【KAC2023/ぬいぐるみ】幸せな猿

平蕾知初雪

幸せな猿


 今朝のHRはおかしかった。

「今日から金曜までの一週間、クラス全員でこの子を幸せにしてあげましょう」

 担任のミカセンはそう言い、古びた猿のぬいぐるみを教卓に置いたのだった。


 幸せにしろと言われても、ぬいぐるみが何を幸せと感じるのかなんて、私たちにはわからない。


 いつも超適当なマリエが

「とりあえず不幸にしなきゃいいんじゃね? ぶっ叩かないとか、独りぼっちにしないとか」

と言うと、ミカセンは笑顔で頷いた。


「良い良い。その調子よ」


 いや、どんな調子よ。

 けどまあ、ひとまず一時間目は科学。私たちはその汚い猿のぬいぐるみを連れて実験室へ移動することにした。


 まだアラサーのミカセンが、こんなくたびれたぬいぐるみをどこから仕入れたのか知らないが、正直言ってブス猿だ。あちこち黒ずんでいて汚い感じもする。

 もともとはお腹を押すとキャタキャタ笑う仕組みだったようだけど、壊れているのかランダムに笑う。つまり、いつ笑うかわからない。


 ふつーに不気味だし、授業中でもお構いなしに笑い出す。英語の小テストの最中に突然笑い声を上げたときは、あまりのうるささに暗記していた構文が飛んだ。ボブがhad beenでなんだっけ?


 やっぱりぬいぐるみの幸せは遊ばれることだろう、ということで、火曜の昼休み、レンとユータが猿でキャッチボールを始めた。これにはさすがの私も呆れてため息が出る。


「いやいや、遊び道具にするんじゃなくて、一緒に遊んであげるのが正解じゃないの?」


 そう言う私に他の数人も「そうだそうだ」と加勢したが、レンもユータもピンと来ていない顔をしている。私の言うことの違いがわからないらしい。こいつら本当にバカだ。そんなだから彼女できねーんだよ。


 水曜以降、早くも私たちは猿の幸せについて考えることを諦めた。相手は喋りもしないぬいぐるみ。何が幸せかなんて考えたって、どうせわかりっこない。


 木曜の途中から、私たちは移動教室に猿を連れて行くことさえしなくなった。

 汚いしブスだし。できれば触りたくない。


 金曜日。ミカセンは溜息をつきながら放課後のHRを始めた。


「まったく。名前くらい付けてあげるかと思ったのに、全然ダメ。あんたたち、事故にでも遭って寝たきりになったら、投げられて遊ばれたいわけ? 将来自分に重い知的障害のある子どもができたら、何も言わないからって本人の前でブスって言うの? そもそもねえ、人間は歳を取ったら、もれなく汚いジジイとババアになるのよ。誰か一人くらい、お風呂に入れてあげようとは思わなかったの?」


 見計らったかのように、猿がキャタキャタとうるさく笑う。


 あ、そっか。

 私と、たぶんこの看護クラスにいるほぼ全員が、納得したように思い出した。


 そういえば来週は、学外研修で緩和ケア病棟に行くんだっけ……。




 

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