第4話

自らの直感に従い、全速力で森を抜けたジンが目にしたのは十匹ほどの獣の群れと二人の少女だった。


獣の方は一匹一匹が成人男性の一.五倍はありそうな巨大なオオカミの姿をしており、その爪と牙にかかれば人間の少女などひとたまりもないだろう。


「コープスウルフ!? こんなところに出るような魔物じゃないのに……!」


冷汗を流してその名を口にしつつも、ジンはその足を止めることなく群れの中央へと突入を試みる。

コープスウルフ。群れを成して森に迷い込んだ人間を襲う魔物だ。

本来は森の奥に住み、人里へ降りてくることはほとんどない臆病な種のはず。


それがなぜこんな往来に来たのか、ジンの経験からくる知識では答えを導き出すのは不可能だった。

だが、今は襲われている少女たちを助けることが先決と判断した。


そのための方法は魂が理解している。


「魔剣さん!」

「応よ!」


ジンは胸元に手をやる。

淡い光が灯ったかと思うと、刀身から柄までの全てが夜の闇で包まれたような黒剣がせり上がってきた。


それを掴んだジンは勢いに任せて魔剣を横薙ぎに振るう。

コープスウルフ達との距離はまだ二十歩ほどあり、どう考えても剣の間合いではかった。

――普通の剣の話ならだが。


「ゴッ!?」


刀身を伸ばした魔剣は断末魔の暇さえ与えることなく、獣達の生命を刈り取る。

途中、硬い物に当たったような感触もあったが、コープスウルフの開きがいくつも出来上がったのだ。


「どうよ! オレサマの手にかかればこんなモンさ」

「……うん。本当にすごかった」


敵に回すとこの上なく恐ろしいが、味方になるとここまで頼もしいものになるとは。

息を吐いてから素直に称賛の言葉を並べるジンだったが、内心かなり取り乱していた。

その安堵に似た油断が命取りとなるくらいには。


「グルルルァッ!」


背後、完全な死角から巨狼きょろうがジンの首に食いつかんと迫っていた。

群れはとうに壊滅。だが、せめて仇はとるという意思さえ感じられるような一撃に、ジンの体は既に反応していた。

だが、次のアクションへと移行する気配がまるでない。理由は明白で、剣を握った右腕が強張ったまま動かない。

経験不足からくる体の硬直なのか、はたまた別の要因か。兎も角、この場面では致命的だ。


「しまっ――」


しかし、コープスウルフの牙がジンに届くことはなかった。


「これは……壁?」


半透明で若干見えにくいが、確かにジンとコープスウルフとを隔てる壁がそこにある。

しかも、すんでのところで妨害を食らったご立腹のコープスウルフが爪と牙を振るおうともびくともしないほどの頑強さだ。


「今ですッ!」


少女の一人から上がった声に頷いてジンは再び魔剣を振るう。

都合のいいことに半透明の壁は外からの攻撃を弾くが、内から外に攻撃する分にはその限りではないらしい。


「やああああああああ!」


腰の入っていない手なりの唐竹割だったが、そこは魔剣の切れ味が威力を補った。

コープスウルフの胴が左右でずれる。何が起こったのか理解しないまま、最後の魔物は血と臓物をその場に広げながら倒れ伏したのであった。


「た、助かったぁ……」


何度も周囲を見渡し、残党がいないことを確認すると途端に体から力が抜けたのか、その場にへたり込んだジン。

一時はもうダメかと思ったのは言うまでもない。


「んまぁオレサマを使った初戦闘にしちゃあ上出来じゃねぇの? ……最後のアレはいただけねぇが」

「あはは……精進します」


呆れ半分、称賛半分で採点の結果を言い残して魔剣は黒い粒子と化し、ジンの胸元へ吸い込まれていく。

ジンは魔剣の契約者でありながら、同時に鞘でもあった。


「あのー大丈夫ですか?」


と、ここでおずおずと話しかけてきたのは一人の少女。

いや、少女と呼ぶにはやや疑問符が浮かぶ体型だった。


膝を曲げてはいるものの、一目見てわかる成人男性と比較しても頭一つほど高い身長。

当然その体躯に見合った体つきをしているのに反して、十人中九人が息をのむほどのかわいい系の顔をしているギャップがどこかこの世離れしていた。


その圧倒的なプロポーションに生唾を飲み込んだジンだが、同時にどこか腑に落ちたようであった。

少女の身を包む絹で織られた純白の外套。そして何より、太陽を模した首元の徽章が少女の身分と能力を示していたからだ。


(ほう、白陽教の信徒か。なら狼を阻んだのはこの女の――)


白陽教とは遥かいにしえから連綿と続く世界最大の宗教のことだ。

人類の仇敵たる魔人の根絶と、祈りと愛による救済を教義とし、巨大な一つの島を総本山として各所で活動を行っている。


そして、信徒の中でも才覚ある一部の者は大気に満ちる神聖な力により特異な能力を行使する。ジンをコープスウルフの攻撃から守ったのも、少女から放たれたソレによるものだった。


「ええ、なんとか。さっきはありがとうございます。を張ってもらわなければやられてました」


「いやいやそんな! 貴方が来てくれていなかったら私もこの子もきっと助かってはいなかったでしょうから」


そう言って少女は外套を捲る。

子供一人ならすっぽりと収まりそうな隙間からジンを覗いてきたのは正しく子供であり、先にジンが目撃したもう一人の少女だった。


顔立ちは似ていない。姉妹というわけではないのだろうか。とジンは勘くぐったが、表情にでると失礼にあたると思ったのかこれ以上深く考えるのをやめた。


「申し遅れました。私はサン。ご認識の通り、白陽教に所属しています」

「僕はジン。一応冒険者をやってます。さっき喋っていたのは――」

「聞いて驚け! オレサマは無貌の魔剣! 数々の戦場を渡り、人魔問わず破壊と殺戮を齎した最強の魔剣だ!」


自己紹介の種として魔剣のことをどう説明したものかと思案したジンの杞憂は水泡と帰した。

流石に魔剣がジンの胸のうちからこんなに自己主張してくるとは思わなかったからだ。


どう取り繕うか言葉を探すジンの焦りとは裏腹にサンは少し困ったような表情を浮かべ


「えっと、ごめんなさい。私も修行の一環である程度の歴史は履修したつもりですけど、存じ上げないです」


「…………マジぃ?」


見晴らしの良い街道のど真ん中で困惑と悲哀に満ちた魔剣の嘆きは風に乗ってどこかへと飛んでいくのであった。

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