第68話 ホームランボール


朝ごはんも食べ終わり、変える準備もすでに終わった。

後は電車に乗って帰るだけ。


「レベッカさん。そろそろ帰ります」

「うん。駅までの道は分かる? 送っていこうか?」

「大丈夫ですよ。もしもの時はスマホのマップアプリでなんとかしますので」

「分かった。じゃあ下まで送っていくね」

「ありがとうございます」


家を出てからエレベーターに乗って1階に降りる。

休日の朝って言うのもあると思うけど、マンションの住人に合うことがなかった。


マンションの外に出ても人通りが少ない。


「レベッカさん。2日間ありがとうございました」

「うん。私の方こそいろいろとしてもらったしありがとうって思ってるよ。これは感謝の気持ち」

「はい? ……っ!?」


瞬間、レベッカさんの唇が僕の頬に触れる。


「アメリカでは挨拶の代わりによくキスをするの。嫌だった?」

「……あ、いえ、少し驚いただけです!」

「ならよかった。ヤマト、またね」

「はい、また……」


レベッカさんはマンションの前で僕が見えなくなる愛で手を振ってくれたので、僕もしっかりと振り返す。


それにしても頬にキスされるなんて思っていなかった。

テレビだけの設定かと思ってたけど、あいさつ代わりにキスをするって本当だったんだ……。


帰り道は行きの時に通った道だったのである程度、覚えていた。

それでもマップアプリを使いながら出ぎりぎりだったけど……。


電車には予定通り乗ることができ、ここから昨日と同じように1時間半の旅が始まる。


休日ということもあって電車の中はそこそこ空いていたけど、これが平日だったらどうなってたんだろう。


この時間帯に満員電車で1時間半……考えただけで嫌だなー。


もうすぐでゴールデンウィークも終わりなんだよね。

全然休んだ気がしない。

というよりも僕の場合、配信日以外毎日が休日だった。


電車での移動を終え、時間は10時の少し前。

兄さんに言われた通りの時間に着くことができた。


家の庭では来夢と父さんがグローブをはめてキャッチボールをしていた。


「来夢、父さん、ただいま」

「あ、お兄ちゃん! お帰り」

「おお、早かったなヤス。電車の長旅はどうだった?」

「疲れました。あ、父さんクッキーありがとうございます。美味しかったです」

「ならよかった! ライはこの後ヤスとイチと一緒に出掛けるんだろ? もう終わりにするか?」

「うん。お父さんありがとね。……あ、お兄ちゃんに見せたいものがあるんだ。ついでにいちろー呼んでくるから外で待っててね」


来夢は父さんからグローブを受け取り家の中へ入っていった。


それにしても来夢が野球をやるなんて珍しい。

基本僕と同じインドア派なのに。


「来夢何かあったんですか? 嬉しそうに見えたんですけど」

「ああ、多分来夢が今から持ってくると思うぞ」

「持ってくる?」


来夢は昨日父さんと母さんと一緒にプロ野球の試合を見に行くって言ってた。

ということは、ホームランボールをとることができたのかな?


「お兄ちゃん! これ見て!」


来夢は走りながら戻ってきて、見せてきたのはやっぱり普通の野球ボール。


「ホームランボール?」

「そう思うでしょ? 実際ホームランボールなんだけど、これは少し違うんだよ」

「……どういうこと?」


ホームランボールなのにホームランボールじゃないって、意味わかんない。


「まぁ、これ見てみてよ」


来夢はスマホに映像を映し、僕に見せてきた。


それはプロ野球の試合で東京シャイニング対阪神パンダースの最終局面。

9回裏の最終回。

点差は0対9で阪神パンダースの一方的な展開。


東京シャイニングの負けがほぼ確定したという状況。


野球にあまり興味ない僕でさえ、この試合がパンダースの勝ちだというのは目に見えていた。

けど、シャイニングの選手は一切諦めることなく、安打に安打、犠牲フライ? にタイムリーツーベースヒット? って言うやつを重ねてどんどん点数を入れていく。


パンダースもピッチャーを交代していくけど、シャイニングの勢いは全く衰えない。

そして6対9のランナー満塁。


ここで出てきたのは、野球をあまり知らない僕でさえ知っているベテラン選手。

その選手はピッチャーの投げたボールを1球目から打ち、そのボールが観客席に入り逆転サヨナラ満塁ホームラン。

10対9でシャイニングの逆転勝利。


打った瞬間、東京ドームのシャイニングファンが一斉に立ち上がったのが画面に映っていた。


「ね、凄いでしょ! 特にここ見て!」


来夢は画面を戻しながら、ボールが観客席に入るところで映像を止める。

そこに写っていたのはサングラスと黒マスクをつけた二人に白マスクと眼鏡をつけた女性が一人。

ボールをとったのは真ん中に座っていたサングラスの少女。


一目見た瞬間にこれが誰なのか分かった。


間違いなくこれは来夢だ。

その横に座っている白マスクの女性は目元からして母さん。

となると、もう片方のサングラスの大男は父さんってことになる。


「あの時は驚いたよな。面白い試合で、逆転のチャンス! そんなときに俺たちの方にボールが飛んでくるなんて!」

「ボールが私の方に一直線で来たからね。捕れるって思わなかったよ!」


うん。確かにこんな試合の最後の劇的ホームラン。

それに驚くのは分かるけど、一つ気になることがある。


「母さんの眼鏡にマスクは分かる。分かるんだけどどうして父さんと来夢が変装してるの!」


そう。母さんは有名人だし変装する意味は分かるんだけど、父さんと来夢が変装する意味、それもサングラスをつける意味が解らない。


サングラス着けて試合見にくくなかったの?


「……何でって、そんなの変装に決まってるだろ」

「そうだよお兄ちゃん。お母さんは知る人ぞ知る有名人。変装してもオーラを発してるんだから分かる人には『神無月撫子』ってわかるんだよ」

「オーラって何?」

「そんなお母さんと一緒にいるんだから、変装くらいするよ」

「現に、この試合のダイジェストで『神無月撫子』が写ってるってMytubeで動画上がってるからな。変装して正解だったぞ」

「いや、そうかもしれないけど見づらくなかったの?」


サングラスをつけてると、周りが暗く見えて見づらそうだけど……。


「全然見づらくなかったよ」

「ドームの照明があったからな」

「あ、東京ドームでしたね」


まぁ、楽しめたんならそれでいいか。

別に僕が見に行ったわけでもないし、サングラスして損はしなかったみたいだから。


それに、僕が3人と一緒に野球の試合を見に行っていたら、サングラスをしたと思うし。


「おーい、保仁、来夢。行く準備で来たぞ!」

「はい、それじゃあ行こうかお兄ちゃん! お父さん。このボール直しといてくれる?」

「あ、僕のバッグの中に洗濯物入ってるのでお願いできますか?」

「ああ、分かったよ。二人とも、いってらっしゃい」

「行ってきます!」

「行ってきます」


帰ってきてすぐに僕は家の外に出た。

もう少しくつろぎたかったけど、電車の中である程度くつろいだし車の中でもくつろげるから問題ないかな。


「お兄ちゃん、一緒に後ろの席に座ろ!」

「はいはい、因みに僕の座る場所は……」

「もちろんいちろーの後ろだよ!」

「……だよね」

「なんか俺に対してひどくね?」


兄さんの後ろの席に座り、来夢も僕の横に座ってきた。

シートベルトを付けたのを確認した兄さんは、そのまま車を発進させる。


「そういえば兄さん。どこに行くの?」

「ああ、『夢見サクラ作品展』ってのが六本木で開催してるから見に行こうかなと思って」

「霧江さんの作品展なんですね……六本木?」


え、聞き間違いじゃないよね?

なんでまたあそこに行かないといけないの。

お金持ちの店がたくさんあるあそこに!


「安心しろ保仁。今から行くところは大きいビルではあるけど、普通の大型ショッピングモールみたいなところだから」

「……本当に?」

「本当に。……まぁ、それ以外にもいくけど」

「今何か言いましたか?」

「いんや? 何も言ってないぞ」


何か言ったように聞こえたんだけどなぁ。

とても不吉なことを言った気がするけど、あまり気にしなくても大丈夫……かな?


それにしても六本木の大型ショッピングモールか……。

流石に高級店ばかりじゃないってことだね。


「あ、それと言い忘れてたけど、加奈ちゃんが明日帰る飛行機のチケット取ったから、家に帰ったら宮崎に帰る準備しとけよ」

「……兄さん。それ先に言っとくことじゃない? 来夢は知ってたの?」


来夢が知っていればすぐに教えてくれたはずだけど教えてはくれなかったし、もし知っていたら持って帰るはずのホームランボールをわざわざ出して、父さんに直させるはずがない。


「いちろー。私それ聞いてないんだけど」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「言ってない」

「義姉さんは? いたら教えてくれると思うんだけど」

「加奈ちゃんは家で寝てる。昨日の夜霧江ちゃんの家に泊まったみたいなんだけど、夜遅くまで叫び過ぎたみたい」


また泊まりに行ったんだ。


義姉さんと霧江さんって本当に仲いいんだね。


「いちろー、もう一度確認すけどお金は全部いちろー持ちなんだよね?」

「ああ、いくらでも好きなものかってやるけど、ちゃんと手加減しろよ!」

「気が向いたらね」

「大丈夫なの、兄さん」

「大丈夫だ。そこそこ金持ってるしな」

「お兄ちゃん。これの財布の心配はしなくても大丈夫だよ。私はクレジット限界まで払わせるつもりだから」

「来夢は少し手加減してあげてね」


しばらく車の中で外を眺めていると、高級店が少しずつ増え始めてきた。


「着いたぞ。目の前にあるのが六本木タワーだ」


僕と来夢は車から見上げる形で目の前のタワーを見上げた。


あれが大型ショッピングモールって絶対にうそでしょ!


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