関係のない国の出来事

空は拉ぐ

00-00 山師の語らい



 真っ暗なところにひとりで立っている。左右には壁があり、少し低い天井がある。

 あたりの空気は湿気と黴の臭いに侵されている。足を一歩踏み出すと、石を叩く靴音が聞こえる。

 それがやけに響いていた。


 切れかけた裸電球が等間隔でぽつぽつと薄暗く通路を照らしている。


 その明滅の隙間に、通路の先の暗闇がぽっかりと口を開けている。

 背後を見ても同じ様子。自分がどちらから来て、どちらに向かっているのか、もうわかりそうもない。


 しばらく俺は立ち尽くし、そしてやがて歩き始めた。


 時間の感覚がなく、どれだけ歩いても一瞬だという気もするし、ずいぶん長い間歩いてきたという気もする。

 ただ電灯が明滅している。


 そして俺はそれと出会う。それがそこにあることを俺はあらかじめ知っていた。


 だから俺は挨拶をする。


「やあ」


「やあ」


 とそれは返事をした。


「調子はどうだい?」


 と“夜”は言った。


「どうだろうな」と俺はとぼけて見せた。


 夜は黒い竹編みの椅子に悠然と腰掛けていた。

 

 彼の姿を俺は初めてみた。それで驚いた。

 俺は彼の姿を知っている。


「おまえのおかげで助かったよ」


 と彼は言った。


「……おまえを助けた覚えはない」


「いずれわかるさ」


 はっきりと、彼は笑みをつくる。


「……が、それは今じゃない」


「……でも、こちらこそ助かった」


 一応、礼を言うことにした。


「ありがとう。おかげで書き換えられた」


 彼はおかしそうに笑う。


「……本当にここまでするとは、思っていなかったけどな。たぶんおまえは才能があったんだろう」


「才能?」


 才能。俺には無縁なものだ。


「……でも、本当にこれでよかったのか?」


 そう、夜は俺に訊ねた。


「……どうだろうな」


 俺は、

 他にどうしようがあったんだ? と、

 そう訊ねかけて、やめた。


 その言い方は、誰かに責任を押し付けているような気がしたから。


「自分では気付いていないだろうが……おまえは佐久間茂にはできなかったことをした」


「……?」


「おまえは世界を書き換えた」


「それは……茂さんだってしたことだろう」


「違うね。あいつは書き足しただけだ。おまえは書き換えた。その差は大きい」


「……」


「あいつはこの世に暗がりを作った。けれど、それは所詮、粘土のように夜をこねくり回しただけのことだ。おまえはけれど、夜を昼に滲ませた。おかげで扉が開かれた。あの女に負けたときはこれで終わりかと思ったが、俺にもようやく運が回ってきた」


「……」


 こいつは、

 何の話をしてるんだ?


「けれどまあ……それは、おまえとは直接関係ない。とにかく、感謝するよ」


「……」


「二度も俺の力を使いやがったんだ。普通なら代償を求めてやるところだが……お釣りが来るくらいだ」


「……何を言ってる?」


「礼を言ってるのさ」


「違う。“二度”って……何の話だ?」


「……なんだ、覚えてないのか。人間ってのは、不便なもんだな」


「……」


 二度。

 二度?


「……なるほどな。おまえはどうやら本当に才能があるらしい。自分で書き換えた物語を、自分で信じ込んでいるわけだな。それでこそ、というところではある。本当の嘘つきっていうのは、自分がついている嘘を信じ込まなくちゃいけないもんだ。しかし……凄まじいな」


「……」


「なあ……おまえ、自分で疑問に思わないのか?」


「……何がだ」


「宮崎ましろ。泉澤怜。鴻ノ巣ちどり。瀬尾青葉。市川鈴音。佐久間茂。そして、おまえ。夜の世界、おまえが神様の庭と呼んだ世界。どうしてそこに関係している人物が、おまえの周辺で完結してるんだ?」


「……」


 疑問に思わなかったわけではない。

 

 ましろ先輩、瀬尾、俺。どうしてあのとき、むこうに行った人間が、揃ってこの高校の文芸部に入部したのか。

 そして、どうしてそこに、佐久間茂が通っていたのか。


 神様の庭の夢を見るという市川鈴音が、どうして文芸部に入部していたのか。

 

 どうしてこんなにも完結した関係性の中に、そんな出来事が起きたのか。


 まるで誰かが、


「……まるで、誰かが書いた物語みたいだと思わないか?」


 そんな言葉が。

 馬鹿らしいと笑えないのは、どうしてだったのか。


「おまえは何を言ってるんだ?」


「佐久間茂がどうして『薄明』で遊んだか、覚えてるか?」


 どうして。

 どうして、だったっけ。


「……“どうして?”」


「おまえはどうして、真中柚子をそんなに欲するんだ?」


「……」


「おまえのなかには矛盾した感情がある。ほしいものがひとつもないという感情。真中柚子を烈しく求める感情。どうしてそんなことが成立する? その矛盾には何か……明らかに、秘密がある」


「……」


「だが、まあ、俺も山師だ。だからおまえのその程度の嘘くらい、なんとも思わない。この世界は苦痛に満ちていて、柔らかな光はいつも暗い痛みに押し潰される。これから先、どんな光を手にしたって、きっと、それはすぐに失われてしまう。そのなかにあって……おまえの嘘は、実に俺の好みだった」


「……待て、おまえは、何を言ってる?」


 二度……俺は、『夜』を使った?

『書き換えた』?


「面白い見世物だったよ、三枝隼。ずいぶん凝ったシナリオを作ったもんだ」


「……」


「おまえのおかげで、俺は自由だ」


 不意に頭上の電球が明滅し、

 もう一度点いたときには、夜の姿はそこにはなかった。





 ねえ、せんぱい、本当にわたしのことを捕まえていてくれる?





 おまえを居なかったことになんかしない。

 おまえがいなくならなきゃならないような世界なら、そんなの、世界のほうが間違ってるんだ。


 おまえを傷つけるだけの世界なら、俺が全部書き換えてやる。




 不意に目をさますと、俺は眠っていた。目をさましたのだから、当たり前といえば当たり前だ。

 でも、いつから眠っていたのか、わからない。


 何か夢を見ていたような気がするが、はっきりとしない。


 体を起こすと、屋上だ。見慣れた屋上。俺だけが鍵を持つ、秘密の場所。


 昼寝をしていたらしい。


「隼さん、またサボりですか」


 ドアが開く音が聞こえて、そちらをむくと、ちせが立っている。


「……ああ」


 むっとした顔のちせを眺めながら、俺は返事をする。


「もう。大野先輩も青葉さんも怒ってますよ」


「怒らせときゃいいんだよ。第一、部誌だって出来上がったんだし、顔出す理由もそんなにないだろう」


「でも……」


 ちせは何かを言いたげに俺の方を見た。


「……隼さん、ひとつ聞きたかったんですけど」


「ん」


「隼さんが書いた小説のタイトル。あれって、どんな意味があるんですか?」


「ん。読んでわからなかった?」


「はい、まあ……」


「つまりさ……次の日が土曜日で休みだろ」


「……?」


「だから、ずぶ濡れになって踊ろうって意味」


「……よくわかんないです」


 俺は起き上がって空を仰いだ。


 瞬間、

 空が拉いだ。

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