君は、タラちゃん。
コノハナ ヨル
⭐︎
友達と呼べるような大切なぬいぐるみがいる人は、意外と多いのではないだろうか。例に漏れず、私にもそのような存在がいる。
名は、タラちゃん。タラちゃんはウサギのぬいぐるみだ。茶色のタオル地で出来た体に、モスグリーンのちょっとよそ行きっぽいワンピースを着ている。大きさは25センチくらい。ちょうど牛乳パック程だ。
タラちゃんは、母が私に初めて買って与えたぬいぐるみだ。昔のアルバムを見ると、まだ新生児である私の横で、ちゃっかりとこのタラちゃんも寝ているのが確認できる。
小さい頃から、私にとってタラちゃんは特別だ。いつも一緒にいた。タラちゃんの耳は、私がおしゃぶり代わりにしたせいでヘニョっと歪んでいるし、目のボタンも何回も取れては付け直してるから左右で微妙に位置がずれている。口を描いていた糸も切れてしまっていて、それを不器用かつ適当な性分の母が直したものだから、明らかに元々のとは違う、不機嫌な口元になっている。にもかかわらず、私はずっとタラちゃんが好きだ。私は沢山のぬいぐるみを所持してきたけど、大人になった今も持っているのはタラちゃんだけである。
KACコンのお題が「ぬいぐるみ」だと知った時、すぐにこのタラちゃんのことが頭に浮かんだ。そうだ、この子と私のハートウォーミングなエッセイを書こう。こういうのはみな大好きだ。私だって、普段はキテレツストーリーばかりを書いているけれど、本質的部分では温かい物語を常に必要としている。よし、タイトルは「君は、タラちゃん」。これでどうだ。なかなか純朴な感じで良いんじゃないか。私たちの出会いから現在に至るまでを、心温まる実際のエピソードの数々で綴り、ほっこりしていただく。たまにはこういうのも、ありでしょう。
しかし、ここで一つの疑問が湧き上がった。そもそも、なんで「タラちゃん」なんだろう。タラは、母がつけた名前だったような気がする。母はフィギュアスケートが大好きだから、数々のメダリストを育て上げた敏腕ロシア人コーチ、タラソワ氏から名前を拝借したのかも知れない。もしくは、母がこれまた大好きな映画『風と共に去りぬ』に出てくる地名“タラ”から取ったのかも。だけど、あくまでこれは推測だ。今回書き留めるにあたって、そのあたりのことを明確にしておいた方がよいだろう。
私はすぐさま、母に電話をかけた。
--あ、もしもし私だけど。うん、先日は野菜ありがと。最近高いから助かったよ。煮物にしたら、皆んなパクパクおかわりしてさ。子どもらが“じいじの作った野菜おいしい”って言ってたって、お父さんにも伝えといてよ。
まどろこしいと思うかもしれないが、母と電話する時には、いきなり核心から話してはいけない。それは非常に無粋で不人情な行為だそうだ。ここへの配慮を怠ると、上手くいくものもいかなくなる。それが、ただぬいぐるみの名前の由来をきくだけであっても。
そして、本題はいよいよここからだ。
「あのさ、うちにぬいぐるみのタラちゃんいるでしょ? あれ、何でタラちゃんって名前なんだっけ?」
母は間髪入れずに答えてきた。
「タラコよ。」
は? タラコ……? タラコって言った?
「え、あの魚の卵の?」
動揺を抑えつつ私は聞き返したが、戻ってきたのは、それが空耳や勘違いではないということを更に補強するものだった。
「うん。そのタラコ。タラちゃんは、タラコが好きなウサギなの」
私は天を仰いだ。来た、来たぞ。うちの母は、時折こういったメルヘンなのか怪異なのかよくわからないことを、真顔(今は電話だから、顔は見えないわけだが)で繰り出してくる。本人は至って本気ゆえに、ツッコミも入れづらい。だが、よく考えたらサザエさんのタラちゃんだって、もとは魚の鱈から名前をとってきてるんだろうし、むしろこっちの方が名前の由来として自然なものなのかもしれない。
おーけー。
「タラちゃんは、タラコから取ってつけた。」
「タラちゃんは、タラコが好き。」
以上、2点、承知しました。
しかし、このあと若干噛み合わない何ターンかの会話を経て、以下のことが新たに判明した。
「設定;顔がぶつぶつしてるのは、タラコの食べ過ぎによるもの(タオル地の毛羽立ちを、肌荒れと解釈)」
……終わった。流石にこれを聞いたあとじゃ、ハートウォーミングエッセイにするのは難しい。試合終了。やはりこの母にして、私。もう手癖全開で、夜中に動く恐怖のぬいぐるみ話(ジャンル:ホラー)を書いた方が良さそうだ。私、タラちゃん、アナタの後ろにいるの。肌が荒れているから、ステロイド塗薬と保湿剤をちょうだい、とかそんな感じの。
受話器越しの母は、ご近所のあれやこれや、体調の変化、雪下ろしが辛いから何処か遠くに引っ越したい、お父さんのご飯を毎日作るのが苦痛……などと、つらつら語り続けている。それに適当に相槌を打ちながら、私は、頭の中でぬいぐるみの話の構想を大急ぎで練り直していた。
そして、そろそろ電話を切ろうとした時。母から思わぬ爆弾が落とされたのだ。
「あ、あのね。さっきのタラちゃん。タラコが何で好物かって言うと、亡くなったあんたのおばあちゃんが、タラコが大好きだったから、そうしたのよ。おばあちゃん、畑仕事で日焼けしててちょうどあんな感じの茶色っぽい顔色だったし。それで、あんたが生まれる数日前に亡くなったから、代わりに見守って欲しいなって思って……」
嘘でしょ……。このタイミングで言うの? それを……?
--え……あ……そうなんだ。お母さん……うん、もう、タラちゃんのことは大丈夫だから。うん、ほんともう大丈夫だから。大切にしてるし。あの……お母さんも、今、気温差が激しいから、体調気をつけて……。
私はこんな感じで電話を切ったように思う。突然明かされた真実に混乱していて、いまいち些細なことは覚えていないけれど。
はあ、そうか。タラコ……。肌荒れ。……おばあちゃんの好物……。
情緒が迷子になりながら、ふと見上げたリビングの飾り棚には、体をぐにゃりと曲げてタラちゃんが座っていた。
タラちゃん。ああ、タラちゃん。
あんたのタラは、タラコのタラさ。
おばあちゃんとお揃い。
タラコが大好き、タラちゃんさ。
タラちゃんは、ひしゃげた耳で、高さの違うボタンの目で、歪んだ口で、じっとしている。
つまり、いつも通りだった。
幾秒か、幾分か。しばらく考えたあと、そっか……そうだよね、と私は口内でゆっくりと言葉を転がした。それは改めて、一つのことを確信した瞬間だった。
名前とか好物とか、泣ける背景とか、実のところあまり重要なことではなかった。別にそれで好きになったわけじゃないし。
ねぇ、タラちゃん。私は心の中で囁いた。
今度、君を柔軟剤入りの高級人形用洗剤で洗ってあげる。それは肌荒れじゃない、ただの毛羽立ちだ。君がタラコを好きなのなら、気にせず幾らでも食べてくれ。
だから、ずっと側にいてよ。私が棺桶に入る時、できれば横に君がいて欲しい。それで、ついでにタラコも入れちゃおう。焼きタラコは好きですか。
だってそうでしょ? 君は、タラちゃん。
私の大切な大切な、友達。
これはずっと変わらないから。
その後書いたこのエッセイは、読んでの通りハートウォーミングとはやや掛け離れたものだ。
それでも。
今日もタラちゃんは、リビングの定位置で、私を見守ってくれている。なんとなく、笑っている気もする。
【おわり】
君は、タラちゃん。 コノハナ ヨル @KONOHANA_YORU
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