胃の中のクジラ

胃の中のクジラ 1

胃の中のクジラ




僕には小さい頃の記憶がないようだ。

僕の中の一番古い記憶では、もう華寿海(かすみ)と二人で歩いている。


僕は、しばらくの間「生まれる」ということを知らなかった。

最初の記憶が、もう歩いていたから。

華寿海は神で僕は人間。

そのことは知っていたけど、華寿海が僕の親なのだと思っていた。

ついでに言えば「成長する」ということも知らなかった。

華寿海は時間と共に身体が変化しないから。僕の身体は次第に大きくなっているということに、しばらくの間気が付かなかった。


と、思う。

夢のように曖昧で、どれが本当にあったことなのか分からないからだ。


僕の幼少期を知らないからか、華寿海はこの話を避けたがる。

だから僕も聞かないようにしていた。

『知ることが出来ないことは、知ろうとしなくてもよい』

ある時、華寿海が言ったことばだ。華寿海と一緒に過ごし、さまざまな存在に出会って、僕はその意味が少しずつ分かってきた。







ある昼のこと。

僕たちは、まだ同じ森の中を歩いていた。森の深いところまで来たのか周りには木しかなく、建物はおろか、水場や岩場でさえ見つけられない。

「木ばっかになってきたねー」

「ああ、そろそろ街に戻ってまた移動するか…」

「そうだね」

森の中で居場所探しに行き詰まると僕たちは街へ行き、物資を整えてからまた別ルートで森に入る。 



華寿海は春を司る神様だ。そのために、僕たちは居場所を転々としている。「季節」の神様の務めとして転々としているのではなく、そうせざるを得ないというだけだ。

はっきりと聞いた訳ではないが、華寿海はずっと居られる居場所を探しているのだ。その理由は分からないが、しかし僕たちがこれだけ居場所を変え、しかもその大半は他の神様に追い出された結果だという状況を考えると、ひとつの場所に落ち着きたいという気持ちは十分理解できる。

僕としては、こうして華寿海と様々な場所を巡っていくのは楽しいので、このままでも良いと思うのだが。

そもそも華寿海によれば、春は太陽と時間らしい。どちらもこの大地に形を持つものではないのだから、特定の居場所を持てないというのはしょうがないのかもしれない。


「そういえば、華寿海はこの森からもっと離れようと思ったりしないの?いつもは別の場所から森に入ってみるだけだけど、もっと移動した方が良い居場所が見つかるかもしれないんじゃない?冴仁衣(さにい)さんが言ってた西の地とか」

僕はカモミールの精の冴仁衣さんから、世界は僕の想像よりも広いことを聞いていた。しかし、僕たちは今までこの森でしか居場所を探していない。


「ああ、この地が東の最果てだからな。これ以上東には海しかないから俺は離れることが出来ない」

「東?方角が関係あるの?」

「そうだ、東は春の方角だ。俺は世界の中央で兄弟…他の季節の神と分離したあと、東を目指してこの地に来たんだ」

「そうだったんだ。じゃあここで居場所探し頑張らないとね!」

「そうだな…」


「というか『兄弟と分離』って、華寿海はどうやって生まれたの?」

「どうやってって…、ぐるぐると回っていたら身体が離れていたんだが…」

「えー、すごい!神様ってそう生まれるんだ」

「いや、生まれ方は神によるぞ」

「そうなんだ」


「僕はね、華寿海が僕の親だと思ってたよ」

「……まあ、しょうがないだろ」

「ははは、しょうがないよねー」


「じゃ、街に戻れるように歩くか」

「うん」


そう言って、歩く方向を変えたその時。



「え!!」

陽炎のようにゆらゆらと揺れる林。


「あれ!!華寿海!!クジラじゃない!?」

「は?」

よく見ると、半透明の巨大な浮遊物がこちらに向かって来ていた。


「あんなに大きいの、絶対クジラだよ!!」

「いや、……は?」

ゆったりと動くヒレ、流線型の大きな身体。


「…ここ森だぞ」



「幽霊かな?透けてるよね」

「お前、…なんでそんなに受け入れるのが早いんだよ」

「華寿海だって神様でしょ」

「……いや、」


「ごめーん、驚かせちゃったわよね」

大きな口が開き、陽気な声が聞こえる。


「喋った!!いや、大丈夫だよ!!」

「……、はぁ」

華寿海が溜息を吐く。

「この辺に住んでるの?」


「いえ、私はお二人に用事があって来たのよ」

「用事?」

「ええ。二人とも、」



「私を召し上がりに来ない?」

「…え?」

僕の横で、華寿海は頭を抱えていた。


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