銀河鉄道の立ち食い蕎麦:コルアゴンステーション店

和泉茉樹

銀河鉄道の立ち食い蕎麦:コルアゴンステーション店

      ◆


 コルアゴンステーション、運行管理課よりお知らせいたします。

 二十八番線に停車中のユイツー方面行き、グリーンライン二十五号は、車両に点検の必要が判明したため、発車時刻を二十四時間、延期させていただきます。お急ぎのところ、申し訳ございません。

 乗客の皆様のステーションの宿泊施設のご利用に関しましては、ご利用料金の一割を補填させていただきます。利用料金のお支払いの証明ができるものを、客車におりますコンシェルジュにご提示くださいますよう、お願いいたします。


      ◆


 私は立ち食い蕎麦屋の中で、その放送を聞いた。

 二十四時間の延期か。

 そういうことが頻繁に起こることはわかっているし、数年、十数年、場合によっては数十年を旅することになる銀河鉄道では、二十四時間の遅れなど些細なものだ。

 それでも焦れったい思いが沸き起こる。

「落としそうだぜ」

 不意に隣から声がしてハッとした。見知らぬ男性が立っていて、その手が私の手元に伸びている。傾いて今にも落ちそうになっていた蕎麦の入った丼を支えてくれていた。

「す、すみません」

 丼を確保して、頭を下げると、男性は好奇心を隠せないという顔をしている。

「二十四時間の延期なんてよくあることだが、急ぎの旅かい?」

 ええ、と答えながら、不思議なことを言う男性だな、と思った。

 銀河鉄道の旅は、本来的な旅行という表現の域を超越している。ただ眠っているだけなのだ。もちろん、設定すれば運行中のいつでも目を覚ますことはできるし、客車の一角にある展望室からは果てしない宇宙の深遠を肉眼で見ることもできる。

 しかし、そんなものはほんの一瞬だ。

 長い間、機械でできた棺とも言える冷凍睡眠装置で、ただ眠っているのだから、旅というよりは輸送の方が表現としては近い気もする。

 その輸送じみた旅の間には、何も起きないものだ。気づくと長い長い時間が過ぎていて、そして自分と周囲が時間的にすれ違っているという事実を目の当たりにするのである。

「荷物を持っているようだが、若いよな」

 私が足元に置いているキャリーケースのことだろう、そう男性が言葉を続けるので、少し相手をする気になった。二十四時間先送りになった出発が生じさせる焦りを、ごまかしたいところもあった。

「生存年齢で、三十四歳です」

「若く見えるな。ちょっと待てよ、当ててみようか」

 勝手なことを言い出す男性の前に、「早く食いな」と店主が蕎麦を出した。大きな何かの揚げ物が載っているのが見て取れる。その蕎麦を完全に無視して、男性がぱちんを指を鳴らした。いかにも古風である。

「あんた、出張でここに来たんだろう。で、任期を終えて故郷へ帰るところなんだ。違うか? 二十四時間も惜しいっていう気持ち、わかるなぁ。早く故郷に帰りたい気持ち、よくわかる」

 そう言ってからやっと男性は自分の丼に手を伸ばした。

 私は思わず微笑みながら、答え合わせをした。

「出張というのは正解です。でも任期を終えたわけではありません。無理を言って、一年早く、帰ることにしたのです」

「あ、なるほど」

 ずずずっと蕎麦をすすってから、男性がしたり顔で頷く。もう正解が分かったぞ、という顔だ。

「故郷で奥さんと子供が待っている、っていうパターンだろう。何歳? あ、子どもの年齢だけど」

 男性はなかなか察しが良かった。私がもう少し話をする気になったのも、この男性の理解力が好もしかったからだろう。

 共感してもらえない相手に話をするほど、難しいこともない。

「娘の年齢は今、七歳です。妻が妊娠している間に、故郷を出なければいけなかったので、実際に顔を合わせたことはありません。私が銀河鉄道で五年間、眠っている間に生まれて、立ち上がり、言葉を覚え、といった具合です。仕事の任期は三年なんですが、家族保護法を引き合いに出して、二年で切り上げた、ということです」

 家族保護法とは、ほぼ全ての企業に対して、家庭の維持を原則とした就労場所の限定を課した法律で、単身赴任拒否法などとも呼ばれる。私が故郷に戻るのも、家庭の維持が名目になっている。

 そもそも、単身赴任するのは私自身が同意したことで、任期は守るのが原則だった。私は一年早く切り上げたことで、次の現場ではおそらく不遇な立場になる。しかしそれも仕方がない。どれだけ銀河を開拓しても、競争は存在するのだから。

 私が内心でため息をつく横で、男性はしたり顔で頷いている。

「じゃあ、今は七歳でも、あんたと再会する時は十二歳になっているのか。難しい年頃だろうなぁ。ずっとそばにいなかった父親がひょっこり戻ってきて、しかも若いままなんだから。母親は年を取っていて、さぞかし、釣り合いが取れないことだろう」

「でしょうね。それに、私のことをどれくらい理解しているのか、私自身にもわかりません。父親と認識できずに他人と感じるかもしれませんね」

 ふふん、と男性は鼻で笑うと、何かをまとめて揚げてあるものにかじりつき、それをゆっくり咀嚼してから箸を私に向けた。

「親子だろうが、他人と大差ないさ。血が繋がっていても、どうってことはない。大変だろうが、一から親子関係を作ってくれたまえ」

 やっと私は目の前にいる男性の年齢が気になり始めた。

 外見では四十代に見える。よくいる労働者の姿だ。ただ、口調や身振りから、やや世代的なギャップを感じる。銀河鉄道で遥か彼方からここへ来たとすれば、外見が四十代でも生存年齢は六十や七十ということもありうる。

 しかしそれも、気にするほどのことでもないか、と私は思った。

 こうして初対面の男性とすんなりとやり取りができるのなら、初めて実際に会う娘とも打ち解けられるのではないか、と楽観できたから。これからまだ五年は待たないといけないけれど、どうせ冷凍睡眠で眠っているのだ、一瞬に過ぎない。

「何か、土産でも持って行ってやれよ」

 蕎麦を食べていた男性が、私が丼の中身を空にする頃にまた口を開いた。

「蕎麦でも持って帰ってやればどうだ。銀河鉄道名物、サラシナの蕎麦だ」

 あまり大げさにするなよ、と店主が笑っているので、私も少し口元を緩めた。

「蕎麦は、というか、食品は五年も経てば味が落ちるか。蕎麦が無理なら、これがいいぞ」

 男性が店のカウンターの隅に置かれていた、ぬいぐるみを指差した。何を模して作られているか、よく分からない。しかし腰にエプロンのようなものを巻いていて、そこにこの立ち食い蕎麦チェーン、サラシナのエンブレムが刺繍されている。

「意外に優れものでね」男性が勝手に人形に手を伸ばし、エプロンをひっくり返す。「ここに売っている店の所在地がプリントされている。ほら、コルアゴン店って書いてあるだろう。いい記念になる」

「へえ、いいかもしれませんね」

 私は視線を店主の方へ向けるが、店主は途端に難しそうな顔をしていた。

「それは売り物じゃないんですよ、お客さん。あんたも適当なことを言わんでくれよ」

 どうやら男性と店主は顔見知りらしく、店主がたしなめても、男性は平然としている。

「これから初めて娘に会う男にぬいぐるみの一つくらい、都合してやれよ」

「そのぬいぐるみは五十個のスタンプを全部貯めたスタンプカード二枚と交換だよ。知っているだろう」

 スタンプカード?

 けち臭いじゃないか、といった男性が、やおら丼をカウンターに置くと、ポケットを漁りだした。古くてくしゃくしゃになったタバコの箱や、よくわからない古びた鍵などの後に、それが出てきた。

 二つ折りにされた紙。

 スタンプカード?

「まず一枚」

 カウンターの上に紙が置かれ、またポケットからライターやらよくわからないボタンが出てきて、もう一枚が発掘された。

「これで二枚。これでぬいぐるみはもらえるよな」

 難しそうな顔になった店主が、スタンプカードを手に取ってから、重々しく頷いた。一方、男性はといえばすっきりした顔で、「もらうよ」と改めてぬいぐるみを手に取っている。

 そのぬいぐるみが、私の前に差し出された。

「ここで会ったのも何かの縁だ。娘さんにプレゼントしてやってくれ」

「いいんですか?」

「いいよ。気にするなよ」

 そう言うと男性は蕎麦の残りに取り掛かった。

 私は蕎麦を食べ終え、店を出る前に改めて男性に礼を言った。

「ご親切、ありがとうございます」

 ニカっと笑うと、男性は軽い調子で応じる。

「あんたが娘とうまくやれることを祈っているよ。あんたが父親なんだ。胸を張って帰りな」

 ありがとうございます、と繰り返してから、私は店を出た。

 手の中にあるぬいぐるみに視線を向けると、娘がどんな顔をするか、楽しみに思っている自分が意識された。

 十二歳になって、大人ぶってぬいぐるみなんて欲しがらないかもしれない。

 しかしこのぬいぐるみで、私が見聞きしたことを話すことはできる。

 あの初めて会った男性のことも話せる。

 そこから始めればいい。ささやかなきっかけにすぎなくても。

 私は出発までの残り二十四時間は列車で過ごそうと二十八番線に向けて歩き出した。


       ◆


 立ち食い蕎麦屋の店主は、丼の中の汁を飲み終わった常連の男に声をかけた。

「スタンプカード、良かったのかい」

 男は店主を見ると、まあね、と微笑んだ。

「俺の娘も、そろそろぬいぐるみっていう歳でもない」

 店主はこの常連客のことを、世間話の中でいくらか聞いていた。

 各地を旅する肉体労働者で、数え切れないほど冷凍睡眠を経たことで、外見年齢と生存年齢は乖離している。

 どこだかに娘がいて、折々、贈り物をしているという。

 しかし実際に会ったことはなく、すでに生存年齢は二十を超えているという話を、しばらく前にしていた。今更、会っても仕方がない、と男が漏らすこともあった。悔しそうでも、悲しそうでも、寂しそうでもなく、諦めの色が濃かった。

 妻帯者のはずだけれど、夫人の話は聞いたことがなかった。

 ただ、彼は立ち食い蕎麦のポイントを貯め、ぬいぐるみに交換し、そのぬいぐるみをどこへか送っているのは、間違いなく男の中の愛情の発露だったはずだ。

「これならすぐに渡せるよ」

 店主が反射的に店で使っている丼を見せたのに、男は声を上げて笑った。

「娘に丼をプレゼントしたりしたら、嫌われるな」

 男はそういうと、自分の手元の食べ終わった丼をカウンターに乗せ、ポケットの中から少しはしゃんとした二つ折りの紙、スタンプカードを取り出すと、いつも通りの調子で言った。

「スタンプを押してくれ」

 はいよ、と店主は受け取ったカードに一つ、スタンプを捺印した。



(了)

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銀河鉄道の立ち食い蕎麦:コルアゴンステーション店 和泉茉樹 @idumimaki

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