ダラー・ドール。

透々実生

ダラー・ドール。


価値は、見た目ではなく、中身で判断するものだ。


🧸🧸🧸


 この街は、今日も困った人たちでいっぱいだ。

 少女リラは、搔き集めた食糧を詰めた袋を握りながら、住み慣れたスラム街を歩く。住めば都、という言葉があるが、都と思った試しは無い。出来るならば早いところ抜け出したいと思っていた。

 ゴミが散乱する臭い道路。僅かな悲鳴と沢山の暴力の音が聞こえる路地裏。割れる硝子に飢えた家無し人ホームレス。様々な破壊と退廃が、此の街を満たしていた。

 本当なら、困っている人を助けてあげたい――飢えの為に目の前で両親を失ったリラは心の底からそう思っていた。しかし、そんな余裕はリラの何処にもありはしなかった。

 だから、路地に座り込む人を見ても、見て見ぬふりをしていた。そんな自分が嫌で嫌で堪らないが、他にどうしようもなかった。

「おらっ、寄越せ!」

「ああっ。服まで持って行かれては困りますっ!」

「うるせえ! 殺すぞジジイ!」

 斜め前方。老人が複数人の少年団に身包みを剥がされている様が見える。此のスラムでは、使えるものは全て奪うのが大原則だ。だから、真っ裸に近い状態にまでされることも少なくない。全裸の死体も珍しくないのだ。

 服をかっぱらって満足した少年団は、下卑た笑い声と共に去っていく。彼らを眺めながら、老人は骨ばった体をガタガタ震わせていた。

 今は12月。厳しい冬を乗り切るには、食糧もさることながら、服が無くてはどうしようもなかった。

 だから、この老人が死んでも仕方ない。

 通り過ぎたって仕方ないじゃないか。

 リラはずっと自己暗示をかけながら駆け足で過ぎ去ろうとする。


 過ぎ去ろうとした。

 だが、もう我慢ならなかった。人助けをしたいという自分の本心を万力の如く圧し潰すことに限界を感じていた。どこかで圧力を緩めなくては、本当に心は粉々に砕け散ってしまう。

「あの」

 リラは老人に声を掛けた。老人は目を丸くしてリラの事を見る。

「よろしければ、これ……」

 自分の着ていたコート――奇跡的に強奪されることのなかった、母親の形見である――を脱ぎ、老人に渡した。唖然とした表情の老人は、ややあって口を開いた。

「……良いのですか?」

「良いんです。早く受け取って下さい。私の気が変わらない内に」

 寒い。コートを脱いで分かったが、此の地の12月は途轍もない極寒である。コート無しではとても耐えられないだろう。

 それでも、自分の心に刺さった棘への違和感には勝てなかった。

 老人は、涙を流してコートを受け取る。

「ありがとうございます……」

「で、では私はこれで」

 コートを渡すや否や、リラは食糧袋を握り締めてそそくさと去ろうとする。だが、それを老人が呼び止めた。

「あの……よろしければこれを」

 そう言って手にしていたのは、一体どこにしまってあったのだろうか。熊のぬいぐるみであった。所々使い古された様な汚れが目立ち、ボロボロであった。ネット市場に売りに出しても、凡そ1ドルダラーにも満たないだろう。

 リラは受け取りを拒否した。しかしそれは、決してぬいぐるみが汚いからではなく、何かを受け取る為に施しをしたのではないからだった。

「う、受け取れませ――」

「受け取ってくだされ。今日此処で死ぬかもしれなかった私の出来る、唯一の事なのですから」

 その老人の言葉は重かった。此のスラムに辿り着いてしまえば最後(或いは最期)、蟻地獄の様に二度と元の世界へは這い上がれないからである。つまり、骨を此処に埋めるしかない。埋めるには、此のスラム街は混凝土コンクリートで舗装され過ぎていたが。

「……で、では」

 リラはとうとう断り切れずにぬいぐるみを受け取る。少しずしりと重い感触がしたが、そんな事よりお返しを受けた事に申し訳なさを感じて、ぺこりと仰々しく礼をし走り去った。食糧袋をがさがさと喧しく揺らしながら、リラはスラム街を駆けていく。何所まで行っても出口のない、この行き詰まりの街の大通りを。


🧸🧸🧸


「お帰り、お姉ちゃん」

 息を切らしながら拠点に戻って来たリラは、体の火照りに心地よさを覚えながら「ただいま、ギルダ」と幼い弟に言って食糧袋を地面に置いた。中には、消費期限の切れて廃棄されたコンビニエンスストアの菓子パンが3つ入っている。

 全てのゴミは此処へと流れ着く――その中でも運良く食料品が紛れ込むことがある。リラ達スラムの住人は、そう言ったものを目当てにスラム街外れのゴミ捨て場で待機する。この街に饐えた臭いが漂うのは、そう言った場所で人が大勢いるからでもあった。

 リラは菓子パンをギルダに2つ渡し、更に自らの1つを開けてそれを半分に割った。

「お姉ちゃん、お腹空いてないの?」

 ギルダが不思議そうな顔で見つめるが、リラはそれを跳ねのける様に首を横に振った。

「ええ。途中で拾い食いをしてきたから。ギルダに沢山食べて欲しくてね」

「……分かった」

 そう言って頂きますとパンの袋を開けようとした途端。食糧袋の隣にいつもは置かれていない奇異なものがあることに気づく。

「お姉ちゃん、それは?」

「嗚呼、これ? 道端でおじいちゃんを助けてあげたら貰ったの」

 ボロボロだけどね、と言って先程の熊のぬいぐるみを見せる。触っていい? というギルダの声に「勿論」と返すと、ギルダは食事をするより前にぬいぐるみに触れた。

 使い込まれていて生地がきしんでおり、とてもふわふわとは言い難かったが、それでもギルダはぬいぐるみを抱きしめて大層喜んでいた。

「可愛いね、ぬいぐるみ」

 抱えようとしたのだが、リラが感じた通りやはり少し重いのか、地面に座らせることにした。腕を掴み、モンキーダンスをさせるかの様にそれぞれを上下に揺らす。それだけでも、ギルダはかなり楽しそうであった。

「ぬいぐるみで遊ぶのもいいけれど」リラはそんな可愛らしい弟に苦笑する。彼に笑顔を届けたくて、姉は今日もスラム街を走って来たのだ。「まず、食事をしましょう。それから好きなだけ遊んでいて良いから」

 はーい、とギルダはぬいぐるみから一旦離れ、菓子パンを手に取って齧り始めた。ジャム入りのパンだったようで、とても美味しそうに頬張っていた。

 自分はピーナッツバター入りのパンの半切れを齧り始める。


 自分は、親と同じ末路を辿ろうとしている。

 子供を喰わせる為に自らを犠牲にした親と同じ道を。

 親と違うのは、親は何も食事をしなかったという事。それに比べれば、自分の生存可能性はかなり高いものだ、と思っていた。

 思いながらも、腹は空く。

 頼むから、腹よ鳴らないでくれ――と命じる様にして生理現象に念じた。


🧸🧸🧸


 数日経っても相変わらず、ギルダはぬいぐるみで遊んでいた。

 久しく遊ぶための玩具も何も無かったからだろうか。そうだとすると申し訳ないな、と思いながら、少しのパンだけが詰め込まれた胃の辺りを摩る。日に日に胃が縮んでいくのを実感しながら、しかし本当に危険な時はしっかりと食べる様にしていた。お蔭で両親と違ってしぶとく図太く生き残っている。

 お姉ちゃん、とギルダが呼んだ。何、と答えるとギルダが質問を投げかける。

「このぬいぐるみくれたおじいちゃん、ちゃんと生きてるかな」

 生きてる、とリラは信じていた。自分がコートをあげたのだ、これで死んだらやるせない。心のやり場もない。だから信じる以外の選択肢はリラには存在しなかった。

 だから口にも出して言うことにした。口に出せば、それはいつか現実になる。そのいつかが、老人の死後でないことを願って――。

「生き――」


「おいお前ら」


 その時、背後から声を掛けられた。

 其処には、あの老人を襲った少年団が居た。此処に来た理由は、皆迄言わない。一瞬でそんなものは悟れる。

「食糧はねえか? 金目のもんでも構わねえ。俺達に寄越せ」

「……食糧ならあるわ」

 リラは、夕食用に自分で取っておいたパンの袋を投げ渡した。少年の1人がそれをキャッチする。

 当然、そんなパン1つ如きで去る筈がない。

「他にもあるだろ。寄越せ。そこのガキの分だよ」

「ないわ」

 言ったが、嘘だった。当然だ。ギルダだけはどうしても飢えさせたくなかったからだ。姉として当然の本能が働いた。

 だが、少年団はそんな本能を敏く察する。

「持ってるんだな――嘘つく奴は、きっちり殺さないとな」

 少年団は全員腰に手を当て、ナイフを抜く。スラム街にいるにしてはよく手入れされた、刃煌めくダガーナイフ。一体何人を脅し、何人を陥れてきたのだろう。

 その凶器を掲げ、スラム街基準で正気の少年達はじりじりとにじり寄る。

 そして。

「殺せ」

 一斉に襲い掛かった。リラはナイフの攻撃を避けていたが、まだ幼いギルダはその能力に欠けている。

 リラは助けに入ろうとするが、ナイフの斬撃を避けるので手一杯であり向かえない。そうこうする内、ギルダに凶刃が迫る。

「ギルダッ!」

 その瞬間だった。ギルダは咄嗟に手に持っていたぬいぐるみを掲げた。如何に気に入っていた可愛らしいぬいぐるみであれ、自分の命の方が可愛いのだ。

 しかし所詮はぬいぐるみ。鉄製のナイフはいとも容易くぬいぐるみを刺し――。


 、と。

 

「あぁ!?」

 まさか弾かれると思っていなかった少年は驚いてナイフを抜き飛び退く。

 その瞬間だった。


 ダイヤ。ルビー。サファイヤ。エメラルド。ターコイズブルー。オパール。

 じゃらじゃらと、ぬいぐるみの腹から色とりどりの光る宝石が降り注ぐ。それらは正しく、全て宝石だった。

 あまりに非日常的な光景に、ギルダは疎か、リラも、少年団でさえも全員その光景に釘付けになった。

 暫くして宝石が流れ終わった頃、まず正気に戻ったのはリラだった。

 我に返った瞬間、頭の中では幾つもの疑問が駆け巡る。何故ぬいぐるみに宝石が? そのぬいぐるみを持っていた老人は何者? しかし今やそんな事は如何でもよい。

 リラは、ギルダの下へ走り彼の手を握る。逃げるつもりだ。

 次に、少年団。

「……おいお前ら。その宝石を搔き集めろ!」

 そのリーダーの言葉で我に返ったのか、少年達はナイフを仕舞って宝石の下へと駆ける。此れがあれば、流石に少年達もスラムの生活を抜け出せる。そうすれば食事に苦しむ事も無く、盗みや殺しをする必要もなく、ただ楽しく遊ぶことが出来る。

 これで逃げられる――リラは宝石に一瞥もくれずにギルダの手を引いた。自分にとっては、金銀財宝よりも何よりも、弟のギルダの方が大切だから――。


「……


 そんな男の声が、走り去ろうとしたリラの耳に届いた。

 次に聞こえたのは、少年たちの悲鳴。宝石を集めていた筈の彼らが、快哉ではなく悲鳴を上げる。

 一体どういう状況なのだ――そもそも、此処の空間に入って来れる通路など、今からギルダと抜け出そうとしていた所しかないというのに、いつの間に人が入ってきたのだ!

 様々な疑問を胸に、リラは立ち止まった。何が起きたのか、流石に気になって仕方なかったからだ。

 振り向くと、そこには。

「――久しぶりだね、少女」

「あ、なた……」

 そこには、コートを羽織った老人がいた。形見のコートをあげた、みすぼらしく弱々しい老人が一瞬にして少年達を全員のしていた。

 リラの頭に真っ先に浮かんだのは、当然必然、この疑問だった。

「誰、なの?」

 そう尋ねると、老人は恥ずかしそうに頬を掻きながらこう答えた。


「実はね、なのさ」


🧸🧸🧸


 失礼ながらリラは、老人が妄言を吐いているものだと思っていたが、どうやらそうではないらしかった。

 彼は新米の神様で(随分年を取っているな、と思ったが、心を読まれたように「姿を変えているだけさ」と言った。今は若い青年の姿だ)、人間界をよく観察し、よく学び、より良い方向へ世界を導く様にと派遣されたらしい。都会で言うところの実地研修OJTさ、と言ったが、リラとギルダには残念ながら伝わらなかった。

 そして彼はより良き方向へ導くのならば、手っ取り早く良くない所に行けばよい、という事でこの地にやって来たらしい。そうしたら、色んな人に襲われて身包みを剥がされて、あの様だったようだ。

「暴力を軽々しく使う訳にはいかなかったからね」新米の神様は答える。「僕は人を助けに来たのであって、人を矯正しに来たのではないのだから」

「で、でも、あの少年達は」

「仕方ないじゃないか――君達みたいな人が割を食ってまた苦しむなんて事になれば、それこそ僕は神様失格だ」

 勧善懲悪ってやつだよ、という言葉をまた放ったが、リラとギルダにはやはり親しみが無かった。

 とは言え、神様という事であれば納得だ。ぬいぐるみに詰めた宝石を用意できた理由も分かる。

 人は見た目に依らないんだな、まさかあのみすぼらしい男が神様だなんて。

 しかし、まだ疑問がある。

「どうして、ぬいぐるみなのですか?」

「宝石を持って出歩いたら君達、それこそ襲われて殺されるだろう?」

 カムフラージュのつもりだったのか。何とまあ、とリラもギルダも笑った。こう言う少しずれた所が神様らしいな、と。

「君達にそれを上げたのは、リラ、君の心持のお蔭さ」

 新米の神様は、そう言った。

 心持? と自覚がなく首を傾げると、新米の神様は笑って言った。

「分からないのなら分からないままでも良いさ。それでこそ君には美徳がある。僕はそれに応える為に、その宝石をあげたのさ」

 この生活から抜け出せる様に。

 見た目がボロボロのぬいぐるみダラー・ドールの中身に、高価な宝石ミリオンダラーを詰め込んで。

「君はこんな所で苦しむべきじゃない。それに、さっきの行動を見て僕はより安心したのさ」

「安心……?」

「宝石に一瞥もくれなかっただろう?」新米の神様は微笑む。「そういう所さ。そういう所で、僕はあげても大丈夫だと確信できたんだよ」

 やっぱりリラにはピンとこなかったが、新米の神様は此処でも説明を加えなかった。

「さ、早くそれを持ってこの街から出るんだ」

 新米の神様は、宝石を詰めてすっかり修復したぬいぐるみを手渡した。見た目では全くそれと分からない、一攫千金のぬいぐるみを。

「はい。でも、あの……」

「何だい?」

「この中の一部だけでも、あの子達にあげられませんか?」

 とても、見ていられなくて、助けたくて。

 リラは言った。その言葉に新米の神様は、ふうと一息ついてから頷いた。

「この少年達だけだよ? あとは間違っても人にあげないように。もしそうしたいのならば、その宝石を元手に頑張ってお金を溜めて、より多くの人に施しを与えるんだ」

 まずは君達自身だよ。

 新米の神様は、ぬいぐるみから宝石を幾つか抜き取って少年達のそばに置いた。目が覚めれば宝石が置いてあることに気付くだろう。

 まあ、彼らはこの宝石を手にしたところで碌な道を辿らないのだろうけど――とは胸の内に仕舞いながら。

「さあ、もう行くんだ」

 新米の神様が促すと、リラとギルダはぺこりとお礼をして、スラム街の大通りを走り出す。


 此処を抜ければ、大都会。

 住んだこともない都で、リラとギルダはまた大変な生活を送ることになるのですが。

 それはまた、別のお話。


おしまい。


 ……成程。最初はそれを読まれたのですね。

 如何でしたか? タイトルも『ダラーDOLLARドールDOLL』なんて洒落てますよね。

 私もその話は好きでして。粗削りではあるんですが、芯が一本通っている感じが。

 『価値は、見た目でなく、中身で判断するものだ。』――まあ、それを伝える為に、ぬいぐるみに宝石を入れなくたって良いとは思いますけどね。


 ……おや、どうされました?

 何か、心に引っ掛かるところでも?


 そうですか。いえ、何でもないのなら良いのです。

 さあ、今日は貴方の貸し切りです。好きなだけお読み下さい。次は――何を読まれて、何を感じますか?

 貴方の自由です。心の赴くまま、ぜひ好きに本をお取りください。




KAC20233へ続く。

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ダラー・ドール。 透々実生 @skt_crt

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