アンティークショップのぜんざいさん

彩亜也

アンティークショップの“ぜんざいさん”

 駅前のロータリーから飛び出た道をまっすぐ進んでいくと、老夫婦の営むアンティークショップがあらわれる。

 店主は町の人からさんと呼ばれる眼鏡と恵比寿顔が特徴的なおじいさん。会話をした事はないけれど、よく店の前を掃除している姿を見た事があった。

 お店には道路に面した大きなショーウィンドウがあって、キラキラと輝く妖精のフィギュアやステンドグラス風の間接照明、ソーラーで動く招き猫に、どこかの風景を切り取った水彩画などありとあらゆるものが詰め込まれた宝箱だった。私はスーパーへ向かう道すがら、その宝箱を眺めるのが好きだった。駆け足でショーウィンドウに向かって、歩く母が追いつくまで眺めるのだ。

 ある日、そのショーウィンドウに見慣れない子がやって来た。目立つところというよりは、ひっそりとさりげなく追加された子。

 私はその子がどうにも気になって、追いついて来た母のブラウスの袖を引っ張ってその子を指差す。

「あら、可愛いくまちゃん」

 そう、新しくやって来たのはくまのぬいぐるみだった。真っ白でふわふわの体に、上がった口角、黄色いカチューシャをつけていて、そのカチューシャの柄も絨毯の端切れを使ったみたいで素敵だった。

「さ、帰るよ」

 見惚れる私の手を引いて母が歩き出す。私はこのまま離れたら二度と会えなくなる予感がしてその場にとどまる。

「どうしたの?」

「…………」

 欲しい、そのたった一言が言える子供ではなかった。いつものように困らせたいだけだろうと母の言葉尻がきつくなる。

「理由ないなら帰るよ、アイスも買っちゃったし……」

 ビニール袋を持ち上げる母は眉尻も上がっていて、私は唇を噛んだ。

「……この子買って」

 子供の体感時間で言えば二十分の攻防の末、私はようやく言葉にした。達成感に包まれる私とは裏腹に母は今度は目尻まで吊り上げる。

「わがまま言うんじゃないの!良いから帰るよ!」

 それでも動こうとしない私に母はさらに「それなら置いてっちゃうからね!」と吐き捨てて家に向かって歩き出した。けれど、店から家までは五分もかからない。私は自分の意思を貫くようにじっとその場を動かず、ただ目の前のくまを手に入れられたら何をしようかとそればかり考える。

「名前は、メアリーちゃん」

 誰になく呟いた。そう、私はこのくまを見つけた時から名前を決めていたのだ。しばらくすると、荷物を家に置いて来た母が「いい加減にしなさい」と言って戻って来た。けれど、私だって人間だ。そんな言われ方をして素直に帰れる育ち方はしていない。無視するようにメアリーちゃんに視線を戻すと、お店の中から一人の老人が現れた。

「どうかしましたか?」

 その老人は人の好きそうな笑みを浮かべていた。母は「あ、財前ざいぜんさん!……店先ですみません」と頭を下げる。

「いいえ、大丈夫ですよ」

 そう言って微笑んだ老人こそ、ぜんざいさんだ。

「よろしければ中へどうぞ。外は暑いでしょうし」

 ぜんざいさんの提案に母の顔を見れば、母も私の顔を見ていた。そして、終いには「お邪魔します」と答えてベルを鳴らし店の中に入った。


 お店に入ってみるとそのあまりの狭さに私はがっかりした。広くは無いにしても、もっと歩き回れるくらいの広さを期待していたものだから、歩き回るどころか三人立てば身動きが取れなくなるほどの店内は想定外だったのだ。

 けれど、中にはそとよりずっとたくさんのアンティークが並んでいて、一つ一つを見たら日が暮れてしまいそうだった。壁にかかった仮面は水の都ヴェニスの仮面だろうか、その下にはチューリップの装飾がついた鏡がある。どこかの地域の伝統の凧や、用途のわからない謎の置物まで、古今東西あらゆる物が並んだ店内はさしずめ小さな世界スモールワールドと言ったところか。目を輝かせる私をよそに、母はぜんざいさんに声をかけた。

「あの、ちなみに何ですけど……」

「はい」

「表に飾ってあるあのくまのぬいぐるみっておいくらですか?」

 思っても見なかった母の言葉に振り返ると、母はもちもちとした私の頬を突いて笑った。大きくて温かい手にくすぐったさを覚えて、先ほど振り払った手を掴んだ。

「ああ、こちらは三千円なんですが……」

 言いかけて、ぜんざいさんは私をみる。そしていっそう目尻を下げると私と母に向かってこう言った。

「お嬢さんがとても気に入ってくださったようなので二千円で構いませんよ」

 その一言に私は固まった。幼いとは言えお金の計算ができないほど馬鹿では無い。母も隣で「三千円ですね大丈夫です」と慌てる。けれどぜんざいさんはそんな私たちを見て笑って「いえ本当に良いんですよ」と答えた。

 しばしの間母とぜんざいさんの方で押し問答が続き、結局奥から現れたぜんざいさんの奥さんの鶴の一声で元々の値段の通り三千円を払う事で落ち着いた。

 会計をしている間、ぜんざいさんが私に声をかける。

「お嬢さんは、今いくつ?」

 人見知りの私が母の顔を見上げると母が代わりに答えてくれる。

「この子は今、九歳です」

「あれ、そうなんですか?」

 母の答えにぜんざいさんはにっこりと笑って嬉しそうに話してくれた。

「実はね、私の孫も九歳なんですよ。今年十歳になるんだけどね……」

「そうなんですか?この子も早生まれで来年十歳になるんです!」

「こんな偶然てあるんですねえ」

 噛み締めるように呟くとぜんざいさんはぬいぐるみを包む手を止めてこんな話をしてくれた。


 実はね、この子は元々孫のために買い付けたんですよ。これを買った地域では熊は強さと母性の象徴なんです。だから、その国では子供が十歳になると熊を模ったものを贈って、その子供が強くて愛に溢れた大人になれるように祈るんです。


「十歳……」

 私の呟きにぜんざいさんは「そう」と微笑んだ。微笑んで、そっと季節外れのクリスマスツリーに目を向ける。

「お嬢さん、これなんかどう?」

 そう言ってぜんざいさんが手に取ったのは聖歌隊の女の子のオーナメントだった。言葉の意味がわからず「可愛いです」と答えるとぜんざいさんは「それは良かった」と答えてクマのぬいぐるみと一緒に袋に詰める。

「え?え?」

「あの、えっと」

 困惑する私と母にぜんざいさんは笑った。

「不思議なご縁の記念に贈らせてください」

 助けを求めるように店の奥に視線を向けるも奥さんは家の方に行ってしまったみたいで姿は見えない。私と母はまたも顔を見合わせて、それから「ではお言葉に甘えて……」と受け取ることにした。

「ところで、お嬢さんの干支は?」

 またも突然の質問に私は母の顔を見ながらも勇気を出して「うさぎです」と答えた。

「うさぎか!」

「はい、お母さんと同じなんです……」

 そう言って母と顔を見合わせて笑う。けれども全財産は机の周りで何かを探しているようで、自分で聞いて来たのにとムッとしているとぜんざいさんは初めて困ったような顔をした。

「いやあごめんね、うさぎの根付けだけ無いみたいなんだ」

 予想外の言葉にまたも、私と母は慌てる。

「いえ、大丈夫ですから!」

 母の隣でうんうんと首を縦に振れば「そうですか?」と残念そうにぜんざいさんは包装に戻った。そこに、奥からぜんざいさんの奥さんがお盆を両手に持って現れた。

「ああ、良かったらこちらだけでも召し上がっていってください。妻の作るぜんざいは絶品なんです」

 使い捨ての小さな容器に盛られたぜんざいは丁度良い量で、私と母はいただくことにした。室内はクーラーが効いているからか、甘くて温かいぜんざいがとても美味しく感じられる。ふとぜんざいさんを見れば、彼は丼に入ったぜんざいを幸せそうな顔で頬張っていた。

「ごちそうさまでした」

「ご馳走様でした」

 ぜんざいを食べて満足した私と母はぬいぐるみの入った袋を受け取ると初夏の日差しが照りつける世界に戻って来た。けれど、中が涼しかったおかげで、その暑さも心地よかった。

「だからぜんざいさんなんだね」お店から離れたところでそう母に声を掛ければ母も同じ事を思っていたのか噴き出した。


 その日の晩、寝る前の支度を済ませた私は、袋からメアリーちゃんを取り出して寝室に向かう。窓の外の踏切の音を聞きながら、メアリーちゃんを抱きしめると、今日出会ったアンティークの故郷に思いを馳せて眠りについた。

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