて、これっぽっちも想像してなかった。
愛を試さないと安心できないなんて、こんな不安症な私でも、許される日が来るんだ……。
デキウスさんの顔が、すごく近い。
夜半に酔っぱらって帰ってきた時のデキウスさんは、本当は何を思っていたんだろう。
今と同じこと考えていたんだろうか。
こうやって、顔と顔を近づけて、そして甘く蕩けるくちずけがしたいって思っていたんだろうか。
微かに唇と唇が触れた。
初めての感触。王太子にすら許さなかった、私の純潔が一つデキウスさんに捧げられたのだ。
嬉しくておかしくて、でもそこでなんだか怖くなってしまって顔をそむけてしまった。
デキウスさんがくつくつと笑っているのが聞こえてくる。
そりゃ商売女の人と付き合いがあれば、キスの一つや二つは経験があるでしょうけどね! 私は初体験だったんだから、笑うことないじゃない!?
「俺はお前に、心の底から笑っていてほしいのだ。悲しみの笑顔ではなく、喜びの涙ではなく、心の底からの笑顔を、お前に」
「まったく……お前お前って、こんな時でも名前を呼んではくれないの?」
「お前が本当はどちらの名で呼んで欲しいのか、聞けていないからな。まだ自分を偽る必要はあるか?」
「ふふ、ないに決まってるじゃない! さぁいっしょにいきましょデキウスさん!」
「ああ、お前はそうやって笑ってくれていればいいんだ、アストレア」
「でも、こんな女一人救うために人生の墓場につっこんじゃって本当に良かったの? 私としては、とても助かるのだけれど」
「そろそろ身を固めろとリジルもうるさかったところだ。俺としては最初に助けてもらった時点で求婚する予定だった。口説き落とすのに少しばかり手間取ったが……まぁ、人付き合いが下手なもの同士だ。上々な幕引きだろう」
さ、最初からプロポーズの予定だったって……デキウスさんも意外と純朴よね。
恋を知らないっていうか、こうと決めたら迷いがないというか……。
いや迷われたら、私が選ばれることなんてなかったと思うからそこはありがたいんだけれど。
「やっぱり誰でもよかったみたいで、納得がいかないわね」
「それこそ俺たち二人だったからこその運命だと、俺は思うがな。見えてしまうからこそ、アストレアにとっては
「……そういう恥ずかしいことは、あまり口に出さないで欲しいのだけれど。運命のつがい、だなんてそれこそ御伽噺みたいで気取りすぎじゃない?」
「かたや運命を見通す女神のいとし子、かたやヒヒイロカネ級の冒険者。十分すぎるほどに御伽噺だろう。……どうせ、リジルの馬鹿があることないこと盛って喧伝するぞ。断言できる」
「あの馬鹿殿どうにかならないのかしら? 今回の私の不調の7割くらいがあの人のせいだったと思うんだけれど」
「どうにかできていたら、俺はアストレアにプロポーズすることもなかっただろうな。あれはそういう男なのだ……そして、この国はあの男がいるから回っている国でもある」
難儀な国ねぇ。
でも、これからはただ店で仕事して暮らしていくだけの国じゃなくなる。
この国は、私とデキウスさんが出会った運命の国なのだ。
だから、ちょっとばかりの欠点は優しく受け入れてあげよう。
それが幸せになったものの、役目だと思うから。
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