第55話 第2章 開戦 22

 発表がない時点で教団には何の情報も持っていないことが想像できるはずだ。ラーテイの話を聞いて冷静に戻ってもらって、取りあえず急に戦闘が始まることがないということさえ分かれば、心にも余裕ができて思考能力も回復するだろう。この混乱の変な熱気を浴びて行動が過激になっていくことが懸念される。

 ラーテイが立ち止まり、息を大きく吸い込んで第一声を発すると、視線が彼に集まった。彼は先の演説ではしていなかった身振り手振りを交えて話している。神殿の前ということもあってか、かなりの熱量が感じられた。

 視線がラーテイに集まっているはずなのに、神殿の方から俺に向けた視線が感じられた。俺は視線の主を探るべく、神殿の窓を一つずつ確認していくと、2階の窓の一つから私と同じほどの年齢の男が俺を見ていることが分かった。俺が視線に気づいたことが分かったのか、視線の主はニヤリと笑った後に部屋の奥へと消えて行った。神殿の多くの窓からは多くの神官がラーテイの方へ向かって視線を集中させ、演説に聞き入っている様子が見える。遠いので個々の判断はつかないが、きっとケッセルやリーリアスやマルレイシアも聞いていることだろう。


 ラーテイの演説も終盤に入り、集まった人々は差し迫った危機がないことが分かると、高まっていた熱も徐々に下がり、冷静さを取り戻していくのが分かった。演説が終わった時には自然と拍手が起こり、ラーテイは手を上げて人々の喝采に応えながらも、解散した場所へと歩いていく。人々の注目を浴びる中、戻ってくるのではない。

 俺は壁際から神殿の方にゆっくりと移動していった。ラーテイが俺と別れた場所あたりに戻ると、俺を探して周辺を見渡している様子が見えた。俺はそれを無視し、さらに神殿の入り口に向かって進んでいった。

 先ほどまで神殿の入り口に詰めかけていた人々の興味がラーテイに移ったことで、神殿の門の前は若干空いている状態になっていた。

 門の前で立っている警備員が壁際をこっそりと門の方へ忍び寄っている私を見つけ、警戒を強めたのが分かった。しかし、その中には昨日、私をケッセルの元まで送ってくれた案内役の男も混じっており、私を覚えていたのか、私が来ることを事前に知らされていたのか、私を見ると警戒を解いて近くの番兵に説明していた。

 ラーテイも番兵の動きや視線から私の居場所を見つけ、私の方に歩いてきた。私は一気に門までダッシュして、案内役の元まで辿り着いた。

 その時、神殿の中から正装で整えた1人の神父が飛び出してきた。その神父は赤い鉢巻のようなものを額に巻いて、一気に大通りの中央に向かって走っていった。神殿の前に屯っていた人々もまるでモーゼの十戒の海が割れる場面のように、中央に道ができていく光景が広がった。


 ラーテイは俺の肩をギッシリと掴んで言った。


「私を見て逃げるとはどういうことですか!」

「いや、ラーテイを見て逃げたのではなく、ラーテイに注目していた人々の視線から逃げたんだよ。そう言えばさっき神殿から赤い布を巻いた神父がすごい勢いで走って行ったけど、何事なんだ?」

 ラーテイは深くうなずきながら説明した。


「まぁ良いでしょう。先ほどの額に赤い布を巻いた神父が走って行ったのは急を要する伝令ですね。しかも正装だったのを見ると、本国向けの伝令のようです。額に巻く色によって重要度が変わるのですよ。赤が緊急、黄色が重要、青が練習というところですね。いざと言う時のために、週に一度は練習として青の布を巻いた神父が神殿から転移施設や教会へと走ることになっています。練習以外で使われることは少なく、通常は本国から伝令が来て、街の各教会に伝令を出すのが普通です。しかし、今回の伝令は1人で行われたことから、アハグト神殿で決まったことを本国に知らせたということになります。緊急の伝令の派遣は通常、枢機卿台下か教皇猊下の指示で行われますので、街の神殿から発する事態は普通はあり得ません。ただ、今は枢機卿台下が2人もアハグト神殿におられますので、どちらかの台下の指示で出されたものだと思われます。」

 俺は疑問を抱きながら尋ねた。


「皆、綺麗に避けていたが、何かコツみたいなものがあるのか?」


「ユグ様は壁際を歩いていたので分からなかったと思いますが、伝令が走るときには大通りの中央部には冷気の魔法が発するようになっています。逆に言えば、大通りの中央部が冷たくなったと感じれば伝令が走ることが分かるということですね。これは街に住む者の常識であり、伝令の邪魔をすれば罰則もあります。額に巻いた布の色で罰則も変わります。青色は1年の無償労働で、黄色は5年の無償労働、赤色は永久労働ですね。」

 ラーテイの説明を聞きながら、俺は驚きを隠せなかった。伝令の邪魔をしてしまえば永久労働の刑が課されてしまうのか。教団が特権的な扱いを受けていることが分かる一例だ。また、教団に伝令があるのならば、各国の領主たちにも同様な制度があるのかと尋ねてみたが、そのような制度は存在しないとのことだった。


「おい、それでいいのか領主たちよ。折角、教団という組織が便利な連絡方法を使っているのだから、それを真似れば良いのに」と口ごもりつつ思わず漏らした。

 実際、近頃は戦争の気配もなく平和な時間が流れていたとしても、いつまでもそうであるとは限らない。事実、人族同士ではないが異世界との戦争が始まってしまったのだから、急を要する情報があるかもしれない。   

 まぁ、いざとなれば教会に頼んで同じ制度を利用するという手もあるだろう。

 考え込んでいるうちに、ラーテイは俺の肩を叩きながら言った。


「ユグ、今はまずは神殿に戻りましょう。その後、必要な情報を集めるために行動しましょう。戦争が始まった以上、私たちの力が必要になることもあるかもしれませんからね。」

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