第9話
「レぺザント侯爵家。レテちゃんはよくわかってると思うけど、最近は悪い噂が結構流れてるんだよ。あくどいこともやってるみたいだねぇ。仮にも王妃を輩出した家にこんな悪評がつきまとうなんて、なかなかないことだよ。リングザール王国では今何が起きているのやら……」
リングザール王国。私の、祖国。
今はもう忘れたい、置き去りにしてきた過去。
レぺザントの家が今どうなっているかなんて、私は知らない。
私にわかるのは、あの家は決定的に道を踏み外したということだけだ。
私の眼はその運命を見通した。
生家のはずなのに、私に関わるものの運命は見通せないはずなのに。
あの家が没落することだけは、あの国が傾いていく様だけは、私の眼に焼き付くようによく見えたのだ。
『
普段は少し人間観察が得意になるくらいの効果しかないくせに、私が本気で求めた時は、見たくないものをいやというほど見せつけてくる。
私はこの眼が、嫌いだ。
まるで、彼らが滅ぶのを私が願ったから運命がそうなったかのようではないか。
違うでしょう? 彼らは滅ぶべくしてその道を選んだから、私はそれを観測しただけなのに。
でも、この眼はこの情景から眼を逸らすなとばかりに、滅びの運命を見せつけてくる。
今でもたまに悪夢を見る。
妹が、親が、王太子がもがき苦しみ、断頭台の露と消えていくのを。
人々は怒り狂い、生贄に刃を落とした後も救われぬままにわずかな糧を食い合い、そして落ちぶれていく様を……。
たとえそれが成るべくしてなった未来だとして、それを見逃すことが正しい行いだというの?
私には今もあの国の滅びが明確に予言できるというのに?
デキウスさんは私にもっと自分勝手になっていいと言ってくれたけれど、私ほど自分勝手で浅ましい女もいないと思う。
だって、救える国を目の前にして、自分のことを追い出したからって何もせずに傍観する女のどこに、正義の心があるというのだろう。
私は、正義の名をいただくに相応しくない。
だから名を捨てたのだ。
そう、捨てたのに……。
「もっと素敵な女の子が王家に嫁げばこんなことにはならなかったかもしれない。なんてね、世間話はこれでおしまい! ばいばいアストレアちゃん」
私は何も言葉を返すことが出来なかった。
ちりんちりんと、ドアベルの音だけが虚しく響き渡る。
過去は、私のことを見逃してはくれないというの?
「アストレア……?」
「その名で呼ばないでください!」
ああ、ヒステリックな金切り声だ。私ってこんな声も出せたんだ。
頭の中で熱くカッカする部分と氷よりも冷たく凍り付いた部分とが、ぐるぐる追いかけっこしているみたいに暴れまわっている。
あの性悪男、絶対に最初から知っていたに違いない。
子爵程度のお家騒動にすら干渉しようとする男だ。
隣国の王妃候補の行く末など、当然のように捉えていたのだろう。
ということは私が
今の今まで泳がされていたことを不満に思えばありがたく思えばいいのか。
それでも、これだけ心中かき回されて感謝などできようはずもない。
やはり、あの男は信用できるタイプではない。
外面が良くて仕事ができたとしても、人を傷つけて、困らせて笑う、私のよく知っている支配者の振る舞いが身についた生き物だ。
表出の仕方が違うだけで、しょせんは自分よりも身分の下の者を何とも思わない男に違いない。
理性が何と言おうと、私の感情がそう決めた。
デキウスさんの友達がそんな人なわけないとか、私が傷つきすぎているだけで彼としてはからかったつもりなだけとか、そんなこと誰に言われなくなってわかってる。
でも! 許せないものは許せないもの!
人の弱そうなところに面白半分で触れて! それで相手が壊れてしまったらどうするというの?
仕方ない次のおもちゃを探そうって? 壊れなかったらいいじゃないかって?
そんなの無責任すぎるでしょう!?
私は運命鑑定士として、人の運命を見据える者。
その人の弱さも強さも受け入れて、その上で道を示してあげるのが真に相談に乗ることだと思ってる。
それを一方的に、自分の都合だけでどうこうしようなんて考えるのは、道義にかなっていないでしょうが。
それは、それは例え皇太子様でもやっちゃいけないことでしょうに。
だから私は、許さない。
私は、アストレア=レぺザントは、正義の女神の名をいただいた者として、道理の通らないことにうなづくことはしないのだ。
たとえそれは、元の名を捨てレテと名乗るようになってからも変わることのない在り
……でも、レテという女はもっと冷静で、人のためになる仕事をしていて、でも自分の機嫌は自分でとれる、独り立ちした立派な女だと思っていた。
でも、違ったのかしら?
ちょっと過去をつつかれたくらいで動揺する。許せないものを見過ごすこともできない。すぐに感情的になる弱い女だったかしら。
もっと余裕をもって、毅然と立ち向かえる強い女になりたいと、間違っていることに間違っていると言える女になりたいと、そう思ってレテという名前を名乗っていたはずなのに。
現実で出た言葉は、ヒステリックな否定の言葉だけ。
「あー、レテ? お前に何があったのかはわからないが、とりあえず座ったらどうだ。……紅茶でも淹れるか? 起きてからまだ飲まず食わずだろう」
デキウスさんが必死に慰めようとしてくれているのを見ても、全然心が動かない。
完全に凍り付いてしまっている。
あの時と同じだ。
『アストレア、お前との婚約は破棄させてもらう。お前はいつも余のことを見下していたな。耐えがたい屈辱だった。何様のつもりだ? たかが少し眼がいいだけの小娘が、何をもって王太子である余より上の立場にいると思いあがった?』
『マルス様、一体何を?』
『思いあがったお前の悪行を、可愛いラケシスがすべて教えてくれた。権力を笠に着て侍女をいじめ、人の行く末を惑わすようなことを言い、悪辣な嘘で人を陥れたな?
『そんなこと私はいたしません! ラケシスが何をお耳に入れたかまではわかりませんが……何か勘違いをしたのかと』
『よりにもよってラケシスまでも貶めようとしたらしいな? 現に今もラケシスの言うことは信用ならんと言うわけだ。ラケシスは、余がいかにこの世の王となるべき存在か、この世の誰よりもよく理解している。そんなラケシスが間違ったことを言うわけがないだろう?』
『あら、アストレアお姉さまったら、往生際が悪いですわよ。さっさと罪をお認めになっては?』
『ラケシス……! あなた!?』
『いや、もういい。一応は婚約者だったのだ。最後の時間はもう十分にくれたやったつもりだ。だが、この期に及んで謝罪の言葉は聞けなかったな。むしろ、ラケシスに筋違いの怒りを向ける始末……救えんな』
『いわれのない罪を受け入れろと!? マルス様はそうおっしゃるのですか!? もう一度お考え直しくださいませ。国王様がどう思われるか……』
『黙れ! 父の名を出したところで、余がひるむとでも思ったか!? もう父の時代も終わるのだ。そんな父が無理やり進めてきた婚姻ごと捨て去ってくれる! アストレア! お前は家名を
『マルス様……』
『もう余の名前をその口に乗せるな。名が穢れる。まったく、国を傾けた悪婦に対して寛大すぎるほどの処遇だ。運命が見えるとやらほざくその眼には、一体何が映っていたのやら……権力と財宝以外に映るものなどなかったのではないか?』
『私は、私は……』
『レぺザント家の当主も頷いた。お前との付き合いは今日で終わりだ。この国の王妃となるのは、皆を騙す小賢しい魔女ではなく、余の可愛いラケシスだ』
『おほほ、おほほほほ。お可哀そうなお姉さま。大嘘をついて、自分のためだけに欲をかいて、その挙句にどん底まで落ちぶれて、一体どんな気持ちかしら? ねぇ、今どんな気持ちなの?』
『私がしてきたことは、みんなのためだと思っていたことは、間違いだったというの?』
「レテ? レテ!」
「……デキウスさん」
「ああ、やっと反応したか。まずは座れ。顔色が悪い。俺の声もあまり聞こえていなかっただろう」
「デキウスさんは、なんでこの依頼に関わろうと思ったんですか?」
「今はそんなことどうでもいいだろう。まずは体を休めてだな……」
デキウスさんが優しい。こんなに優しい声は初めて聴いた。
でも、従えない。従えないよ。
「どうでもよくなんてありませんっ!」
「レテ……」
「答えてください。なんでですか? 命を救われたからその恩返しですか? それとも女一人で憐れに見えたからですか? あわよくば恩を売って手籠めに出来ると思ったからですか?」
「お前が今、普段のお前じゃないことは良くわかった。あの人をおちょくる馬鹿のせいで冷静じゃないということがな」
「そうかもしれませんね。確かに今の私は半分くらいしか冷静じゃないと思います」
実際に頭の中では熱いものと冷たいものがぐるぐると未だに回り続けている。
心はこんなにも冷たくて、1人箱の中に閉じこもったかのように、何にも動くことはないというのに。
「あの馬鹿は人の不安や弱みをつつくのが大好きなんだ。だから、今は深呼吸して落ち着けばいい。大丈夫だ。俺がついている」
「そういうのはいいです。間に合っていますから」
私は、見たいものほど見通すことができない。
いつでも自分と縁が切れてしまうことで初めて、自分の行く末を知るのだ。
最初から見えたのならばいい。その人とは、浅い付き合いで済むだろうから。
でも、最初は見えなかった人の運命が見えるようになった時、私はいつもひどい
だってそれは、もう私と深いかかわりがなくなったということの証明なのだから。
私がまた一人、親しい人を失ったという報せなのだから。
「いいから、答えてください。答えて。答えてよ……」
失いたくない。
また希望を持って、あるときそれに裏切られるのには耐えられない。
だから、もうここで終わりにしよう。
デキウスさんはきっと私の運命の人だったんだと思う。
それが恋愛でなのか仕事でなのかはわからないけれど、相棒になれる人だったんだと思う。
でも、もう私は失うことに耐えられないよ。
全部、全部忘れて、1人で生きていきたいんだ。
自分で決めた別れなら、きっと耐えられる。
だから、お別れするために、悪者になりきらなくちゃ。
デキウスさんはいい人だから、きっと私をほっておけなかったから手を貸してくれてるんだと思う。
ぶっきらぼうな人だけど、力のある冒険者さんだし、わかりにくいけど良識のある人だ。
傷ついた人を見つけたら、きちんと声をかけてあげられる人だ。
だから、私なんかが独り占めしていい人じゃない。
帝国でも一人しかいないヒヒイロカネ級の冒険者だもの。必要としている人がたくさんいるはずだわ。
こんな、最初から別れを前提にして人付き合いする女なんかにはもったいない。
もう私にこんないい出会いはないかもしれないけれど、そっちの方がもう何も失わなくて済む分幸せだと思う。
誰にも、迷惑をかけなくて済むし。
だから。
「デキウスさん、お願いします」
私が退かないことを悟ったのか、デキウスさんが呆れたようにため息を吐く。
そうだ、呆れてしまえ。そしてそのまま飽きてしまえ。
「レテ……お前が何を考えているかはわからんが、俺はお前に優しくされた。その分を返しているに過ぎない」
「単なる利害関係ってことですね」
「そこまで割り切った関係とも思っていないがな。袖すり合うも他生の縁だ。俺が困っていたからお前が助けた。お前が困りそうだから、俺が手を貸した。そこに打算も何もないだろう」
「そうですか? 私は打算しかありませんでしたよ? 実際、デキウスさんは私の護衛をしてくれました。ヒヒイロカネ級の冒険者をただで護衛に使えるなんて、すっごいお得ですよね」
「いきなり露悪的になってどうした。信頼関係が築けたと思ったから手を貸した。俺はそのつもりだったが……」
信頼、信頼信頼信頼ねぇ。
とても心地の良い言葉だ。
他人と他人とが結びつくにあたって最良の関係だと思う。
でも。
「ねぇデキウスさん」
人って、どうやって信頼すればいいんですか?
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