あかい十字 中篇(上)


 いくら『おばさん』という綽名で呼ばれても、宿泊している士官たちは遠子に対してふざけてくることもあった。

 階段を上がろうとすると、真後ろから士官が背中にぴったりくっついてきて、追い立てるように遠子を急な階段の上まで駈け足ではこんだり、木蓮の咲く庭から「おばさん、ちょっと」と呼ばれた遠子が庭下駄をはこうとするとその足許から下駄をすばやく取り上げて、返してくれなかったりした。

 悪戯を仕掛けるそんな時、若い男たちはあらぬ方に視線を向けて、目元をほころばせていた。そして下駄を返してくれながら遠子に片目をつぶる。

 遠子も仕返しをした。

 顔を洗っている青年士官がいると、「新しい手拭をお持ちしました」と声をかけて洗顔が終わるのを待つ。「ありがとう」盥から顔を上げた青年が手拭に手を伸ばすと遠子は身を引く。

「おばさん。手拭を貸して下さい」

「いやです」

 ぼたぼたと水滴を垂らしながら立派な体格の若い男たちが困惑しているのを見て遠子は留飲を下げ、「はい」と手拭を渡してあげるのだった。


『大きな遊郭がありました。商船の船乗りや、軍人を相手するのです。そういう街でした。樋口一葉『たけくらべ』ではありませんが幼い頃には気が付かなかったことでもいつとはなしに、こっちとあっちという風に通りを分けて、街で暮らすご婦人や娘たちは口にしようともしませんでした。軍港に入る艦艇はすぐに出航できるようにお尻を陸に向けて停泊するのです。ところが不慣れな人の操舵ではなかなかうまく決まらない。ようやく投錨できた頃には、目当ての妓には先の艦から降りた兵が押し寄せていてあぶれてしまう。そんな時の水兵さんたちは艦橋の当直将校に対して恨み骨髄だったそうです。

 一帯の空襲で軍港と共になにもかもが灰燼となり、わたしの実家の旅館も、見返り柳も焼け落ちました。楼は何軒もありました。格子戸が並んでいて江戸の廓の趣きがそのまま残るとても風情のある一区画。そういう処だと知っていなければ、見た目は桃色の雪洞が灯り、波音の中の竜宮城のようなのです。

 近くにあれば見慣れてしまうように想うのですがその逆で、女学生時代のわたしなどはよほど穢れた不潔なものに想えて厭わしく、人一倍、潔癖な部類だったかもしれません。』


 たまに遣いで外に出ている時に、遊郭のある街路から出てくる士官たちと鉢合わせることがあった。彼らは遠子に気づくと一様に「ああっ」という顔になった。

 なにが「ああっ」なのかは分からないが、その後、旅館に戻ってきた彼らはしおらしい顔をしてひとり、またひとりと、つまらない用事をつくって遠子に話しかけてきた。

 せっかく見ていないふりをして通り過ぎたのだから彼らも知らん顔をしてくれればいいのにと頭にきた遠子は、汚物でも視るように顔をそむけ、

「近寄ったら画鋲で刺します」

 と云い、云われた彼らは「ええっ」という顔になって気まずそうに退散していった。母親にでも見つかったかのようにばつが悪そうだった。



 椎堂のように実家が遠方にある将兵の場合、わずかな休暇の日数を遠い実家までの往復にあてるよりは寄港地から入港日を先に家族に教えておき、身内が軍港に逢いに来るほうが都合がよかった。彼らのために家族水入らずで過ごせる借家も多くあった。

 遠子の旅館は独身の若い士官専用だったが、士官たちが結婚すると、今度は街中に家をかりて帰港のたびに妻を呼び寄せ、束の間の新婚生活をそこで送る。近い距離に新居があっても電報で呼ばれれば、妻は胸をはずませて夫のいる港に逢いにやって来た。

「新婚旅行のようなものなのでしょうね」仲居は云った。

「なにしろ海に出てしまうと、数か月は戻っては来ないのですから」

 借家から出てきた若い夫婦が夕凪に吹かれながら連れ立って歩いている。その足許に香りを付けるつつじの花の色が、時々戦場でも遠子の脳裏に想い出された。



 洗い終わった漆器を水屋の前に座って磨いていると、椎堂少尉がやって来た。

「はい。何でしょうか」膝をついていた遠子は最後の漆器を函にしまってから顔を上げた。

「映画を観に行きませんか」

 真田紐をかけた函を踏み台を使って上の棚に上げようとすると椎堂が函を取り上げて代わりに上げてくれた。

「二階で将棋と囲碁の大会をやっているのですが、どちらも最初に有段者とあたってしまい、武運つたなく負けました」

「それは残念でした」

 遠子は入り口でとおせんぼをしている椎堂の胸を手でおした。

「暇なのは分かりました。映画ならお一人で行ってらっしゃい」

「まあまあ、そう云わずに」

 半ば強引に連れ出されてしまった。前掛けをはずし、髪を梳かして、服はそのままでいいことにして裏手から玄関に回ってきた遠子は椎堂を仰いだ。

「お待たせしました。行きましょう。そのかわり外では『おばさん』と呼ぶのはなしにして下さい」

 ところが椎堂は顔をしかめた。心外そうだった。

「ぼくは君のことをその呼び名で呼んだことはないのだが、気づいてなかったの」

 そういえばそうだった。

 「『おばさん』か。うーん」

 おばさんと呼ばれている遠子を椎堂少尉はしげしげと眺め、「無理」と云い切り、「遠子さん」とずっと遠子のことをそう呼んでいたのだ。

「遠子ちゃんだと親しすぎるからね」

 だからといって、今となれば遠子さんと呼ばれるのも困る。

 遠子はかえって戸惑った。

 友だちにはお嫁に行った子もいるような年なのよ。男の人からそう呼ばれると、そのほうがなんだか親密そうに聴こえます。

 云いかけた言葉は呑み込んだ。

 椎堂は下男から借りてきた自転車の荷台を叩いた。

「さあ乗って」

「これで?」

「少し遠くまで行ってみよう。地図は頭に入れてきた」

「待って。映画は」

 遠子を後ろに乗せて銀色の自転車はぐんと走り出した。

 


 休暇が終わると彼らはまた艦に乗り込み戦場に向かう。たとえ親でも妻であっても軍事機密ということで行く先も教えてもらえぬ水平線の向こうの任地へ消えてしまう。

 椎堂からは絵葉書が届いた。南十字星が見えると書いてあった。南半球にいるのだ。手紙は海上で受け渡して日本に戻る艦や商船が持ち帰ってくれた。

『ダイヤモンドを撒いたような星空です。一つ取ることが出来たら、遠子さんにあげようね。』

 鈍感で単純な男たちと違い、女は眼前の男が自分のことを好きかどうかだけは間違えない。女を前にした時、それが欲情ならばどこか曇った動かぬ熱い眼をしており、そうでない時は仔犬のように嬉しそうにして、眼が光っている。

「幼い頃から冬馬は掴みどころのない子で、勉強している素振りもないのに高等数学の問題を解いているものだから、官費の江田島兵学校を受験したらどうですかと校長先生から勧められたのです。あの子自身は軍人になりたかったのかどうか。でも、そのお蔭で学費は随分と助かりました。弟たちは陸軍幼年学校に通っていますし、気が付いたら海軍士官さんもいるわねって調子なのよ」

 親の口がそう云うくらいだったから、椎堂は遠子の眼にも鷹揚としてみえた。それでも遠子は自分をみる椎堂の眼にちらつく明るいものを間違えることはなかった。

「戦時報道と云ってることが違ってやしないかね」

 勝っているはずなのに、市井に出回る物資は欠乏していった。しかし民間人は何が起こっているのか正確には知らなかった。発表される軍功は華々しいものばかりで、戦争に負けているのではないかという疑念が頭をよぎっても、報道を信じるしかなかった。

 椎堂が無事な姿をみせると、遠子は心から安堵した。戦局が追い込まれていても椎堂はいつもと変わらない様子で旅館に現われ、

「遠子さん、ただいま」

 脱いだ軍帽を遠子にあずけた。戦死者の穴埋めで昇進し中尉になっていた。

 遠子は暦を眺めながら指を折った。つぎに逢えるのはいつだろう。

 後に何度も遠子は悪夢にうなされた。回頭する艦に向かって敵の空母から飛び立った攻撃機が蜂のように襲い掛かっていく夢だ。海中に線を引くようにして水雷が走る。火災を起こして傾いていく艦の上に椎堂の姿がみえるのだ。椎堂は少年兵の襟首を掴んでは海に突き落としている。

「それで何人も助かったのです。負傷されていた椎堂中尉は艦橋に戻られて艦長のお供をされました」

 乗艦していた艦が爆沈し椎堂が戦死するまで、遠子が椎堂と逢った回数は数えるほどしかない。

 

 敗色が濃くなるにつれて軍港に戻ってくる艦は眼に見えて減り、大勢いた海軍将校も水兵もごっそりと数を減らしていった。艦というのは横倒しの巨大ビルのようなものだ。三千人以上を乗せていた戦艦大和のような超弩級でなくとも沈没すれば、百人から千人単位で戦死者が出た。

 灯の消えたような軍港にあって、遠子は、大勢の士官が泊まっていた日々を懐かしく想い出した。宿の階段を艦のタラップと同じように踏んでいく力強い足音や、落語が得意なものが高座を真似て一席ぶるのを旅館のみんなで鑑賞したこと、見合いの前の身なりの最終点検を頼まれたこと。全員死んだ。

「紙飛行機を工夫して遠くへ飛ばせるようにしたのですが、隣りの旅館に入ってしまいました。どうしよう」

「謝罪して取り戻してきます。二階の窓から飛ばすのは止めて下さい」

 おかにあがりたての若い士官が大きな風呂場で走り回り、豪勢な音を立てて水をかけあっている。彼らが出た後は、湯は半分以下になっていた。

 笑い声をあげて談笑していたかと想うと、広間がやけに静かになることがあった。そんな時の彼らは得意の理数を生かした算術や、航海術や砲術、外国人と渡り合う必要から外国語を、分厚い辞書を散らして勉強していた。


『もったいない。あんな優秀な、真面目で立派な若者を戦争に追いやって、ほとんどの方が亡くなって……。あの人たちが戦後も生きておられたら、どんなにか活躍されて、この国ももっと立派になっていたか知れません。』



 不特定多数の裸体を扱うがゆえにかつては娼婦とほぼ同義の不浄の職業だった看護婦。その頃には修身の教科書に載った伝記ナイチンゲールに魅せられた少女たちが憧れる職業になっていた。

 看護婦になる道は大まかに三つあった。地元の病院で実習を積み試験に合格する方法、病院付属の看護婦養成所で学ぶ方法。どちらも尋常小学校しか出ていなくとも看護婦になれた。

 その二つと比較して、赤十字の看護婦だけはほかの民間看護婦とは一線を画していた。日赤の前身は西南戦争の折に赤十字を模して設立された博愛社。後に正式に赤十字条約に調印し、日本赤十字社と名を変えた。

 日赤の募集する看護婦は高等女学校の卒業者を対象とした。さらには看護婦養成学校に三年間通った後には、予備役と同じように徴兵に応じる義務を課せられた。それは赤十字がその設立当初からクリミア戦争に赴いたナイチンゲールの精神を継いで、傷病兵の救護活動を目的の第一としていたからだ。

 日清日露太平洋戦争と続く戦争の中にあって海外にある戦場に出ていくことが前提だった日赤の看護婦たちは、日本女性をはじめて眼にする諸外国の眼から恥と映らぬように人格品性にきびしい指導を受けていた。日赤の看護婦といえば、戦前は看護婦の中でも別格の存在だったのだ。

 すでに独自の衛生部隊を持っている軍隊と行動を共にするにあたり、民間から救護活動に参加する日赤の看護婦たちは「軍属」となることが日露戦争時に定められた。それ以降、円滑な指揮系統が重視される軍隊にあって戦場に赴く赤十字の看護婦は軍隊の命令に従って行動する。

 ナイチンゲールが提唱した敵味方の区別なく傷ついた者の命を救うという高潔は「軍属」である以上、戦場では捨てなければならなかった。看護婦長であっても下士官扱いだった。階級がはるか上の、男の軍医のもとで彼女たちは軍令に従った。

 葛藤を抱きながらも赤十字の看護婦たちは、赤十字精神といわれた自己犠牲で戦場を駈け廻り、戦争の中で多くの死者を出している。

 


 遠子は螺子を回して鍵を外し、乳白色の硝子がはまった窓をひいた。瓦の上には桜の花びらがはり付いたままになっている。部屋からは旅館の庭園は見えなかったが、桜の花びらは風に吹き散らされて水滴の滲んだ窓の木枠の上にも乗っていた。遠子はその花びらを凝視した。この色を次に見るのはいつのことだろう。

 椎堂さん。わたしは看護婦になります。

 持ち物は小さな鞄ひとつ。看護婦養成学校は全寮制だ。

 それも赤十字の看護婦になります。従軍できるのは日赤の看護婦だけだから。

 赤十字の看護婦になって世界を巡れば、どこかの浜辺に漂着したあなたに逢えるかもしれません。あなたが苦しい時には駈けつけます。女は戦場に行くことが出来ませんが、看護婦にならそれができます。

 知っています。もうこの世にはいないと。

 だからその代わりに、眼の前の兵士をあなただと想って懸命に看護します。わたしの手が血で汚れる時には、これはあなたの血だと想います。もうお逢いすることができないのなら、海の向こうの戦の中にあなたの気配を探します。わたしの手はあなたを抱きます。それがあなたにいちばん近くなれるから。

 養成課程の途中で、遠子は戦場に招集された。



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