第6話
伯爵城館に帰ると、お婆様が迎えてくださった。
ヴァルはお婆様に私とふたりきりで話がしたいと説明して、客間の一室を借りて、温かな紅茶が届いてから──ぽつりと、少しずつ説明を始めました。
「まず俺の母さんは、獣人の中でも珍しい一族だった。幻獣・月のマーナガルムの血を受け継ぐ狼、それがギズルフ家。俺達は獣人でありながら幻獣と同じ強い魔力を持っている」
「お会いした事は無いけど、幻獣って伝説や逸話では姿を見せないし不死だって聞いた事はあるわ」
「概ねはな。そんなマーナガルムと人の間に生まれたんだ、俺の祖先は。それから自立した祖先は連合王国の建国時にこの国を守る一族として王と誓約を交わした。そもそも獣人や人間と子を成せば血は薄くなる。でも幻獣の力は圧倒的で、魔力は次の子もそのまた次の子も強いまま生まれるから、守るという役目において適役だったんだ」
つまりは、王家にとってこの国が脅かされた時の切り札が、かつて空と天を血に染めたとされるほど強いマーナガルムの魔力を持つ一族。脈々と受け継がれるそれは、半永久的な理想の戦士だった。
でも完璧な存在がいないように、ヴァルの一族の力にも欠点があった。
「──俺の一族は、早死にする。獣人の体はマーナガルムの魔力にしたら弱過ぎたんだ」
国内外の騒乱、災害に立ち向かい一族の本懐を遂げた者。事故や事件に巻き込まれた者。そしてあまりの魔力に体が耐えられず、それこそ体を守る筈の体の機能が自らを攻撃する病気のように、衰弱する者。
ヴァルのお母様の死因は、衰弱死、だった。
「老齢の獣人には多い衰弱死だ。けど、ギズルフ家最後の生き残りの保護を理由に、元々体が弱い事を隠して第二王妃として母さんは若くして嫁いで、俺を産んだ。でも今の第一王妃より先に産んだからか、第一王妃から甘い汁を啜ろうとしていた周りが俺達に危害を加える状況になって、父さんが先代様に命令して北方領に俺達を隠したんだ」
──それからしばらくして、この領地でとても穏やかで楽しい日々を暮らして、ヴァルのお母様は亡くなった。ちょうど私達が出会うひと月前に。
私にくれた古代魔術文字の魔導書は、ヴァルのお母様がヴァルに教えた教科書のような本だったらしく、思い出もあるから処分に困っていた、とヴァルは小さく笑った。
「母親がいるのに兄と父親がいないと泣いてたアリーシャに、あの頃の俺は少し怒ってた。お前には母さんがいるじゃないか、我慢すれば父さんにだって会えるだろって。でも、王都が危ないって聞いたから不安なんだ、って。それを聞いて分かったんだ。弱っていく母さんを前にした俺と似た気持ちなのかもしれない、って」
その話を聞いて、思い出す。
私はルドルフ殿下がいるなら自分も行きたいと駄々をこねたんじゃなくて、お父様やテオ兄様、ルドルフ殿下が心配で離れたくなかったんだ。
ルドルフ殿下に会いたいと駄々をこねればわがままが通ると信じて、泣いて。
それがいつの間にか本当に憧れになって、恋になっていたんだ。
「だから放っておけなかった。アリーシャがこれからも泣いて暮らすくらいなら、少しでも学んで立ち向かう力を付けた方がいい、過去の自分を振り返ってそう思ったから」
「そっか……でも、立ち向かう前に選ばれなかったんだけどね」
私がそう俯いて話すと、ヴァルに名前を呼ばれた。
琥珀色の瞳が、私を見つめる。
「俺はこうしてアリーシャと再会して、話をしてる。その奇跡が嬉しい。だから……伝えるのが怖かった。俺は王位継承権を放棄したいのにまだ出来ないでいる狡い男で、あの頃からアリーシャへの想いを消せないでいるから」
「私への、想い?」
どくりと心臓が跳ねた。
見ないフリをしていた気持ちが、淡い期待に呼び寄せられるように溢れ出しそうになる。
また、勘違い、しそうになる。怖い。また期待してひとりで傷付くのは怖い。
言わないで、待って。そう告げる前にヴァルは言葉を紡いだ。
「──俺はあの頃からずっと、アリーシャが好きなんだ。アリーシャが誰かと幸せになるなら応援したいと思っていた。今は、違う」
ヴァルは席を立ち、私の左にやって来ては跪いて、真剣な眼差しを私に向けてくれた。
「愛してる、幸せにする。俺と一緒になって欲しい。だから、俺は王位継承権を確実に捨てる。俺はアリーシャだけを愛していたい、アリーシャに悲しい顔をさせたくない」
私は、涙があふれた。
ヴァルは私に話せないと隠しはしても嘘は付かなかった。だからその気持ちが本物だって信じたい。
でも私を選ぶ事は、彼にとって良い事なのだろうか。彼の希望と周りの希望が違った時、私を選ばない道に進んでしまったら。
また、選ばれなかったら。
「気持ちは嬉しい。でもヴァルは……ヴァルの周りは、」
どうするの。と問いかけようとしたら、客間の扉が開いた。
「──ヴァルンフリート殿下。決断をお待ち下され。継承権については、陛下よりお言葉を賜っておりますゆえ」
お爺様がお婆様を連れて、一通の封筒を持って立っていらっしゃった。
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