奇術師A

17-01 世界の死角



 佐久間茂はあの森を作った。

 

 夜の力を借りて。


 夜は現実に影響をきたした。

 その結果、『薄明』を通じてさくらが生まれた。


 これが最初の仮定。


 そしてこう続く。


 仮に『薄明』がさくらのディティールを作り上げたのならば、

『薄明』によってそれを書き換えることは可能ではないか。


 佐久間茂がデミウルゴスなのだとしたら、夜はデウス・エクス・マキナだ。


 これはもはや呪術的儀式に近い。


 佐久間茂の『薄明』、その『後日談』を描くことで、『さくらのディティールを書き換える』。


 矛盾なく、さくらを揺らがせないように、慎重に。

 さくらを今のさくらのままで保ちつつ、さくらを書き換える。


 そのためには、佐久間茂がそうしたように、

『薄明』を作らなければいけない。


『薄明』そのものを物語にしなければならない。


 そのとき夜は、昼の世界に静かに侵食するだろう。


『薄明』。


 夜明け前のほのかな明かり。


 


「……突拍子もないこと考えるね」


「まあな」


「本当にできると思う?」


「わからん」


「でも」


「ん」


「おもしろそう」


 そう言うと思った。





 『薄明』平成四年春季号


 目次


 

 1.小説


『ゆりかごに眠る / 赤井 吉野』

『白昼夢  / 佐久間 茂』

『空の色 / 弓削 雅』

『悲しい噂 / 酒井 浩二』

『ひずみ / 峯田 龍彦』

『ハックルベリーの猫 / 峯田 龍彦』

『許し / 笹塚 和也』




 2.散文


『ちょうどいい季節 / 酒井 浩二』

『神様の噂 / 赤井 吉野』

『偏見工学 / 峯田龍彦』

『恋人のいない男たち / 笹塚和也』 


 3.詩文


『冬の日の朝に思うこと / 赤井 吉野』

『夕闇 / 弓削 雅』

『たちまちに行き過ぎる / 弓削 雅』

『成り立ちについて / 弓削 雅』

『作り方 / 佐久間 茂』



 編集:赤井 吉野  弓削 雅

 表紙:赤井 吉野



 編集後記:赤井 吉野







 『薄明』平成四年夏季号


 目次


 1.小説


『ふんわりとした音 / 赤井 吉野』

『水の上 / 佐久間 茂』

『茜色には程遠い / 弓削 雅』

『もしもあなたがいなくても / 弓削 雅』

『真実 / 峯田 龍彦』

『日々かくのごとし / 峯田 龍彦』

『白線捉える / 峯田 龍彦』

『永遠の途中 / 笹塚和也』


 2.散文


『猫と犬について / 赤井 吉野』

『屋上遊園地について / 赤井 吉野』

『天気について / 赤井 吉野』

『縁結びの少女 / 赤井 吉野』

『幽霊の所在 / 峯田 龍彦』

『無限の猿と踊る / 佐久間 茂』



 3.詩文


『白衣 / 弓削 雅』

『風遥か / 弓削 雅』

『鈴の音 / 弓削 雅』


 編集:赤井 吉野 弓削 雅

 表紙:赤井 吉野

 


 編集後記:赤井 吉野 







 瀬尾と別れたあと、俺は結局、『トレーン』の店先に居た。

 俺がやろうとしていることは、正しいことなのか、可能なことなのか。


 そんな考えが浮かんでは消えていく。

 

 そんなとき、不意に、見知った姿を通りの向こうに見つける。

 彼女は軽く手をあげてから、静かに歩み寄ってきた。


「やあ」と彼女は言う。


「やあ」と俺は返事をする。怜だった。


「最近はよく見るな」


「思ったより簡単にこっちに来られることに気付いたものだからね」


「そうか。何よりだ」


「うん。たったこれだけの距離だったのにな」


「……?」


 その響きになにか変なものを感じて、俺は思わず眉をひそめた。


「べつに深い意味はないよ。……さっき、誰かと一緒みたいだったけど」


「ああ、さっきまで……」


「……瀬尾、青葉さん?」


「……だな」


「……ねえ、隼。どうして彼女がちどりにそっくりなんだって、教えてくれなかったんだ?」


「……」


「彼女は、ちどりだよね」


 さて、どう答えたものか。

 けれど本当は、悩むようなことでもなかった。


「ちどりと言えば、ちどりだが……」


 怜が何かを言い出すよりも先に、言葉を続けた。


「今は、瀬尾青葉だ。本人がそう言ってる」


 怜は、なにか承服し難いような顔をしたが、やがて頷いた。


「なるほど。……どうして彼女はここに?」


「ちどりと、友達になりたかったらしい」


「……」


 今度こそ、いよいよ納得がいかないような顔を、怜はする。

 どうしてだろう。


 いつもより、どこか感情的に見える。


「そっか」


 とだけ言うと、怜は店内へのドアの取っ手を開いた。


「隼は帰るの?」


「そうだな。考えなきゃいけないこともあるし、遅いと純佳が心配する」


「そっか。……ね、隼」


「ん」


「瀬尾さんは強いね。ちどりも、きっと」


「……まあ、そうだな」


「ぼくは……」


「……ん」


「……」


「怜?」


「いや……」


「言いかけてやめるなよ。怜、悪い癖だ」


「隼には言われたくない。ただ、なんとなくね……」


「なんとなく、なんだ」


「ぼくは……昔から、ちどりになりたかったんだ」


「……どういう意味?」


「いや。……なんでもない、忘れてよ」


 そう言って、怜は、今度こそドアを開けた。


「あ、怜」


「……なに?」


「ひとつ、聞きたかったんだ。おまえ、最初に"むこう"の話をしたときのこと、覚えてるか?」


「……えっと、学生証の話をしたとき?」


「そう。そのとき」


「あのときがなに?」


「覚えてるか? おまえ、言ってたよな。"案内人がいた"って」


 ──怖い思いはしたから気をつけてたんだ。本当に危ないところには、近付かないようにしてた。案内人もいたしね。


「……そんなこと、言ったっけ?」


「ああ。あの案内人って、誰のことだったんだ?」


 ましろ先輩ではない。

 佐久間茂でもない。

 おそらく、カレハでもない。誰もそんな話はしていなかった。


 だとしたら、怜の案内人は、誰だったんだ?


「……えっと、思い違いじゃないかな。そんなこと、言った覚えがないんだけど」


「……そう、か?」


「うん。ぼくはむこうにいるときは、いつもひとりだったし」


 ……でも、それでは話が通らない、ような気がする。

 が、本人にそう言われては、確かめようもない。


「それだけ? ぼくは行くけど」


「……あ、ああ」


「じゃあね、隼」

 

 最後、怜は俺の顔を見なかった。

 そんなこと、今まではなかった。

 

 それなのに俺は、怜に対して何を言えばいいのかもわからない。

 怜のことを、自分がどれだけ知っているのか。


 そんなことを、どうしてか、考えてしまった。






 隼はきっと、気付かないだろう。

 おそらくこの事実はぼくの中でしか存在できない。

 

 砂浜に書いた文字のように、やがては波にさらわれて消えていくだろう。

 

 誰にも確かめられないし、誰にも知ることができない。


 誰も気付かない。


 ぼくをぼくと呼ぶこのぼくが、泉澤怜なのだと、みんなが信じている。


 このぼくがここにあることは……ぼくがぼくを獲得した結果だと、誰も知らない。


 それでいい。


 隼はぼくを探偵と呼ぶ。ぼくは隼を詐欺師と言う。


 けれど本当は違う。

 

 本当の詐欺師は探偵のような顔をしているものだ。


 そんなことを隼は知らなくていい。


 ぼくは、ちどりになりたかった。

 隼になりたかった。

 




「……それで?」


 と、市川鈴音は言った。

 渡り廊下のベンチに腰掛けて、市川鈴音は本を読んでいる。『ゴドーを待ちながら』だ。


 部誌を作る、と俺は言った。瀬尾に話を通した以上、あとは部員を説得するだけだ。


「市川、絵が描けるだろ」


「そりゃ、描けるけど……」


「表紙」


「……もう、期末だよ。部活動休止期間」


「関係ない」


「なくない。なんでそうなるの?」


「まあ、なくはないか。いや、でも、ちょっと描いてほしいんだよ」


「そう言われても……ううん、描くぶんには、いいんだけど、なんで急に?」


「必要だと思う」


「……前作ったときは、なかったよね?」


 たしかに、前回作ったときは、なかった。

 とはいえ、これは儀式だ。


「描いて欲しい絵がある」


「……」


 市川は、静かに考え込んだ。やはり、説明しないわけにはいかないのだろう。


「……なあ、市川」


「ん」


「前から思ってたんだけど……」


 彼女は俺を見ようともしない。ずっとページに目を落としている。


「おまえ、"むこう"に行ったことがあるな?」


「……」


 ようやく彼女は俺を見た。


「……どうして?」


「見たからだよ」


「……」


 さくらを連れ戻しにいった、あの日。


 帰り際、俺は渡り廊下で人影を見た。

 最初はただの気のせいだと思った。


 でも、それだけのはずがない。


 市川鈴音の姿をあのタイミングで幻視するなんておかしな話だ。


 思えば、市川は最初からおかしかった。


 俺が部誌に寄せていた文章、そのなかの、"むこう"に近い風景の描写。

 それを彼女は「実話か」と訊ねた。


 そんなわけがない、と俺は答えたけれど、そもそもの話……。


 どうしてあんな馬鹿げた風景を、こいつは"実話"だなんて思えたんだ?


 そう思った瞬間、あれが単なる幻だったとは思えなくなった。


 思えば市川は、やけに"むこう"の話に対して理解が早かった。


「……隼くんは、探偵みたいだね」


「俺は探偵にはなれない」


「そうかもだけど」


「……で?」


「……どうかな」


「……どうかな、って、どうなんだよ」


「わかんないの」と市川は言った。


「わたしは夢に見てるだけ」


「夢?」


「うん」


 珍しく、真摯な声音だった。

 そのせいで俺は、それ以上の追及ができない。


「……夢、か」


「うん」


「……そっか」


 なら、言っても仕方がない。


「ま、いいや」


「……ん。描いてほしい絵って?」


 訊ねられて、俺は少しだけためらった。

 けれどたぶん、必要なものだろう。


 たぶん、その絵は、描かれるべきだろう。

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