01-02 ゴーストライター



 廊下に出て、早歩きで部室を離れながら、さて、と考え込むはめになる。


 そりゃあ一切勧誘なんてしていないから、新入部員なんて来る方がおかしい。

 ましてや文芸部なんて、正直地味だし、あんまり流行りそうにもない。

 勧誘したって入部する奴がいたか怪しいものだ。


 中には興味をもってくれるような人間もいるかもしれないが、残念ながらこの時期に入る部を決めていない新入生はそんなに多くないだろう。

 その中の何人が文芸部に興味を持ってくれるかと考えると、はっきりいって絶望的だ。


 そういうわけで、そっちの線はあっさり諦めるべきだろう。

 結果の見えているポスター作りを手伝う気にもなれない。


 しばらく物思いにふけりつつ散歩でもするとしよう。考えを決め、中央階段を下ろうとしたときに、


「おう」


 と今まさに降りかけた階段の下から声をかけられた。

 ちょうど、会いにいこうか迷っていた相手だった。


 手をあげて返事を返すと、彼は少し歩くのを速めた。


 昇ってくるのを待って合流する。


 同じ高さに立つと身長の差が際立って嫌な感じだ。

 決して俺が低いというわけではない(と信じたい)が、こいつがデカすぎる。


 大野辰巳というその男子生徒は、去年の春に一緒のクラスになってから、なんだかんだで付き合いが続いている数少ない相手だ。


 恵まれた体躯と精悍な顔つきで見栄えはいいし、運動も勉強もできて、そのうえ人望もある。

 しかもちっとも嫌味じゃない。絵に描いたようないい奴だ。


 まあ、正直言ってそんなに羨ましくもないが。いい奴は損だ。


「また頼みがあるんだが、いいか?」


 なかなかにタイミングのいい話だ。願ったりかなったりとも言える。


「ちょうどよかった。なんでも引き受けよう。カモがネギを背負ってくるとはこのことだ」


「ありがとう。……今なにか言ったか?」


「口が滑った。気のせいだ」


「割とはっきり聞こえたんだが……なにかあったか?」


「それについてはあとで話そう。ひとまず屋上にでも行くか」


「屋上? 閉鎖されてるだろ。ていうか、部室じゃダメなのか?」


「部室はダメだ」


 理由は説明しなかったが、大野はとりたてて不満に思わなかったらしい。


 俺と大野はそのまま階段を昇って、東校舎の屋上へと向かった。


 鍵は俺の制服の内ポケットにいつも入れてある。

 あっさり鍵を開けてみせると、大野は詐欺にあったような顔をした。


「なんでそんなの持ってるんだ?」


「先代の文芸部長が持ってたんだ。合鍵って奴だな。三月にもらったんだ」


 そのまま扉を抜けて屋上に出る。


 春先の埃っぽい風と白みがかった太陽の光がやけに眠気を誘う。


 グラウンドから聞こえる運動部の掛け声に、新入生の不慣れなものが混じっている。

 あれを少し分けてもらえたら、瀬尾もあんなに頭を抱えていないのだろうが。


「先代って、ましろさんか。どうしてあの人がそんなもの持ってるんだ」


「知らん。おおかた、あの人もそのまた前の文芸部員にもらったんだろ。伝統って奴だ」


「変な伝統もあるもんだな。おまえに渡すあたりもましろさんらしい」


「まったくだ。ところで依頼の話をしようじゃないか」


 ビジネスライクな私立探偵よろしく俺が話をうながすと、「ああそうだった」というように大野は頷いた。


「いつもどおりといえばいつもどおりの話なんだが、実はまた頼みたい」


 困り顔の大野をちらりと見てから、俺はフェンスのそばへと近付いていく。


 頼みごとというのは、いつものことだ。

 大野辰巳にはひとつ弱点がある。それを埋め合わせるために、こいつはたびたび俺に会いにくる。

 内容については、言い方だけで伝わった。


 さて、問題はそれをどうするかだ。

 いつもなら何のこだわりもなく引き受けるのだが、今回は状況が少し違う。


「引き受けるのはかまわないんだが、実は問題があってな」


「問題?」


 大野はちゃんと食いついてくれた。とりあえずほっとしつつ、それでも俺は慎重に話を進めることにした。


「文芸部なんだが、新入部員が入らなくてな」


「はあ」


「このままだと廃部になるかもしれない、と、瀬尾が言っていた」


「廃部? そんなに急に?」


「なんでも、部員が五人を下回るとまずいそうなんだ」


「そんな決まりがあったのか」


「瀬尾が言うにはな」


「そうか」


 気の毒そうな顔で俺の方を見たあと、大野は少し考え込むような様子を見せた。


「そのせいでちょっとバタついててな。ポスター作ったりビラ配ったりしないと新入部員なんて期待できないだろ?」


「まあ、そうだな。忙しいなら、無理にとは言えないが」


 あっさりと引き下がってくれるあたり、やっぱりこいつは良い奴だ。


「でも、少し意外だな。おまえは廃部阻止のために何かするようなタイプじゃないと思ってたが」


「それはそうなんだけど、瀬尾に任せるのも悪いしな」


「まあ、そうか」


「……ところで、大野。おまえ、委員会には入ってたけど、部活には入ってなかったんだっけか?」


「……なんだよ。文芸部には入らないぞ」


 見え透いていたらしい。さすがに、そんなにうまく誘導はできないか。

 ここで大野が入部すると言ってくれたらおもしろかったのだが。

 

 とはいえ、そう言いながらも、大野は少し思い悩むような様子だった。


「だよな。余計な話だった」


 まあ、入らないというなら仕方ないだろう。

 俺は瀬尾と違ってそこまで熱心な部員じゃない。


 でも、可能性はゼロじゃなさそうだ。


「それで、今回は何を書けばいいんだ?」


 話を戻すと、大野は我に返ったようにこちらを見た。


「あ、ああ。図書新聞の、本の紹介文なんだ」


「題材は?」


「なんだったかな。春にまつわるおすすめの本だったか」


「分かった。任せとけ」


「悪いな」


「いまさら気にするなよ。こういうのはお互い様だ」


 お互い様か、と大野はひとりで繰り返した。


 大野は文章を書けない。

 板書をうつしたりとか、そういうことはできるけれど、一定量以上の文章を自分の頭で考えるということに苦手意識があるらしい。

 忌避感、と言ってもいいかもしれない。


 それにもかかわらず、一年のときはじゃんけんに負けて図書委員になんてなってしまったものだから困り果てたそうだ。


 委員会顧問の方針なのか、図書委員では割と頻繁に新聞を発行している。


 本の紹介文や、読み比べの感想を書いたりして記事にするものだ。


 大野があまりに途方に暮れていたので、俺が代わりに書いてやろうと言い出したのが始まりだった。


 今にして思えばそれがよくなかった。


 俺の書いた感想文が顧問だか司書だかに気に入られたらしく(奇特な人もいるものだ)、引っ込みがつかなくなったのだ。


 今年に入ってからも図書委員を続けているのは、まあ、大野のくじ運の悪さだろう。


 以来俺は、大野辰巳のゴーストライターをしている。

 今回は春にまつわる話らしいので、『桜の森の満開の下』の感想でも書くことにしよう。


「とりあえず、わかった。すぐに仕上げる」


「悪いな。今週中に書いてくれたらいい」


「ああ。とりあえず、俺はそろそろ戻るよ」


「……いや、やっぱり、待て」


 呼び止められて振り返ると、大野はまた思い悩むような顔をしていた。いちいち深刻な反応をする奴だ。


「俺も行こう」


「そうしてもらえると助かるな。鍵を閉めなきゃいけないから」


「そうじゃない。部室に戻るんだろ?」


「ああ」


「俺も行く」


 まあ、来るというならべつにかまわないのだが、と、素直に頷いた。

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