第3話

**


 爺さんは日に日に動けなくなっていった。一日中ほとんど横になっている。だが俺には日々のやるべきことを変えるなと煩いくらいに言ってきた。

「自分のことくらいまだ自分でできるわ」そう言っていたけど、もうプランターの豆の世話までは出来ないくらいにはなっていた。世話は俺がしているけれど、爺さんが豆を覗かなくなってから何となく豆の生育が良くない。

 俺は太陽が顔を覗かせた時は充電に励み、雨の日は飯屋の手伝いに行った。曇りの日だけレオのところに通った。

 飯屋の女将は俺のことを気にかけてくれた。爺さんにちゃんと食べさせてやれと、豆と芋以外にもいろいろ持たせてくれた。飯は差し入れてやるから何ならずっとついててやったほうがいいと言われた。だがそれは爺さんが望まない。それを伝えると何故か深いため息をついていた。「頑固なんだから」そう呟いていた。


 レオとはだいぶ距離が縮まった。何となくお互いに通じるものを感じた。

「俺、ムラタさんの子どもじゃねえよ」レオはある日突然そう言った。「ゴミ処理場に繋がるダストシュートから出てきたらしい。困ったゴミ処理場の人がムラタさんのところに持ってきたんだって」

 レオはなんでもないことのように笑って言った。俺は驚いて目を見開いてしまった。

「よく生きてたな」

「そういうとこ丈夫なんだ、俺」

 そっか。俺はそう呟いて自分の話を始めた。「俺もマキハラの爺さんの子どもじゃないって」

 レオは驚きもせずに聞いていた。そして「子どもじゃねえだろうなって思ってたけど、どっかで血は繋がってると思った」と言った。俺が首を捻っていると「もしかして気がついてねえの? そんなに似てるのに?」そう言って笑い出した。

 俺は面白くなさそうに不貞腐れていたけれど、本当は嫌じゃなかった。似てるって言われて嬉しかったんだ。


 そして俺の撃った弾が缶に当たるようになったころ、飯屋にあまり見かけたことのない客がやって来た。

 その客の周りは不自然なほど空いていた。誰もそばに寄りたくないみたいだった。マントみたいなボロ布を纏っていた。紙はボサボサで、ところどころに白髪が目立った。顔は前髪に隠れてよく見えないが、真っ直ぐ前を向いて歩けないくらい腰が曲がっていた。

 女将も気味悪がってそばに寄りたくないみたいだったので、俺が何を注文するのか聞きに行った。声をかけると、男は顔を上げた。チラリと見えたその顔は、まるで恐怖に怯えたように皺が刻まれていた。「食べ物を」そうひと言だけ呟いた。

「酒は飲まれますか?」一応いつものように尋ねた。男は何故か小馬鹿にするように嗤った。

「酒か。そんなもの何の役にも立たない」

 そうか。よく分からないけど、いらないならそれでいい。他に飲みたいって人はいるからな。俺は「はあ」と返事をすると踵を返した。

「おい」

 そう言われて仕方なく振り返った。気が変わったのだろうか。

「どうしてお前の顔は焼かれてるんだ?」

 俺はふと顔に触れた。「ああ、これですか」

「それは焼かれた痕だろう?」

「いや、生まれつきの痣だそうですけど」

「そんなわけあるかッ!」男は大きな声をあげると、布から腕を出した。そこには俺のような痣があった。

「これは焼きごてで焼かれた痕だ。俺のは最近だから色ははっきりしてるが、お前のと同じじゃないかッ!」

「焼きごて?」それは一体何なのだろうか。焼かれたって……。

「──お客さん、喧嘩を売るつもりなら出て行ってもらうよ。それか自治会呼ぶけど?」

 立ち竦んでる俺の背後から声がした。女将だった。

「自治会がどうしたっていうんだ。何の役にも立たないじゃないか」

 言葉は乱暴なものだったけれど、言葉尻は聞こえないほど小さくなっていた。女将はあっちに行ってろとばかりに手を払った。よくよく見ればすでに女将は食べ物の入った皿を持っていた。

「悪いけどそれをさっさと食べたら出て行ってちょうだい」そうはっきりと言った。男はもう何も言わなかった。


 俺はすぐに仕事に戻った。男の言ったことは気にはなったけれど、だからといって働かない理由にはならない。

 気がつくと男は食べ終わって、店から出て行くところだった。

「──全く。迷惑な話だよ」女将はその背中を見つめながら愚痴った。近くにいた客も「災難だったな」と口を揃えた。

「お前さんも絡まれて大変だったな」近くにいた爺さんがそう言って俺の背を叩いた。

「いや、別に」

「ありゃ革命軍の慣れの果てってヤツだな。どうせ三日ももたないだろうが」

 三日ももたないとはどういうことだろうか。

「こないだ捕まった革命軍にいた野郎さ。まだ二十歳やそこらだっただろうにあんなになっちまって」

「二十歳?」あんなに白髪で皺だらけだったのにか?

「憲兵に捕まってりゃすぐにあの世に行かせてもらえたのにな。アイツらは乱暴だが、拷問は好んでやらない。それより面倒なのは諜報部隊だ。ソイツらの拷問は生き地獄だっていうからなあ。奴も肌を焼かれて、ご丁寧にも刺青も彫ってあった。くたばったら誰か分かるようにしたんだろ」

 そういえば若者が姿を消したと言っていたような。「でもどうしてわざわざこちら側に戻したんですかね?」

「そりゃ革命軍の残党への見せしめだろ。余計なことをするとこうなるってな」

 なるほど。だからみんな関わり合いたくなかったんだ。仲間だと思われて目をつけられたら困るってわけだな。

「背中の骨も曲がるほど傷めつけられてる。内臓もボロボロだろうな。三日後には生きちゃいねえよ」

 爺さんはそっとそう言った。


 その爺さんが言ったとおり、男は三日後に街の外れで壁にもたれるようにして息を引き取っていたのを発見された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る