第3話
「ん、ん……」
木陰越しに差す陽光を受け、ジンはまどろみから抜け出すように瞼を薄く開けた。
心地よい風が木々を揺らす。ともすればこのまま二度寝してしまいそうになる。
それもそのはず、今まで日の当たらない深い深い迷宮の奥底にいたのだ。
いつ魔物が飛び出してくるか分からない極限の緊張からの解放。そして迷宮の番人との邂逅。
「…………あれ?」
はたと気づく。なぜ自分は生きている? あの時胸を貫かれたはずなのにと。
(よう、目が覚めたか小僧)
「うわあああ!? 誰ぇ!? 誰なの!?」
いきなり話しかけられたせいで、思わず声が裏返ってしまうジン。
声の主はクックックと笑いを押し殺し、言葉を続ける。
「オレサマは『無貌の魔剣』ってんだ。お前にはゾンビを操っていた魔剣と言ったほうが分かりやすいか」
「あっ! あの時の黒い魔剣!?」
「んなこたぁどうでもいい。端的に言うとオレサマは今お前の中にいる。厳密にいえば心臓と同化してるのさ」
告げられた事実に対して、ジンはとっさに服をめくって顔を青ざめさせる。
べっとりと血で汚れた服の下。あばらが浮いた胸の真ん中あたりに黒い刺青で小さな幾何学模様が刻まれていたのだ。
無論生まれてこの方、刺青を刻むことはしていない。
「つーか覚えてねーのか? 「死にたくなーい!」って惨めに呻くお前と契約したんだが」
「…………あー」
ぼんやりとしていた頭がここにきてようやく動き始めた。
ジンの脳裏に蘇るは遺跡最下層での戦闘の記憶。ロットン達が逃げるための時間稼ぎとして、魔剣を携えたゾンビに立ち向かったこと。
そして胸を貫かれ、血だまりの中で倒れ伏した時に魔剣と契約を結んだことを。
「その面見る限りだと思い出したみてーだな。それで? どうする? お前を囮にした奴らに復讐しにいくか?」
「え? しないよそんなこと」
「え?」
魔剣の予想では、囮として使いつぶされ復讐に燃えるジンがロットン達にされた以上の陰湿な報復を行うはずだったのだが、ジンのあっけらかんとした返答の前に間抜けな反応を返すしかできなくなっていた。
「じゃあ何か? お前はあいつらを恨んでねぇのか?」
「別に。経緯はどうあれ僕は死んでないからね。死ななきゃ安いよ」
さらっととんでもないことを口にするジンの言葉に魔剣はただ呆れるしかできない。
と、ここまでの対話の中で初めてジンが先に口を開く。
「ところでさ。僕は君のことをなんて呼んだらいいの? 無貌の魔剣ってなんか言いにくいしさ」
「呼び名はいくつかあるが好きに呼べばいい。道具であるオレサマに元来銘はねぇ。無貌の魔剣っていうのも、人間どもが勝手に呼んだもんだしな」
何気ない一幕ではあったが、人に厄災を齎すことしかできない魔剣にとって初めての体験であった。
腕を組んでうんうん唸りながら思案をするジン。しかし、いい感じの案が浮かばなかったようで
「……『魔剣さん』とかでいい?」
「あんなこと言っといて出てきたのがそれかよ!」
魔剣は再び呆れるも、あまりにも申し訳なさそうなジンを見つめていると何となく可笑しくなっていったのか、笑いをこらえきれず
「ック……フッハハハハハハハ! いいぜ! 逆に気に入った!」
「なんかいまいち釈然としないけど……まぁいいや。よろしくね魔剣さん」
木漏れ日の下で談笑するジンと魔剣。しかしながら、絵面でいえば虚空に向かって話しかけている可哀想な少年に映るだろう。
ともあれ、晴れて縁は結ばれた。
☆★☆
それから少しして、ジンは身一つで森の開けた道を進んでいた。
日はまだ高いが、最寄りの町までへ日没までになんとかたどり着けそうな距離。
背負っていた大きなリュックはない。どうやら迷宮の奥に置いてきてしまったらしい。
中には野営用の道具もあったためジンは肩を落としたが、先と同様、命あっての物種の精神で許容することにした。
「復讐をしないとなるとこれからどうすんだ? まさかいきなり世界征服か!?」
「なんでそうなるのさ…… ただでさえ世界の危機に直面してるっていうのに」
「どういうことだ?」
「『魔人』だよ。魔剣さんも知ってるでしょ?」
「…………ああ。嫌という程な」
魔人。
それは人類の不俱戴天の仇にして世界を終焉に導くとされる存在。
飢え渇くことのない強靭な肉体と、人間が使うものとは異なる系統の術を用いて殺戮の限りを尽くす。
また、寿命による死はなく、人を殺せば殺すほどその力は強大になるといわれている。
天地開闢から現在にいたるまで人類の歴史は魔人との闘争の歴史ともいえるほどで、遥かいにしえに封印された魔剣にとっても魔人という存在は遠いものではない。
「まだ連中暴れてんのかよ。まぁそうでもなきゃオレサマの封印を解こうとするはずもないか」
ジンの中で魔剣は小さく息を吐いた。
いつの世も闘争は尽きることはない。そんな世界だからこそ自らが求めるモノは生まれるのだが
「封印って。どう見ても封印されている側の動きじゃなかったでしょ」
「オレサマを扱うにはそれ相応の実力が求められるからな。そういう試験を課してんだよ」
「じゃあ僕は合格ってこと?」
「身のこなしは及第点だが他は赤点だ。まぁその他要素を加味したうえでギリギリ合格ということにしといてやるよ」
なんだよそれ。と苦笑したジンだったが突然その足を止めた。
「……魔剣さんは感じた?」
「ああ。……狙いはコッチじゃなさそうだが」
「すごい。鼻がないのにそんなことまでわかるんだ」
「? お前も殺気を感じたんだろ?」
「え?」
「え?」
ジンの嗅覚が捉えたのは僅かばかりの獣臭。風上から漂ってきたそれは、この先にいる獣の存在と、それがかなりの興奮状態にあることをジンに伝えていた。
魔剣が感じ取ったのは狂気さえ感じ取れるほどの殺気。どうやらこの先で何かきな臭いことが起きているらしいことを暗に示していた。
「どうする? 行くか? オレサマとしちゃあどっちでもいいが」
「行く。……なんだか嫌な予感がする」
「はッ! 五感の次は第六感ときたか!」
カラカラと笑い声を上げた魔剣をよそに、ジンは駆け出す。
距離はここからそこまで離れていない。
枯れ枝を幾度も踏み割りながら獣道を突き進む。
歩を進めるにつれ、ツンとした獣の匂いが鼻腔を通り抜け、殺気がチリチリと産毛を逆立てる。
途中微かに香るミルクのような甘い香りも混じっていたような気がしたが、ジンはそれを不要な情報と切り捨てた。
(どうか気のせいでありますように……!)
最後に茂みをかき分け、開けた場所に出る。
青々と広がる草原。少し遠くに目をやれば、舗装された小奇麗な小道と――
「きゃあああああああああああ!」
――何匹もの獣に囲まれた二人の少女。
当たってほしくなかった予感が当たってしまったと、ジンは胸の奥底で嘆くのであった。
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