第9話 水辺のハーブ、クレソン

 ランポさんと一緒に、ハーブ塩に使えそうなハーブを探しつつ森を進んで行く。

 目的地である湖のほとりに着くと、わたしはさっそく、ハーブを探し始めた。


「水辺にも草があるのか?」


「水辺のハーブといえば、クレソンですね」


「クレソンか。あれはちょっと焼いて肉と一緒に食うとうまいよな」


 ハーブがない人生かと思いきや、食べているものもあるらしい。

 意外に思ってランポさんに尋ねると、彼は、


「クレソンは野菜だろ?」


 と、なんでもないことのように言った。

 所変われば品変わる──クレソンは、野菜。なるほど。


 爽やかな香りと辛み、シャキシャキとした食感が魅力的なクレソンは、強い抗酸化作用を持っている。

 熱に弱いため、抗酸化作用を期待するなら生のまま食べるのがおすすめだけれど、辛みが苦手な人──大概の獣人は苦手そう──は加熱して辛みを弱くした方が食べやすい。


「クレソンは、葉の数が多くて、緑色が濃いものが良いぞ」


「そうですね。あとは、香りが強くて、茎が太過ぎないのも良いです」


「わかってるじゃねぇか」


 当然とばかりにフフンと胸を張ると、ランポさんは「クハッ」と小さく笑って、わたしの頭をワシャワシャ撫でた。

 子ども扱いされてるなー……。


「おまえは小さいのにエライな」


「小さいは余計です。これでも、十六歳ですよ」


「十六⁉︎ ……マジか。俺はてっきり、十歳前後かと……」


 わたしは、人しかいない国リンヌンラタでも十六歳に見られることはなかった。

 恵まれた体格を持つ獣人たちが勘違いをするのは、当然の流れだろう。


「いや、わりぃ」


 申し訳ないことをしたと、ランポさんの耳がヘニャリと伏せっている。

 まったく気にしないと言ったらうそになるけれど、わたしの背はもう伸びなさそうだし、どうにもならないから──。


「気にしないでください。それに、小さいことは悪いことばかりでもないんですよ。地面に近いからハーブを見つけやすいし、疲れた時は抱っこして連れて帰ってもらえるし」


 抱っこなんて、もちろん冗談だ。十六歳にもなって抱っこは、さすがに恥ずかしすぎる。

「パパ、抱っこ」が許されていたのは、八歳くらいまで。それだって、揶揄からかわれたのに。


 けれどランポさんはそう思わなかったらしく、「いつでも抱っこしてやるから遠慮なく言えよ」と、鍛えられた腕をムキッとさせていた。


 それからわたしたちは付かず離れずの距離で、クレソンを探し回った。


 湖の水面を、風が揺らす。

 波打ち際のように寄せては繰り返す湖の音を聞きながら過ごす時間は、ゆったりと流れていった。


 どれくらい、そうしていただろう。

 気づけばすっかり昼ごはんの時間を過ぎていたらしく、わたしのおなかがクゥと鳴く。


「ランポさん、そろそろ帰……」


 帰りましょうと言いかけたわたしの視界に、初めて見るものが飛び込んできた。

 あれは、まさか──。


「人魚⁉︎」


 波打ち際に横たわっているのは、紛れもなく人魚だった。


 何色も混じり合った白いオーロラのような色をした髪に、女性とも男性ともとれる中性的な顔。目を開いていなくたって、その造形の素晴らしさがわかる。


 胸当てをしていないから、男性なのだろうか?

 月明かりを溶かし込んだような白金色の尾鰭おびれは、ドレスのトレーンのように長く広がっていた。


「綺麗……」


 綺麗、なんてものではない。

 わたしのつたな語彙ごいでは表現しきれないくらい、初めて見る人魚は美しかった。


 魔性に魅入られたように、わたしの足はフラフラと人魚へ引き寄せられていく。

 だけど、一歩一歩近づくたびに見えてきたのは、彼の傷だらけの体だった。


「なに……どうして……?」


 彼の玉のように美しい肌には、無数の傷があった。

 治りかけのものもあるし、負ったばかりで血がにじんでいるものもある。


「痛そう……」


 傷が多すぎて、見ていて苦しくなる。

 なんとか、してあげられないかな。


 お節介はほどほどにすると決めたのに、彼を見ていると、放って置けない気持ちになる。

 たぶんそれは、彼の顔立ちに懐かしさを覚えるから。


 本当に、些細ささいなところなのだけれど。

 目元にある泣きぼくろが、パパとそっくりだった。


 自分でも、ちょっとどうかと思う。

 泣きぼくろがあるっていうだけで、言葉を交わしたことすらない相手に気を許すなんて。


 今この瞬間まで自覚していなかったけれど、わたしは寂しかったんだ。


 追放されたばかりの頃は、パパを見送れた達成感で満たされていた。

 だけれど少しずつ、時間が経つごとに、パパとはもう二度と会えないという現実が目の前に迫ってきて──。


「って、感傷に浸っている場合じゃないわ。彼の手当をしないと」


 小さな傷だけれど、数が多すぎる。

 軟膏なんこうをちまちま塗っていくより、魔法薬ポーションをかけた方が早そうだ。

 なにより、傷跡を残したくない。


 わたしは迷わずカバンに手を突っ込むと、ポーションの瓶を取り出した。

 キュポッとふたを引き抜いて、彼にかけようと──したところで、ガシッと腕をつかまれた。


 ハァハァと荒い息が聞こえる。

 ビクッとして振り返ると、ランポさんが真っ青な顔でわたしを見下ろしていた。


 な、何事ですか──⁉︎

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