したたかに去りぬ

登美川ステファニイ

したたかに去りぬ

「おい、お前。探偵なんだって?」

「あ?」

 喫茶店のオープンテラスで文庫本を読みながら時間をつぶすのが俺の日課だった。探偵なんて名ばかりでなんでも屋みたいなもんだが、探偵かと声をかけられたのは久しぶりで心が色めき立つ。

 ようやくまともな仕事か? そう思って声の方に視線を向けると、そこにいるのは子供だった。体の大きさに合わない大人用のリュックを背負い、左手には薄汚れたくまのぬいぐるみを抱えている。年の頃は一〇といったところか。どうみても金を持っていそうにない。

「えーと、パス」

 俺は秒で文庫本に目を戻すが、子供は俺に詰め寄り言葉を続ける。

「何言ってるんだ。お前探偵なんだろ、聞いたぞ! 私の依頼を引き受けろ!」

 子供は俺の文庫本を取り上げテーブルの上に放り投げた。

「おいおい、何するんだよちびっ子。お兄さんは忙しいからね、人のじゃまをしないの。ママに言われなかったか」

「そのママを探している。金だって――ある!」

 バンと机に叩きつけられたその手にはあらまあ何ということでしょう。一万円札がたくさん。くしゃくしゃになってはいるがざっと二〇枚はありそうだった。俺の探偵魂がやにわにいきりたつ。人参を目の前にぶら下げられた馬のように。

「はっ、何なりとお申し付けください! ママを探してるって? もう何でもかんでも見つけちゃうよ!」

「そうだ。ママを……ママを見つけてくれ!」

 子供は目に涙を浮かべ言った。あっ、なんかシリアスなやつ? 俺そういうの苦手なんだよな。

「ええと、ここじゃなんだ。とりあえず話を聞くから俺の事務所に来いよ」

「……分かった」

 子供は涙を拭い返事をする。ガキっぽくわあわあ泣かないだけ立派なもんだ。もっとも、泣いたところでこの捨骨しゃこつ街じゃ誰も気にしない。かえってうるせえって頭を叩かれるのがオチだ。

「じゃ、じゃあこのお金はおじさんが……」

 テーブルの上の紙幣の束を取ろうとすると、ひったくるように子供が自分の財布の中に戻し、強い視線で俺を睨む。なるほど。しっかりした子供だ。


 子供の名前はハルカと言った。十一歳の女の子で家出してこの街にまでやってきた。道もわからず、頼れる他人もおらず、それでも必死でこの街にやってきた。たった一つの目的を果たすために。

「ふうん。生みの親のお母さんを探したいわけね」

「そうだ。最後にもらった手紙の消印がこの街だった。二年前から母さんはこの街に住んでいるはずだ。探し出してほしい」

 手渡されたのは一枚のモノクロ写真。赤ちゃんを抱いている女の人が写っている。この赤ちゃんがハルカで、抱いているのがお母さんのマツリさんだ。

「特徴は?」

「母さんは白人だ。髪も金髪で、目は青い。右の肩にバラのタトゥーが入っている」

「白人さんね。いれば目立つ……まあなんとか見つかるんじゃないか?」

「本当か?!」

「まあそら、探すのが俺の仕事だからね。絶対確実とは言わないが、大船に乗ったつもりでいてくれよ。ところで代金なんだが……前金でとりあえず五万だ。みつかったら成功報酬でさらに五万」

「五万……分かった」

 ハルカが財布の中から改めて五枚の一万円札を取り出す。俺は一応透かしを確認してから懐に入れる。

「ようし、まかせとけ! すぐに見つけてやるからな!」

 懐にお金があるというのはなんと心強いことなのだろうか。気炎万丈。俺は早速街に繰り出し情報を集め始めた。


 三日が経った。捨骨街は広いようで狭い。人を探そうと思えば、まあなんとか探せるもんだ。無論俺の顔の広さが必要であることは言うまでもないが、とにかくハルカのママは見つかった。あんまり嬉しくない形だったが。

「ここ、なのか……ここにママが……」

 震えるような声でハルカが言った。案内したのはオンボロの一軒家。玄関には大家さんがいて、ハルカをじっとみつめていた。

「なるほど、確かに娘さんのようだね。目元に面影があるよ」

 大家さんの言葉に、ハルカはためらいながら聞く。

「ママは……死んだんですか?」

「ああ、半年ほど前にね。ずっと写真を大事にしていたよ。大事な娘だってな」

「そう……ですか」

 ハルカは落胆したように視線を落とす。無理もない。命がけとまでは言わないまでも、ここに来るまでには相当の苦労があっただろう。それがすべて無駄に終わってしまったんだ。

 同情するが、しかし人生はそんなもんだ。望んでいた答えを手に入れるより、望まなかった事実を手に入れることのほうが多い。特にこの捨骨街では。

「残念だったな。でもまあ、分かっただけいいじゃねえか。俺なんか母親が誰かも知らねえ。それどころか親に殺される子供だって……おっと、今言う話じゃなかったな。とにかく、ここがママの終の棲家だったってことだ」

「ああ、ありがとう。あんたのおかげだ……」

「おじょうさん、マツリさんはこの鏡台を残していったんだ。部屋にものは少なかったけどこれだけは大事そうに手入れしてあってね、よかったら引き取ってもらえないか」

「鏡台ですか」

 大家さんからハルカは鏡台を受け取り、引き出しを開けようとする。しかし鍵がかかっているらしくあかないようだった。中からはカタコトと音がするから、大事な何かが仕舞ってあるようだった。

「鍵……まさか!」

 ハルカは鏡台を足元に置き、持っていたぬいぐるみの首飾りを調べ始めた。赤いリボンには鍵が結わえてあった。

「ずっと不思議だったんだ。なぜこんな鍵をぬいぐるみと一緒に残していったのか。もしかして……」

 ハルカが震えながら鍵を鏡台の引き出しに差し入れる。固唾をのんで見守っていると、カチリと錠のあく音が聞こえた。

「開いた!」

「お、おい! 中には何が入ってんだよ!」

「これは……」

 開いた引き出しから手紙を取り出し、ハルカはそれを読む。

「母さんからの手紙だ……母さん……私を捨てたわけじゃなかったんだ!」

 ぼろぼろと大粒の涙を流しながらハルカは手紙を胸の前で抱きしめる。何書いてあるか大体察しはつくぜ。つまらんファミリードラマみたいな展開だ、まったく。俺の視界まで滲んできやがる。

「金の話で悪いが……見つかったけど会えなかったからな。後金はいらないぜ。おかしいと思ったんだよな。パツキンの美人のネーチャンが住んでて知らないわけないんだから」

「……お前のおかげだ。これは、受け取ってくれ」

 ハルカが引き出しから何かを取り出す。何かと思えば五〇〇円玉だった。

「ちっ、五〇〇円かよ。子供の駄賃だな。ま、成功報酬として受け取っとくぜ……で、これからどうするんだい」

「家にはもう戻らない。ママの兄さんに会いにいくよ。何かあれば訪ねてこいと言われている」

「まさか家出して訪ねてくるとは思わねえだろうけどな……じゃ、達者でな」

「ああ。じゃあな、探偵さん」

 人を探して五万と五〇〇円。なかなか悪くない仕事だった。


 というのが三日前のことで、俺は今日も暇つぶしに喫茶店で本を読んでいる。そして耳に入ってきたのは不思議な少女の話だった。

 母を訪ねて捨骨街にやってきて、探偵を使って亡き母を探し当てた。そして遺産の宝石を手に旅立っていった……。

 そういや鏡台を動かした時にカタコトいってたんだよな。手紙と五〇〇円玉だけじゃ理屈が合わねえ。宝石が入っていたというわけだ。

 あの場の流れに流されて俺の目も曇っていた……そういうことらしい。中に宝石があるとわかれば後金も迷わず請求していたが、ハルカに一杯食わされたわけだ。俺が思っている以上に、あの娘はしたたかだったというわけだ。

 それだけしたたかならきっとどこででも生きていけるだろう。俺はもう二度と会うことのないであろう少女に敬意を評し、今日のコーヒーを五〇〇円玉で支払った。

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