感情振幅の本元で

宇多川 流

感情振幅の本元で

 自動ドアが開いて「いらっしゃいませ」と合成音声が迎えると、本の匂いがした。

 あたしは迷いなく、並ぶ本棚の間を抜けて〈新復刻小説〉の棚へ向かう。今日は目当ての復刻新刊小説が出る日だ。同じように本を手にしたらしい客がその場を離れたところだった。

 本棚に並ぶさまざまな表紙の本には、あらすじと一緒に〈感情振幅度〉が表示されている。これは★1から★5まであって、やっぱり一番感情を揺さぶるとされる★5が良く売れている。あたしが目当てにしている本も★5だ。

 それを手にレジに持っていく途中、他の客の会話が耳に入る。

「今どき、紙の本を買いに来るなんて物好きかもしれないねえ」

「でも、紙を直接めくって読む方が感情振幅度は高いみたいよ。VRでも紙の感触や見た目は変わらないのに、不思議よね」

 ――確かに、それはそうだ。

 現代はもう、家から一歩も出なくてもあらゆることができるようになっていた。ちょっと散歩したいと思えば仮想現実で歩けばいい。遠方の観光地でもどこでも好きなところへ行けるし、感触も匂いも景色も完全再現され、筋肉にかかる力も現実と変わらない。何より、絶対怪我もしないし安全だ。

 だから、散歩や買い物もできるだけ外食しないように推奨されていた。その方がリスクがないから。少しずつ風向きは変わりつつあるけど。

「二千円になります」

 レジの向こうに人間そっくりなロボットが座るようになったのもつい最近。

 差し出された指先にこちらの人差し指を合わせると、ピッ、と読み取り音が鳴る。

「ありがとうございました」

 ほがらかな声と笑顔を背中に、あたしは軽い足取りで本屋を出る。何だろう、この浮き浮きした感じは。

 あたしが生まれるよりずっと昔の人たちは、「合理的じゃないから」とか「作業の邪魔だから」という理由で、人体の仕組みをいじって〈感情〉という機能を弱くしてしまった。

 それは、ある意味正解だったのかもしれない。作業効率は上がり生産能力も技術も格段に進歩した。誰もが満ち足りた生活を送れるようになった――物質的には。

 〈感情〉を見直そう、という人間が出始めたのはここ十数年のこと。まだ、感情なんて邪魔なだけだ、もう感情がないのが人間の真の姿だ、という人もいる。感情を取り戻すなんて不可能だ、という人も。

 あたしが毎週本屋で本を買って読むようになったのも、ただの新しい習慣、ルーチンに過ぎないのかもしれない。

 でも、本を買いに行くまでと買って帰るまで、そして読んでいる間の浮き浮きした気分も、本を買いに行けなかった日に〈つまらない〉と感じるのも、以前はなかったこと。

 だからあたしは、本屋に通い続ける。そしていつか、復刻じゃない本をあたしが書いて本屋に並べたい。感情が当たり前にあった昔の作家と同じように感情を理解した、感情を揺さぶる新しい物語を。



   〈了〉

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