第6話

「結局、3枚も食べたのにあんまり味がわからなかったわね……」


 あのあと三羽烏亭に1人で入った私は、思う存分。心のおもむくままにみぞれチキンステーキを食べたのだった。


 もう食べられるだけ食べて、お腹がいっぱいになっても食べて。


 周りのお客さんからも食いっぷりを褒められてお酒を奢られて。


 でも、お腹は満たされたけれど心にぽっかり空いてしまったような穴は埋まらなくて。


 いや、特別な感情とかがあったわけではないけれど、目の前で商売女と遊んできます、とか宣言されて傷つかないほど女辞めてないんですけど。


 デキウスさんはイケメンで女の人の方から寄ってくるからそういうのに疎いのかもしれないですけど、女の子だって一人一人きちんと考えていることがあって、大事にしてほしいと思ってるのは別にお姫様願望だからとかじゃなくてただ普通に人間として扱ってほしいってことなんですけど。


 ですけど。けど。


「もーーーーー! デキウスさんのばか! なんで私がこんなに悶々としなきゃいけないんですか! 恋に恋する乙女でもあるまいし! むかつく!」


 鳥の脂でお腹だけじゃなくて胸までむかむかしているのだ。


 そうに違いない。


 食べて飲むのに夢中でせっかく酒場に行ったのになんの話も聞けなかったし、全部全部デキウスさんのせいだ。


 もう今日は寝ちゃおう!


 なんか明日説明するとか言い訳こいていた男もいたことだし、怒るのは朝帰りしてきたその時に回せばいい。


 そう思ってお風呂も済ませてあとはベッドに入るだけになった頃。


 家の方の扉からこつんこつんと音がした。


 ドアノッカーの音だと気づいたのは、その音が2度3度と繰り返されてからだ。


 ……こんな夜も遅い時間に、しかも店の方じゃなくて家の方に用があるなんて、誰?


 すわ泥棒かとも思ったけれど、空き巣にしろなんにしろ家主を起こすような馬鹿な真似はすまい。


 留守を確かめるにしても、こんな夜じゃなくて昼にした方が効率的だ。


 だとしたら、一体だれが?


「ホ~! ホ~!」


「んー。わかんないけど、フレスちゃんもいるしとりあえず出てみましょうか」


 何かあった時のために、フレスちゃんを肩にとまらせてドアに歩み寄る。


 もう寝間着に着替えちゃったけれど、顔だけ出す分にはまぁ問題ないでしょう。ちょっとだけはしたないけれど、こんな時間に尋ねてくる方が悪いのだ。


「はーい、どちら、あー、どちら様ですか?」


「見ればわかるだろう……。いつまで待たせるつもりだ。女一人の家。戸締りすることは悪いとは思わんが、帰ると言っているのに締め出されるとは思わなかったぞ」


「デキウスさん、ですか? え、朝帰りの予定はどうしたんですか? 女の子にフラれたんですか?」


 そこにいたのは、気持ち悪くなるくらいに濃い香水の匂いをぷんぷんと漂わせたデキウスさんだった。


 まだ夜はこれから更けていくところだというのに、なんでまたこんなところに?


「お前は、少し思い込みが激しすぎるな。俺がいつ、女と遊ぶために出かけると言った。そもそもそんなにかからずに帰ると言っただろうに……」


「え、だって、魅惑の踊り子亭に行くって、だから私てっきり、そういうことなのかなーって」


「男と見れば、女遊びしか頭にないとでも? そんなわけがないだろうに」


 扉に手をかけ、ぐっと開くデキウスさん。


 鼻を突く腐った果実のような匂いが近づいてきて、私は思わず一歩引いてしまった。


 香水の匂いは苦手だ。着飾った女たちがこぞってつける匂いだから。何のとりえもない、人の足を引っ張ることしかできない奴らの匂いだから。


 だからそんな女の匂いが染みついてしまう場所は好きになれないし、染みついてしまった人を好きになれるわけがない。


 かつての婚約者である王太子がそうであったように。


「まぁ、拗ねるお前を見るのは少し面白かったな。かわいげがないと思っていたが、なかなかいじらしいところもあるじゃないか」


 そんな私の内面などまったく知らないで、デキウスさんは勝手なことを言う。


 そういう思わせぶりなことを言うなら、せめてその匂いを落としてから帰ってくるとか、してほしかったんですけれど。


「私は、香水の匂いを纏った人に話しかけられても何にも嬉しくないです」


「ん、そうか。女というのはこの匂いが好きだから皆つけているものだと思っていたのだがな……」


 モテる男みたいなセリフ吐いちゃって。


 香水なんてつけるのは身分が高いか商売女か、それとも意中の男に本気の本気でアタックする時だけだって言うのに。


 そりゃ冒険者ギルドや食事処ではみんな仕事中にはつけてないだろうけど、プライベートならみんなつけているものだと思い込むほどにそんな女とばかり付き合いがあるってコトよね……。


 これだから顔がいい男は……。


「レテが嫌いだというのなら、落とそう。俺もこの手の匂いはあまり好きじゃない」


 そう言って魔法陣を浮かべるデキウスさん。


 冒険者たちが使う『浄化』の魔法だろうか。


 野生の獣に匂いを悟られないためにする消臭用に作ったら、森や山に泊まり込みの仕事でもさっぱりできると全然別のところで需要が増えたというあの。


 結構高度な光の魔法のくせにただの便利魔法なのに、攻撃魔法よりも人気が高いらしいけど……。覚えるには適性が必要だから使える人は重宝されるって聞いたわよ。


 なに、私が喜ぶと思ったから匂いそのままで帰ってきたってこと? 自分も嫌いなのに? いつでも落とせたのに?


 これだから顔だけじゃなくて心根までいい男は……。


「べ、別に気を遣ってもらっても嬉しくはありませんからね? 他の女の匂いを持ち込むなんて失礼なんですからね? わかります? 当然のことなんですよ?」


「ふ、態度が和らいだな。昨日のお前はもっとひどい剣幕だった」


「それは! デキウスさんが失礼を働くからでしょう!? あと、お前じゃなくてレテです!」


「今だって夜半に帰り、嫌いな香水の匂いを嗅がせる無礼をしたところだ。女遊びに行くと勘違いさせた分もあるか。お前は、もう少し怒っても許されるくらいだな」


「だから、お前じゃなくてっ」


 おとがいに触れられて声が途中で止まってしまう。


 たくましいその手で顔を持ち上げられて、覗き込むように顔を近づけられて……。


 ちょちょちょ、ちょっとまだ出会って一日というか、そういうあれこれは私たちの間にはなかったような気がするというか、まずはお友達からというか!?


 近づいてくる整いすぎた顔から目が離せなくて、デキウスさんの蒼く妖しく光る瞳が慌てる私を映しているのが見えてしまった。


 内心では絶賛大混乱中のくせに、女の顔をしていかにも物欲しそうに瞳を蕩けさせている、はしたない私の顔を。


 目、閉じた方がいいのかしら!? いや、恥ずかしすぎて開けてられないもの! 閉じてしまいましょう!


 私、大人の階段のぼっちゃうんだわ!?


「レテ聞け。トゲトゲしく振舞おうとはしているが、自分が不快に思うことよりも、俺がどうあるべきかについて気を遣ってくれるところ、レテの魅力的なところだと俺は思うぞ」


 甘い声で耳元で囁かれちゃって、こんなの全然想定してなかったんですけど!


 魅力的とか言われちゃった! 魅力的って! お世辞以外で、生まれて初めて言われたわ!


 このポンコツな『ひとの運命を見通す程度の力ブラフマータ』くん何も教えてくれなかったんですけど!?


 こんな人生の転機みたいなことくらい教えて欲しいんですけど???


「もう少し自分勝手に振舞ってもいいと思うがな。他人に気を遣うばかりでは疲れるだろうに」


 これって、もっと俺に頼れってことかしら。


 ぷぷぷ、プロポーズ?


 ああ、いけないわ。まだ出会ったばかりでお互いのことなんて少ししか知らないのに……。


 親愛なるお父様、お母様、義妹様……もう血の縁も切れましたが、あなたたちのおかげで今日私は幸せになれそうです!


 さぁ、誓いのキスを!


「そこがレテのいいところなのだろうな。自分本位でしか動けない俺には、眩しく見える」


 褒め殺しもいいけど、ちゅーっと、ささ、ちゅちゅーっと!


「……恥ずかしいことを言ったな。風呂、借りるぞ。街にいるときだけの贅沢だ」


 手が離れていく。


 へ?


「ホー……」


 もう完全に用意万端でつま先立ちまでしてしまっていたもんだから、バランスを崩して前のめりに倒れそうになる。


 でも、もうそこにはデキウスさんはいなくて、フレスちゃんが慌てながらも私をどうにか支えてくれた。


「……………………は?」


 後ろを振り返れば、浴室に向かってのっしのっしと歩いていくデキウスさんの後姿。


 なんの憂いもなさそうで、むしろ風呂が楽しみという気持ちだけを雄弁に伝えてきていて……。


「これだけ、期待を煽っておいて、あお、煽っておいて?」


 何もなし?


 私が勝手に、夢見ちゃっただけ?


 ここまで女一人でのし上がって誰も信じないとか、現実的に生きようとか、そんなことを言ってた私の懐まで潜り込んで、そういうの全部うわっぺらでしかなかったって自覚させておいて。


 しょせん私も単なる夢見がちな女だったってわからせておいて、何もなし???


 これだから顔がいい男は……。これだから顔がいい男は……。


「……ぁか」


 ばか。ばかばかばか。


 で、デキウスさんの!


「ばかあああああああああああああああああああああああああああ!」

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