第15話 背景らしきもの

「もう契約を果たしたから言うが、おそらく風邪、脱水と栄養失調で倒れている男に呼ぶべきは、私ではなく救急車なのではないか? このまま変死されても困る」


 樒さんが男を見下ろす。


「うへっ!」

田中さんが妙な声を上げ、慌てて男の様子を確認して救急車を呼ぶ。


「……」

樒さんがクリップボードから書類を一枚引き抜いて、田中さんに渡す。


「ああ、住所は――」

田中さんが書類を見ながら、正確な住所を伝え、症状や身長体重を伝えていく。


 1秒でも早く目的地に向かうため、最初に聞かれるのは住所なんだっけ? なるほど、そういえば委任状に住所があったな。


 俺も男の周囲の床のものを押しやって、横になれるようなスペースを作る。あ、救急隊員が通る道というか、ストレッチャーが通れるようにしないとダメか?


 洋服の山から失礼して綺麗そうなのをつかみ出し、それを間に入れてゴミを押しやる。


 俺も手袋というか、軍手とゴム手袋を用意するべきなのかな? ここ2件と俺の家のことを考えると、無気力になってゴミ屋敷化するようだし。家に正気な人がいるなら別なんだろうけれど。


 田中さんが一応付き添って病院へ行き、俺たちは田中さんの車を運転して帰った。田中さんが車を取りに事務所に戻って来たのはだいぶ経ってから。


「大丈夫だって。点滴されてたわ」

ひょうひょうとしているが疲れている様子。


 怪しい丸いサングラスのせいで、表情はよくわからないんだけど。ソファに座る動きが少し乱雑だ。


「どうぞ」

とりあえず熱めの茶を出す。


 車の鍵を返すだけなので、樒さんはもう寝た――か、どうかはわからないけれど、母屋にいる。


 もう終電はない時間、田中さんはタクシーで来た。樒さんはしっかりお金をもらっているけれど、田中さんはどうなんだろう? このタクシー代くらいは請求するんだろうか。


「あんがとさん」

受け取った茶を一口、二口飲んで背中をソファに預け、上を向いて深い息を一つ。


「今日、誕生日だったんだそうだ」

「誕生日?」

唐突な言葉に聞き返す。


「今回の依頼人のな。父も祖父も誕生日に亡くなってるって話だ。やばいって思って、依頼を急いだのはそういう理由だそうだ」


「え? 分かってるならもっと早く……」

「お兄さんがいて、元気だったんだってよ。アレが憑くのは父方の血筋で、『家を継ぐ者』だそうだ。まあ、この場合古臭い順番で考えると長男なわけだ」

田中さんがまあ待て、というジャスチャーで話を続ける。


「で。その年齢が近づいて、それを超えても兄が元気なことに安心してたら、自分に出たらしい」

「え? それって……」

あの男の両親のご家庭が修羅場にならないか? 長男、血が繋がってないってことでは。いや、養子の可能性も?


「ま、兄貴を心配して色々準備してたから、その準備したもんを自分に使えて間に合ったってことらしいし。よかったんじゃねぇかな?」

お茶を飲む田中さん。


「普通は憑いたもんの理屈なりなんなり解明して、消すなり封印するなりするんだがなぁ……。どういう恨みで血筋に憑いたんだかわかんねぇしなぁ……」

「そうなんですね」

ぼやくように言う田中さんに一応相打ち。


「そういうわけで、俺にそれをどうにかする力はないから、どけてくんない?」

視線は田中さんの前、ローテーブルの中央に鎮座する箱。


「嫌です」

触りたくありません。


 樒さんがいる時なら、たとえ蓋がゆるくてがぼがぼいっても何とか頑張れるけど、今はいないし無理。アレが入ってると分かってるのに触りたいわけがない。


「こちら一応依頼人に見せてから壊すらしいです」

「もしかして退院するまでここに鎮座したまま!?」


「……」

にっこり笑顔を返す。


 樒さんがそばにいるなら棚に移動するなり、作業場のほうに運び込むなりしますよ。今は祓う人がそばにいないので、絶対触らない。


 夜も遅いどころではないので、茶を飲んだ田中さんはすぐ帰っていった。俺も事務所の電気を消し、戸締りして自分の部屋に戻る。


 田中さんが来るまでびくびく過ごしていた一人の部屋、明日の講義、午前中もあるんだよな……。寝られるだろうか。


 ベッドに転がり、電気を消して布団にくるまる。こういう日は、布団から手足を出していると、そこを何かが触って来そうな気がしてダメ。


 まあ、明日になればこの怖さを忘れてる自信があるけど。

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