過ごした日々を連れて帰る
夏目碧央
第1話 連れて帰る
二人目の子供を出産し、産婦人科を退院後、実家に帰った。上の子は3歳になったばかり。あと4ヶ月で幼稚園に入園する。
上の子はムサシ。生まれたばかりの子はケンジ。ムサシはおしゃまさんで、よくしゃべる。実家に泊まっている間、赤ちゃんの世話をする私を見ないようにして、ムサシは私の母、つまりおばあちゃんの事を追いかけ回していた。母もけっこうしんどいだろうと察する。
3週間の間、実家に泊まった。週末には夫がやってきて、ムサシを連れて帰る。なぜかと言うと、もう一人のおばあちゃん、つまりは夫の母がムサシに会えなくて寂しがるからだ。月曜日にはその夫の母がムサシを連れてきてくれる。そういう事を3週間続けたのだ。
ムサシの周りには子供がいない。大人達ばかりの中で育っている。チヤホヤされ、やりたい放題である。可愛がってくれる人には誰にでも懐く。それは良い事なのだが、私にとってはちょっと不満だった。子供を主に育てているのは私なのに、
「お母さんがいい!」
などとわがままを言わないムサシは、おばあちゃんに取られがちだ。実家にいたって、私に甘える事はほとんどない。それでも、夫と一緒に家に帰ると、夜寝る時に、
「お母さん・・・」
と言って泣くのだと夫は言う。本当だろうか?俄には信じられない。本当ならば、ムサシも可愛そうだが、夫も可愛そうだ。自分がいるのに、別の人を恋しがって泣くなんて。
でも、実家にくればおばあちゃんを追いかけ回す。もしかしたら、私を弟に取られてしまったと思い、寂しさを紛らわす為にやっている事なのだろうか。私に甘えてもいいのに。ムサシはおしゃべりが上手でも、自分の感情を表すのが下手なのかもしれない。
そんなこんなで、3週間が過ぎた。いよいよ家に帰るのである。夫が車で迎えに来て、そこにチャイルドシートを付け、ケンジを乗せ、さあムサシと私が乗り込もうとした時、ムサシはうさぎのぬいぐるみを放そうとしなかった。私が昔誕生日プレゼントにもらった、小汚いうさぎのぬいぐるみである。結婚する時に置いていったもので、捨てても良かったのだが、母が私の部屋のピアノの上にそのまま飾っておいたものだ。
「それは置いていきな。」
私が言うと、
「やだー!絶対やだ!連れて帰る!」
と言って、ぬいぐるみをギューッと抱きしめるムサシ。
「ぬいぐるみなんて、要らないでしょ。」
確かにここでは抱いて寝ていたけれど、ムサシは特にぬいぐるみに執着する子ではない。電車とか、絵本の方が好きなのだ。ずっと見ていたクイズのミニ本を持って帰りたいと言うのなら分かるが、なぜこのぬいぐるみ?
ムサシはうさぎを抱いて放さない。
「まあ、いっか。元々私のだし、持って帰るね。」
私はそう言って、うさぎのぬいぐるみを抱えたままのムサシを車に連れて行った。
窓を開け、両親と別れを惜しむ。ムサシはさぞやおばあちゃんと別れるのが辛かろうと思ったが、何とムサシは窓の外のおばあちゃんには関心がなさそう。おばあちゃんの方が涙目になっている。
「ムサシ?おばあちゃんとおじいちゃんにバイバイは?」
私がそう言うと、冷静に手を振るムサシ。手にはうさぎ。
そうか、おじいちゃんやおばあちゃん、そしてここでの生活を、うさぎのぬいぐるみに置き換えて、それを持って帰るから寂しくないと、そんな風に思っているのかな。
「子供はあっさりしてるね。」
などと言いながら両親と別れ、家路についた。
家に帰って、しばらくは関心を寄せられたうさぎのぬいぐるみも、いつしか忘れられ、他のおもちゃに紛れ、共に追いやられ、最後には捨てられる運命。ぬいぐるみは、色んな方法で子供の心を癒す。帰りたくない、離れたくない、そんな思いを、ぬいぐるみを抱く事で、大丈夫だと思わせてくれる。古くても、ヨレヨレでも。
過ごした日々を連れて帰る 夏目碧央 @Akiko-Katsuura
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