ぬいぐるみたちの行くところ

七草かなえ

ぬいぐるみたちの行くところ

 大事な大事なぬいぐるみ。でも、いつかはお別れのときが必ず来てしまう。

 物というものは時間を経ていけば朽ちていく。時間は優しくも無情に、誰に対しても等しく流れていく。

 人は老いて、物は古びる。そこに永遠などない。


 ともあれ物がなくなっても情は残る。この世界で永遠に続くものといえば、大体心や感情のことを差す。

 何かしらの事情でぬいぐるみを手放した人々は、こう思うのだ。 

 ――可愛いあの子のたましいは、どこに行くのだろうと。

 

 

 ミィは目覚めた。ほわほわと温かな場所にいる。からだを起こすと自分の姿が目に入る。満月のように丸く大きな瞳、猫なのに黒生地の二足歩行。黒猫を模したぬいぐるみの姿だ。

「そうだ。ぼく、捨てられて…………」

 ミィは長くある女の子と一緒に暮らしていた。

 女の子は小さなころこそミィを可愛がっていたが、時が経つうちに少しずつ離れていった。彼女が成長すればするほど、大人になっていくほどに、ミィは見向きされなくなり、部屋の隅に転がされ、――――遂には捨てられてしまったのだった。

 

 ずっと一緒にいたのに。ずっと一緒にいられると思っていたのに。

 女の子がミィを見なくなっても、ミィはずっと彼女を見ていた。いつかまた仲良く一緒にいられると、信じていたのに。


 思いだすと両目から温かい水が出てきた。

「これは、涙……?」

「そうだよ」

 ミィの目の前に、ピンクの子豚のぬいぐるみが現れた。

「おいらはとんかつ。ここにいるということは、君は幸せだね」

「そうなの?」

 ミィは首を傾げた。捨てられたのに幸せって、どういうことなんだろう。

「ここはね、役目を終えたぬいぐるみの魂たちが来る場所なんだ。楽園みたいに素晴らしい場所なんだよ」

「天国に来たってこと?」

「そうとも言うね。おいらは鼻がいいから、君の魂が来たのがすぐにわかって迎えに来たのさ。君、名前は?」

「ミィ。黒猫のミィだよ」


 案内するよと言われて、ミィはとんかつの後ろをてくてくとついていく。自分の足で動けることに感動した。

 そこはとんかつの言うとおり、素晴らしい場所だった。

 道にたくさん出ている屋台では美味しそうな匂いの食べ物飲み物が売られ、空は綺麗な青。絵本の中で見たような町並みが広がっている。

 道をたくさんのぬいぐるみたちがのんびりと行き交い、とんかつに挨拶したり手を振る者もいた。

「すごい」

「だろう? 向こうにお役所があるから、詳しい話はそこできいてごらんよ」

 親切なとんかつは、この場所に来たばかりのミィを役所の前まで連れて行ってくれた。

「…………ありがとう」

「どうした、元気ないな」

「ぼく、捨てられたからここにいるんだよね?」

「……そうだな」

 しゅんとするミィに、とんかつはそうだ、と言った。

「でもな、ここにいるっていうことは、愛されていたっていうことでもあるんだぜ」

「そうなの?」

「ああ、そうだ。おいらたちぬいぐるみは、大切にされることで魂が生まれるんだ。君と一緒にいた人間は、君と別れるときに悲しんでいたんじゃないか?」

「それは――っ」


 ミィは思いだした。可燃ごみの日に出された日を。

 玄関から見送るあの子の目から、滴る雫を。哀しみに歪んだ表情を。


「かなしんで、た」

 言うと聞いたとんかつも何か思うことがあったのか、そうかと小さい声で返した。

「おいらたちぬいぐるみは、愛されることで魂が生まれる。別れを悲しむというも愛のひとつだ」

「………………」

 ミィは何も言えなかった。あの子はミィとの別れを悲しんでくれていた。それまでは忘れていたとしても、あの瞬間は確かに愛していたのだ。

 それからミィはとんかつと一緒に役所に行った。お願いして、あの子とまったく同じ造りの家に住むことになった。あの子をいつでもそばに、感じられるように。

 とんかつの他にもたくさんのぬいぐるみたちと出会うのだが、それはまた別のお話。


 ――可愛いあの子のたましいは、ちゃんと幸せにしている。

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