01-03 HPを全回復しました


 屋上を出て大野とふたりで部室に戻ると、瀬尾は画用紙にああでもないこうでもないと言いながらポスターの文句の下書きをしていた。


「ただいま」と声をかけると、「長いトイレだったね」と皮肉を言われたので、「トイレでトロールと出くわしたんだ」と適当な返事をしておいた。

「それは大変だったでしょう。少し休んでHPを回復していきなさいな」と彼女はあまり動じない。


 バカらしいやりとりのあとに顔をあげて、瀬尾が大野の存在に気付く。ちょっとびっくりしたみたいだった。


「大野くん。どうしたの?」


「ああ、いや。新入部員、来ないんだって?」


「そうなの。神様もびっくりだよね」


 むしろ当然の結果だと思うが。瀬尾のふざけた返事に呆れたのか、はたまた何か考えているのか、大野はまた黙り込む。


 俺は自分の定位置に腰掛けて、筆記用具を広げた。『桜の森の満開の下』ってどんな話だったっけか。


「副部長、何するの?」


「内緒」


「わたしがひとりで勧誘がんばろうとしてるのに、副部長は他のことするんだ……」


「瀬尾さん、ごめん。俺が頼んだんだ」


「あ、大野くんのか。じゃあいいよ」


 あっさりとした口調の瀬尾に無性に悲しくなりつつ、口を噤んでペンを手に取った。


 大野と瀬尾はふたりで勝手に話し始めたので、聞き流しつつ作業に入ることにする。

 うろ覚えでどうにかなるだろうか。いや、それはさすがにまずいか。


「部員入らないと廃部なんだって?」


「そうなんだよー」


 なんて会話を適当に聞き流しながらペンを握る。


『桜の森の満開の下』、作者は坂口安吾。漠然とした雰囲気は思い出せる。


 ……流し読みの高校生が感想を書いていいような作品なのか、そもそも。

 まあ、どうせ俺じゃなくて大野の名前で評価されるものだし、どうでもいいといえばどうでもいい。


 なんかこう、安吾の女性観とか、知ったかぶりでそういうあれこれを混ぜて高尚っぽく見せてみよう。


 俺が書き出しに迷っている間も、ふたりの会話は続いていた。


「なあ、瀬尾さん。もしよかったらなんだけど、俺、入部してもいいかな」


 不意に耳に飛び込んできたそんな言葉に、俺は思わず吹き出した。


「どうしたの、副部長」


 大野の言葉に喜びの表情を浮かべかけた瀬尾がこっちを向いた。さすがによろしくない。


「いや、なんでもない。最高に笑える書き出しを思いついてしまったんだ」と適当にごまかすと、「そうなんだ、がんばってね」とスルーされる。さすがに悔しかったので「爆笑必至だぞ」と付け加えておいた。


 瀬尾は疑わしそうにこちらを横目で見てから大野に視線を戻した。


「ホントにいいの? 大野くん。委員会あるんじゃないの?」


「委員会は当番制だから空いてる日もあるし。そりゃ、いつもは来られないかもしれないけど」


「ホントに?」


 近くで青春っぽいやりとりがおこなわれるのを不思議な気持ちで眺めつつ、俺は書き出しを考える。


 さっきの言い訳を本当にするために笑える書き出しを考えなければいけない。

 坂口安吾の感想文で笑える書き出しなんてあり得るのかと思わないでもないが、やってみなければ始まらない。


「じゃあ、ぜひお願いしたいです」


 俺が苦心している間に、どうやら部員数が増えたらしい。


 横目で見ると、うれしそうに照れたそぶりをみせる瀬尾の顔が見えた。


 大野も大野で気恥ずかしそうに俯いている。仲が良くてたいへんよろしい。


「それで、部員は五人必要なんだっけ?」


「そう。五人を下回るとまずいの」


「てことは、あと二人か」


 しかし、いいかげんふたりの誤解を解いておかないといけない。


「一人だ」


 俺が口を挟むと、ふたりはまったく同じ動作でこちらを見た。


「副部長、ついに算数できなくなったの?」


「ついにってなんだよ。どう計算したって一人だよ」


「あの、大丈夫? この場に何人いるか、わかる?」


 正直、こんなふうにからかわれるのも心地よくて仕方ない。


「部長のくせに部員数も把握してないのか。大野が入る前から文芸部員の数は三人だったよ」


「どういうこと?」


 正直、ひょっとしたら知っているかもしれないと思っていたのだが、やっぱり知らなかったらしい。


「幽霊部員がいるんだよ。ひとり」


「うそ」


「ホント。名簿に名前が載ってる。なんなら顧問に聞けばいい」


「なにそれ。知ってたなら教えてくれればよかったのに」


「だって、知ってると思ったし」


 半分本当で半分嘘だ。教えない方がおもしろいと思っていた。


「まあ、ともあれ」


 呆れた溜め息をついてから大野は言葉を続けた。


「あとひとり勧誘すればいいってことか」


「うん。そうすれば……」


「ああ、同好会落ちは回避できる」


「廃部はまぬがれ……え、同好会落ち?」


 ふたりが、また同じ動作でこっちを見る。


「廃部じゃないの?」


 目をまんまるくして訊ねてくる瀬尾に頷きを返す。


「生徒手帳にも書いてある。部員数が五人を下回った部は同好会に格下げ。五人未満になったからって即時廃部にはならない。ていうか、部員数がゼロになったって、休部扱いになるだけだ。休部状態が二年以上続いて、ようやく廃部」


「そ、そうなの? じゃあ、設立要件の五人っていうのは?」


「設立っていうのは、『新しく作る』ってことだよ、文芸部部長。創部のときの要件だ」


「でも、おまえさっき、俺には部員数が五人を下回ったら廃部って言ってただろ」


 不満そうに声をとがらせる大野に、俺はあらかじめ決めていた返事をする。


「俺が言ったのはこうだ。『このままだと廃部になるかもと瀬尾が言っていた』『部員数が五人を下回るとまずいことになる』。嘘はついてない」


 大野ががくりと肩を落とした。


「そうだったよ。おまえはそういう奴だったよ」


 こういう反応を期待していたので、してやったりという気持ちでいっぱいだ。が、想像に反して肝心の瀬尾はまだ納得がいかないような顔をしていた。なんだというんだろう。


「……そうだったんだ。だったら、そんなに必死になることもなかったのかな」


 そもそも必死になんてなってないだろう、というツッコミはしないでおいた。 


 困り顔の瀬尾を「まあまあ」と大野がいさめる。


「同好会に格下げになるよりは部のままでいた方がいいんだし、こうなったら四月中はやれることをやってみようぜ」


 入部しなくても廃部にはならないと知ったあとでも、じゃあやめると言わないのが大野の人のよさだろう。


 結局ふたりは勧誘ポスターをああでもないこうでもないと言いながら作り始めた。

 俺も作業に戻ろうとしたが、やっぱり気になって仕方なくなり、結局瀬尾に声をかけた。


「なあ、瀬尾。訊きたいんだけど、五人下回ったら廃部って、誰に言われたんだ?」


「……ましろ先輩だけど、それが?」


 ましろ先輩。あの人が、瀬尾に「部員が五人を下回ると廃部」だと教えた。


「そうか……」


 なんとか相槌だけを返してから、作業に戻るふりをすると、瀬尾は気にした様子もなくポスター作りを再開してくれた。


 ましろ先輩。文芸部の先代部長。


 あの人が瀬尾に廃部の可能性を伝えた。


 でも、それはおかしい。


 生徒手帳の校則ページを開いて、部員が減っても同好会になるだけだと俺に教えてくれたのはそのましろ先輩なんだから。


 とすると、彼女は、瀬尾と俺にそれぞれ別の情報を与えたことになる。

 しかも、瀬尾に伝えたことは、嘘だ。明らかに、何かの意図があってしたことだろう。


 まさかとは思うが、そういうことだろうか。


 廃部になる、と言われたからこそ、瀬尾は勧誘しなければと言い始めた。


 最初から同好会落ちとだけ聞かされていたら、まずそうはならなかっただろう。

 逆に俺は、廃部と聞かされたとしても、何の行動も起こさなかったはずだ。


 俺は、瀬尾が『同好会落ち』ではなく『廃部になる』と思い込んでいたからこそ、おもしろがって大野を勧誘するような真似事までして見せたのだ。

 瀬尾をからかうのが楽しいから。


 まさか、とは思うのだが、俺たちの性格を計算に入れて、わざとバラバラのことを言ったのだろうか。


 瀬尾ならこう動く、俺ならこう動くと想像して。

 もしそうだとしたら、エスパーもいいところだ。

 が、あの人の場合、ないとも言い切れないのがおそろしい。


 べつに、そうだったらどうだというわけではないのだが、卒業してなお俺を踊らせるのか、あの先輩は。

「勝手に踊ったんじゃないですか」と言われそうだけれども。


 やるせない敗北感に支配されつつ、頬杖をつく。


 でもまあ、先輩の思いどおりとも言い切れない。瀬尾が勧誘を始めたのはギリギリだったし、俺だって大野を全力で勧誘したというわけでもない。

 今度のところは、引き分けだと思っておこう。


 俺は溜め息をつき、ペンを意味もなく回してみた。それでもやっぱりもやもやする。

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