第3話 深溝海音

 「ふわぁ…、眠ぃ…」

暖かな春の陽気に包まれて、俺は一人埃の舞う午後の教室で黄昏ていた。なにも、俺が入学早々居残り補習だとか、なんかやらかして呼び出し食らって待ちぼうけとか、そういう訳ではない。これはれっきとした「部活動」なのだ。

…そう、全ては遡ること一時間。胡散臭いおっさんこと烏森先生がぬけぬけと抜かしやがった一言のせいだ。


「よしよし、乙川が俺の意見に賛同してくれて、しかも入部を決心までしてくれんなんて、先生嬉しいぞ。よし、そうと決まればさっそく取り掛からなければな!もちろん部室は用意してある。なぁに簡単だ、お前さんは毎日放課後その教室に座って時々来る依頼者の相談に乗ってやるだけでいいんだ。どうだ、簡単だろう?」

こいついつか殺す。

「で、部室ってどこなんです?」

「そうだった、今から案内しよう」

「今からですか?もう帰りたいんですけど…」

割と本気で頭が痛い。家に帰って寝たい。

「ん?そうかそうか、それならしょうがないな。『乙姫伝s…」

「わーわーわかりました!さあ行きましょう!ほら早く!」

「はは、冗談だよ。俺の座右の銘は「思い立ったが吉日」だからな」

誰も聞いていない。そんなことより、周りで迷惑そうにしているほかの先生方からの視線が痛い。

「よし、行くか。こっちだ」


…そして、通されたのが今俺がいるこの教室、って訳だ。いや、『教室』という表現は適切ではない。もはやここは物置である。今は使われていない様々な部活動の備品や書類が乱雑に放置され、埃をかぶっていた。

「…えっと、先生、部屋を間違えてません?物置ですよここ」

「はっはっは、何を言っているんだ乙川。間違いなくここであってるぞ?そうだな、まずは最初の仕事だ。この部屋を使えるようにしてみせろ。んじゃ、また二十分後に来るから」

「…は?」

そう言うが早いか、烏森は足早に教室を後にし、歩いて行ってしまう。とりあえず、タイムリミットまで設けられたんだ。何もしないというのも何だし、仕方なく掃除を開始するのだった。

 乙川が部屋を片付け始めてからジャスト二十分後、部屋に取り付けられたスピーカーからチャイムの音が流れる。それと同時に教室のドアが開き、烏森が顔をのぞかせた。

「首尾はどうだ、乙川。…ておいおい、まだほとんど片付いてないじゃないか。仕方ないな、今日はもう下校しろ。一度教室に戻って荷物を取ってから帰りなさい」

「…はぁ、わかりました。ってか、なんですかこの部屋?散らかりすぎですよ…」

「あー、まぁこんな校舎の奥深くにある部屋、基本誰も訪れないからな。掃除が行き届いていなくても仕方はないだろう」

行き届いてないってレベルではないと思うのだが…。まぁ今更それを言っても、だ。下校許可が出たんだし、お言葉に甘えて帰らせてもらうとしよう。

「そんじゃ、俺は今片付けてるこの山だけ崩したら帰るんで」

「うい、お疲れさーん」

そう言い残してまた去っていく。忙しいのか暇なのかわかんないなあの人。

 「ふわぁ…、眠ぃ…」

今は四月、三寒四温といえどもどんどん気温が上がり、この教室もぽかぽかと春の陽気に包まれている。今日はこのくらいにして、もう帰ろう。そう思い、教室を出て鍵を閉める。…そして思い出す。

「………どこだここ…」

迷子である。もはやこの学校は全体を覚えさせる気がないのではないだろうか。おそらく最初はサバゲ―場か、巨大迷路のつもりで設計したのだろう。そうに違いない。そうとでも思わなければやっていられない。というか、ほんとにここどこだよ。仕方ない、その辺を適当に歩いて誰かに場所を聞くとしよう。 

 カツカツ、と靴音がこちらに近づく。助かった、これで道が聞ける。

「すいません、ちょっと教室の場所をききたいんです…け、ど…」

「あ、乙川君、だっけ?なになに、また迷っちゃったの~?」

そういってにやにやと笑みを浮かべるのは一人の女子生徒…いや、桜本風那先輩だった。

「先輩、またって言うのやめてくださいよ…。てかこんな迷宮で迷わない新入生なんているんですか?」

「さぁ?私はみたことないけどね。で、なんだっけ?教室の案内だっけか」

「あ、はい。一年三組ってどこにありますか?」

「あー、一年生の教室は南館の一階ね。この学校は館が四つあって、それぞれに部屋の特性があるから、それ覚えちゃうと早いよ。例えば、普通の教室は南館にしかない、とか。あ、因みにここは北館ね?」

「了解っす。南館の一階、ですね。何回もありがとうございます」

「ん、いーの。後輩の手助けをするのも先輩の役目、だしねっ」

そう言うと手をひらひらとさせてどこかへ歩いて行ってしまった。相変わらず自由な人だ。

「よし。場所が分かったことだし、サクッと行ってサクッと帰りますか」

 場所は分かっても広すぎてそう簡単にはたどり着けないことを知るのに、そう多くの時間はかからなかった。


 あれから一週間。掃きだめのような物置もあらかた片付き、烏森先生は青春部を通常営業―即ち教室に座って依頼者を待つ業務に入っていいと指示を出した。なので俺は放置されていた机と椅子、電気ケトルを持ち出してコーヒーを淹れ、スマホをいじったり本を読んだりしているのだが。

「……暇だ」

依頼者どころか、人っ子一人現れない。高校の授業内容の予習・復習をしようにも、あらかた春休み中に片づけてしまっている。

「てか、顧問ぐらい来いよ。なにしてんだあのおっさん」

とぼやく。すると、

「呼んだ?」

いきなり教室のドアが開き、顧問のおっさんが顔を出す。

「どうだ、乙川。盛況か?」

「何を見て行ってるんですかその言葉。目付いてます?」

「そういうと思った。そこでだ、乙川に素敵な提案があるんだ」

「なんですか?あんまり面倒くさいことは勘弁してくださいよ」

「安心しろ、今回はまともだ。この教室は北館四回、ほとんど誰も寄り付かない忘れられた教室…っていう話はしたな?あれ、してないか?」

してねぇよ。

「まぁいい、続けるぞ。こんなところに部室を作っても、基本誰も来ない。というか、存在すら知らない」

部室をここにしたのアンタだよ。

「だからな、先生なりに一生懸命考えて、こんなものを作ったんだ!」

じゃーん、と得意そうに取り出したのは、いかにもその辺から拾ってきました感満載の金属でできた箱だった。申し訳程度に、『青春部 青春の悩み、解決します!』と書かれた紙が貼ってある。

「…で、それをどうするんですか?」

まさか同じものを四つ用意して下駄箱に設置するなんて言わないだろうな。

「よくぞ聞いてくれました、乙川君!実はですね、先生これと同じものを四つ用意して下駄箱に設置しようと思ったのです」

フフン、と胸を張って烏森先生が言う。馬鹿なのかコイツは。

「あのですね先生、今時そんなアナログなものに手紙を書いて入れるなんて人どこにいるんですか?時代は情報化社会ですよ、これならせめて青春部のブログでも開設してメールを待ったほうが無難ですよ」

おいやめろ、そんな「お前天才か?」みたいな顔するな。天災なのはお前の頭だよ。

「…なるほど、乙川は頭がいいな。よしわかった、それじゃあ先生が特別に部活用のPCを持ってきてやろう」

いや自分のスマホでやりますけど…と言おうとしたが、言えなかった。何故かって?…もう意気揚々と出て行ったからだよあの人。自由か。頭痛がしたのでもう今日は帰ってやることにしましたまる。

 次の日。放課後、部室に入った俺を待ち受けていたのは机の上に置かれた小さなノートPCだった。…例に漏れず、「いかにもその辺から拾ってきました感満載の」が付くやつだ。あの先生のことだ、びっくり箱ぐらい取り付けてあってもおかしくない…と、警戒しながらPCに近づく。すると、開かれたが電源はついていない画面に張り付けられた一枚のメモ用紙が目に入る。手に取ってみると、

「えーっと…?『先生が作ってあげようと思ったんだけど、操作方法わかんなくてなんか変な警告音なりだしたから焦って電源落としちゃった!ごめんね☆飛燕』」

くしゃり、と右手に持ったメモ用紙がつぶれる音がした。知らない。

本音を言えば回れ右をして帰りたいが、そうもいっていられないのでおそるおそるPCを開く。いつ爆発するかと戦々恐々としているが、幸い起動即どっかーんとはいかなかった。良かった。いやほんとに。

「とりあえず、ブログを開設するだけして今日はもうおとなしく座っていよう…」

そう心に決め、仕方なく作業を開始する俺。なんだかんだ言って無茶苦茶な烏森先生にすでに適応しかけていることを知るのは、もう少し後の話。


 あれから数日。ブログには何一つメールが来なく、あわよくばこのまま青春部は自然消滅かなーなんて淡い期待を抱きながら部室で座って読書をしていた俺のもとに、烏森先生が訪ねてきた。

「おい乙川、いるか?」

「いますよ。てか、今までちゃんと先生の言いつけどり毎日欠かさず来てるじゃないですか」

「そうだったな、えらいえらい。そこでだ、そんな仕事ができる乙川に朗報だ」

「なんですか?」

少しばかりイラっとしながら訪ねる。すると烏森先生は非常に楽しそうに、

「よろこべ、最初の依頼だ。南館の下駄箱に設置したアオハルボックスに手紙が入ってたんだ」

そんなダサい名前だったのかよそいつ。…は?依頼?

「…本当ですか?先生の自作自演とかじゃないですよね?」

こいつならやりかねんからな。

「いやほんとだって。ほら」

と、綺麗に折りたたまれた一枚の紙を投げてよこす。

『拝啓 青春部様

 突然のお手紙申し訳ありません。私は、今年入学した一年生です。

 私には今悩みがります。それは、クラスで孤立しており、誰とも話せていないというものです。

 ブログには、秘密は守る、親身になって相談に対応すると書かれていました。

 それが本当ならば、この依頼を受けてもらえないでしょうか

 4月12日の放課後、部室へ向かわせていただきます。

                      敬具』

ときれいな文字でそう書かれてある。

この手紙から分かったことは三つ。

①俺はブログにそんなことは書いていない。別にそうしないわけではないのだが、おおかた烏森先生が勝手に書き加えたのだろう。いや知らんけど。

②この依頼者は、かなり礼儀正しい性格のようだ。今時こんな手紙に拝啓とか付けないだろう。いや知らんけど。

③…㋃12日って今日やんけ。このクソ顧問、わかっててわざと今日俺に渡しただろ。いや知らんけど。

そこまで館あえたところで、教室のドアが四回ノックされる。例の依頼者だろう。

「はーい、空いてるのでどうぞ―」

と声をかけると、ガラガラ…と控えめに戸が開かれる。そこに立つ人物を見た瞬間、俺は息をするのを忘れた。

「初めまして、一年三組深溝海音です。よろしくお願いします…。」

そう、そこに立っていたのは学校随一の美人と名高い、あの深水海音だったのだ。

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