ケンタくんの贈り物

奇跡いのる

第1話

 四月に入り雨の日が続いて、桜は既に散ってしまっていたが、明日香の転校初日の朝は気持ちのいい快晴だった。


 地元の中学校での入学式を終えたばかりの明日香だったが、父親の転勤の都合で中途半端な時期の転校になった。結局、その中学校には一週間ほどしか通えなかった。


 引っ越し先には知り合いがおらず友達もいない。

 明日香は引っ込み思案な性格もあって、人生初の転校に不安でいっぱいになっていた。


 転校初日、前の中学校の制服を着て登校することになった。あまりにも急に決まった転校なので、制服の準備が出来ていなかった。


 通学路は至ってシンプルな一本道だったので、迷う心配はなかった。坂道を上るのがしんどかったが、歩いて十分もすれば中学校に到着する。


 周囲の目線が気になった。一人だけ違う制服を着ているので目立ってしまっている。



 家を出て学校までの道の途中に、小さな駄菓子屋があり、店先に自販機が設置されているのだが、その自販機の前でうつ伏せになっている人を見つけた。中学校の制服を着ているので、おそらく同年代だろう。


 明日香は得体の知れぬ中学生に軽く恐怖を感じた。無視しようと思って、通り過ぎようとした時に声をかけられた。


「ちょっと手伝ってくれませんか?」

「え、わ、私ですか?」

「はい、あの、この自販機の下に僕の大切なものが挟まっているんですが、僕の腕じゃ太くて取り出せないんです」


 中学生はぽっちゃりとした体型で、確かにその腕では自販機の下の狭い隙間には入らないだろうと思えた。


「すみません、お願いします」

「え、で、でも制服汚れちゃうし…」


 あ、そうですね、と言い彼は着ている制服の上着を脱いで地面に敷いた。


「この上に乗っちゃってください」


 面倒なことに巻き込まれたなぁ、と明日香は思ったけれど断る勇気もなかったので付き合うことにした。


 敷かれた男子中学生の制服の上に膝をつき、しゃがんで自販機の隙間を覗き込んだ。。キーホルダーみたいなものが挟まっている。


「キーホルダーですか?」

「それです、お願いします。」


 明日香は手を伸ばしてそのキーホルダーを掴んで引っ張り出した。家の鍵のようなものに、猫のぬいぐるみが付けられている。可愛らしいキーホルダーだった。


「ありがとうございました、助かりました」

 と男子中学生がニッコリと笑った。


「あの、なんで、こんな所に?」

「いや、ちょっと同級生に捨てられちゃって…」

「なんで捨てられるの?」

「僕、嫌われてるんで。あ、僕は佐賀ケンタと言います、ホントにありがとうございました」


 そう言うとケンタは制服を拾って、汚れを叩いて、それを着なおした。明日香に一例をして、走って坂道を上っていった。


「あ、え、あの、キーホルダーは?」


 明日香は拾ったキーホルダーを渡しそびれてしまっていた。


 ★★★★★★★★★


 朝のホームルームで、自己紹介をすることになった。


「東京から引っ越してきました、佐藤明日香です。転校は初めてなので、あの、仲良くしてください」


「はーい、みんな佐藤さんと仲良くしてあげてください。それでは…佐藤さんは佐賀さんの隣の席に座ってください」


 あ、と明日香は思った。先程のキーホルダーの男の子。キーホルダーを渡さないと…と話しかけようとしたが、ケンタは頑なに視線を合わさなかった。


 ホームルームが終わって十分休憩になった。

 周囲の生徒に囲まれて、結局、ケンタとは話すことが出来なかった。


 初の転校で不安だったが、ひとまず、クラスの女子の数人と話すことが出来て一安心だった。


 が、肝心のケンタはいつの間にか姿を消していて、キーホルダーを渡せずにいた。


 話しかけてくれた女子生徒に明日香は尋ねてみた。

「あの、佐賀くんってどこにいったの?」

「あー、豚?あいつは保健室でズル休みしてるんじゃないかな?あんまり豚に関わらない方がいいよ、明日香ちゃんもいじめられるよ」


 嫌われてるってそういうことだったのか。

 いじめ…嫌だなあ。



 ★★★★★★★★★


 結局、ケンタは朝のホームルーム以外、教室に姿を見せることはなく、キーホルダーは渡せずじまいだった。


 クラスメイトの話では、佐賀ケンタは小学校の頃からいじめられていて、中学生になってからは保健室登校を続けているらしい。


 明日香にとっては、生まれて初めてのイジメとの遭遇だった。


 イジメに加担したくはなかったが、だからといって自分が標的にされるのも怖かった。転校してきたばかりの自分に何が出来るのか分からなかった。


 帰り道、駄菓子屋の自販機の前でケンタが待っていた。

「朝はありがとうございました、あの鍵を受け取りそびれていて」

「あ、はい、どうぞ」

「ホントにありがとうございました」


 そう言って、離れようとするケンタの背中に明日香は声をかけた。


「あ、あのー」


 ケンタは立ち止まって振り返った。

「どうしましたか?」

「わ、私、転校してきた佐藤明日香です」

「知ってますよ、朝のホームルームは一緒だったじゃないですか」

「あの、何で保健室に?」

「僕は嫌われ者なので、教室にいるとみんなを不快にさせてしまうので」

「が、学校行かなきゃいいんじゃ?」

「イジメは嫌だけど、学校は好きなんです、学校、行きたいんです」


 明日香は自分が酷いことを言っていることに気付いて、途端に悲しくなった。


「ご、ごめんなさい、イジメられてる人は学校嫌いなんだと思い込んでたので」

「いいですよそんなに悩まないで下さい。学校で話しかけないでくださいね。佐藤さんまでイジメられちゃいますから」


 夕暮れが町を飲み込んでいく。不気味なくらいの橙色が空を染めていた。



 ★★★★★★★★★


 明日香が転校してからしばらくたったある日、ケンタは登校しなくなった。

 どんなにイジメられても、毎朝ホームルームには顔を出して保健室で授業を受けていたのに、そんなケンタが突然学校に来なくなった。


 明日香はイジメを止めることが出来ずにいた。それが悔しくて苦しかったけれど、ケンタが毎朝登校するのを見ることで、免罪符のような、少しの希望のようなものを感じていたのだ。


 明日香は担任にケンタについて聞いてみたが、詳細は教えて貰えなかった。彼の家の住所を知っているクラスメイトがいたので、意を決して彼に会いに行くことに決めた。



 駄菓子屋の近くの古びたアパートが、ケンタの実家だった。インターフォンはなかったので部屋のドアをノックした。


「どなたですか?」

「あの、佐賀くんの同級生の佐藤です」

「あら、あなたが佐藤さん?」


 ケンタの母親は明日香のことを知っている素振りだった。


「あの、佐賀くんはいらっしゃいますか?」

「ケンタはいないの、もう、いないの」



 ★★★★★★★★★


 明日香はケンタの母親から、感謝をされた。

 そして、一通の手紙と、猫のぬいぐるみを手渡された。彼のキーホルダーについていたものとはまた違う猫のぬいぐるみだ。


『佐藤明日香さまへ』と手書きの文字で書かれた手紙の封は切れなかった。


 佐賀ケンタは亡くなっていた。

 病気だった。

 元々、心臓が弱かったそうで、長くは生きられないと言うのが主治医の見立てだった。


 六月の雨の日に、心臓発作を起こし、そのまま亡くなっていったそうだ。


 猫のぬいぐるみは、彼の母親の手作りだった。

 彼の大切なもの。


 明日香は後悔していた。何故イジメを止められなかったのか。もっとたくさん話せばよかったのに。



 ★★★★★★★★★★


『佐藤明日香さまへ』


 突然こんなお手紙を渡されて、気分を悪くさせたらごめんなさい、気持ち悪いですよね。


 僕はあなたに会えて本当に嬉しかった。

 あなたの優しさに救われていました。


 あの日、キーホルダーを拾ってくれたあなたが、僕の支えでした。勇気を出して声をかけてみて良かった。僕の人生の中で一番のファインプレーです。


 毎朝ホームルームに顔を出していたのも、本当のところはあなたに会いたかったからです。


 イジメられている僕に、何が出来るのかって考えてくれてたでしょう?それだけで十分嬉しかった。


 佐藤さんは何も悪くないです。

 自分を責めないで下さい。

 僕はあなたに救われたんです。 本当です。


 猫のぬいぐるみ、僕のお母さんが作ってくれた僕の宝物です。良かったら可愛がってあげてください。


 僕は学校が好きだった。

 学校に行けばあなたに会えたから。



 ★★★★★★★★★★


「明日香っち、それ可愛いねー、手作り?」

「これは大切な人に貰ったんだ」

「へぇ、誰?彼氏?好きな人いるの?」

「そんなんじゃないよ、でも、大切な人なの」


 明日香のスマホにぶら下がった猫のぬいぐるみが揺れている。

 春風が心地良かった。高校の入学式は気持ちのいい快晴だった。

















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