第9話 人の気配を求める

 ひいいっ


 心の中で悲鳴をあげるが、一応口には出していない。顔と態度にはそのまま出ている自信はあるが、そこは許して欲しい。この箱・・・を抱えて平常心は無理だ。


 バックミラーに映る田中さんの顔に憐れみが見える。ああ、田中さんも見えたんだな、とそこで気づく。さすがお坊さま、アレを見ても動揺はないわけか。


「まあ、なんだ。抱えてくれてた方が空の座席に置かれるより、安心して運転できるしな」

そしてしれっと一言。


 ちょっ! 田中さん!?


 行きは助手席。帰りも助手席に乗ろうとしたら、先に乗った田中さんが上着を助手席に置いたので、後部座席に乗った。……俺に箱の番をさせるため、わざと樒さんの隣に誘導した!?


 田中さんの言葉から察するに、樒さんはいつもは空き席に箱を置くのだろう。おそらくその後も頓着なく放置。運転する田中さんとしては、曲がるたび、ブレーキを踏むたび、蓋が開かないか気を使ったはず。


 箱を抱える俺を憐れみはするが、自分の身の安全と心の安寧を優先する坊主!!! 坊主のくせに!!!


 箱が気になって、車中の会話に生返事をしつつ無事事務所に帰宅。生返事については、しゃべっていたのが田中さんなので良しとする。


 すっかり暗くなった中、大金とアレの封じられた箱を持ち、駐車場から裏口へ入って事務所へ。どっちの荷物も新人には荷が重いんだが。


 事務所で樒さんにお金を渡し、箱は机の上に。


「ご苦労。急な残業すまなかった、収受して書類をしまったら出張簿をつけてあがってくれ」

「はい、ありがとうございます」

礼を言って帰る準備をする。


 準備と言っても樒さんに言われたように、出張簿と文書の収受簿に記録をして、書類をしまうだけだが。自分の荷物はさっきまで大金が入っていた鞄だけだし。


 ……鞄、もっと丈夫なやつにしよう。ひったくりや、いつの間にか切られて中を盗られるとか、幸いなことに一度もあったことはないが怖すぎる。


 樒さんとまだ帰らないらしい田中さんに挨拶をして、事務所を後にする。駅に行くまでの道は、一応街灯があるものの、塀や高い生垣に囲まれた家から届く光は頼りなく、畑は作られた野菜が様々な形を黒々と見せる。


 駅に向かう人も駅から来る人もいない。


 駅前にある小さなスーパーとパン屋は八時で閉まるし、飲み屋などもない。この時間開いている店は、駅舎にあるコンビニだけだ。


 箱から離れられるのはうれしいような、樒さんと離れるのは怖いような。複雑な気分のまま路地を歩く。


 見えないアレが、周囲にうごめいている気がする。


 明かりが漏れる家は安全、こちらは怪異と近い別な世界のようで、どうにも不安がこみ上げる。昼間のアレも他人事のようで、今歩いている自分もどこか現実感がなく――つらつらと考えていると駅に着いた。


 いやに明るく感じる駅で、駅からここまで雰囲気ありすぎなんだよ! と胸の中で悪態をつきながらほっと一息つく。


 飯を作るのも面倒だし、弁当を家で食べる気分でもない。この時間開いているのはファミレスか居酒屋か。


 家の途中にある開いている店を何件か思い浮かべる。ファミレスは夜中に行っても学生がたむろしているし、飲み屋も学生と会社員が入り混じって騒がしい。俺の住んでるこの辺りは、俺と同じく学生の一人暮らしが多い。


 よし、今日は人の声を聞きながら飯を食べよう。


 最近は節約のため、自炊していたのだが今日ぐらいいいだろう。残業した分もバイト代が出るはずだし。


 そう思いファミレスに入る。居酒屋は酒を飲むと高いし、飲まないのに一人というのも申し訳ない。


 少し前までは、安い店を選びはするが、バイトもしていたしそこまで財布の心配をせずに飲み食いしていた。親の仕送りを断って、生活費は自分で出す算段を始めてから、親と金のありがたみが分かった。学費と生活費、全額出すなんて無理だろこれ。


 自炊は前からしていたが、一人部屋で食うのが味気なくって外食が多かったが、最近は真面目に家に帰っている。一人暮らしをやめて実家から通っても通えなくはない距離なのだが、そうすると今度はバイトの時間が無くなる。


 ファミレスで飯を食い、席にいる制限がない時間帯なのをいいことに、PCを取り出して明日の課題を軽く確認。人の声を聞きながら、いくつかある提出物をまとめるための作業を始める。


 翌日は真面目に授業を受け、作り置きと部屋のかたずけ、洗濯。提出物の続き――二年で授業は取れるだけとって、後の二年は遊ぶつもりだったのだが、なかなかどうして提出物が多い。


 で、バイトの出勤日。


「……」


 離れでダンボールに入れられている木っ端こっぱを見つめる。何かとても見覚えがあるのだが。


 箱の脇の、机の上に載せられた切り株のスライスに突きたった手斧を見る。やはり物理的破壊が消除なんだろうか。これ、組み立てるとあの箱だよな?


「どうした?」

「いえ。これは暑くなっても薪ストーブで?」

はっきりと聞いてもいいのだが、先延ばしにする。


 いや、もう分かってはいるのだが、うん。


「物置にキャンプ用の持ち運びできる薪ストーブがある。さすがに夏場に家の中で火はたかん。軽微な焚き火については違法とならんが、プラスチックなどのゴミを焼くのは違法だ、木と枯葉以外は燃すな」


「はい」

キャンプでストーブなんか使うのか。


 物置を確認した時に竹箒の隣にあったストーブは現役か。てっきり壊れて突っ込まれてるのかと思ってた。


「ストーブで料理をしても構いませんか?」

キャンプ飯より先に、筍を茹でるシーンが浮かぶ。


 祖父の家では割と外で煮炊きをする。大抵大量に採ってきた山菜の処理なのだが、叔父が好きでスネ肉の下茹でをしていたりも。


「原状回復できるのなら、好きに使って構わん。料理はできるのか?」

「はい、多少は。前は居酒屋でキッチンスタッフのバイトでした」


 そういえば、一人で食うのが嫌で賄いのつく飲食店のバイトを探したんだった。正しくは人の気配のないところで、か。


 俺の基準は良くも悪くも祖父の家。口数が少ない職人たちが立てる音を聞きながら、自分の何かをしていることが好きだった。


 引越し先の建売は、家族が近くにいすぎて少しストレスだった。かと言って一人暮らしの、他に人気ひとけがない生活も向いていないようだ。


「よければ昼は作りましょうか?」


 この辺りは飲食店が少ない。作業場の台所は自由に使っていいと言われているとはいえ、レンチンしたり茶を淹れる以外で使うのはなかなかハードルが高く、今日は駅でサンドイッチを買ってきている。できればコンビニに飽きる前に遠慮なく使うきっかけが欲しい。


「頼もう。食材は佐伯くんの分もこちらが負担するのでレシートを」


 よし! これで遠慮なく台所が使える! それに筍を祖父の家からもらって来て、ストーブで――いや、待て。あので煮るのか? アレを封じていた物で? 


 だめじゃん!

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