第2話 悪友
「それで?冷静になったら怖くなったわけだ」
月曜日の昼休み。昼食を早めに切り上げて、ほとんど人のこない廊下の端、
「どうしたらいいと思う?」
「そりゃ、また誘うしかないだろ、というか他にどんな選択肢が?誘うって言ったんだろ?」
「言ったよ。言ったけどさー」
「じゃあ、そうするしかない。なにも難しい事は無い。ただ……」
「ただ?」
問いかけた僕から視線を逸らした悪友は続きを口にする事なく、手を軽く上げた。
「健闘を祈るー」
何故だかそんな事を言いながら、奥にある非常口に向かって走っていく。
「え?ちょっと」
「ねぇ、君」
解決策を口にしないまま逃げた悪友を追いかけようとした瞬間、耳に響いた声に足を止めた。恐る恐る振り返ると先輩が居た。
「はいっ」
返事をした身体が一瞬で硬直する。
「ようやく見つけたよ、朝から休み時間の度にずっと探してたんだからね」
「僕を?」
「そう、一個下だってのは分かってたよ。でも君、名前はおろか、クラスも教えてくれなかったんだもの」
若干不満げな声に、自分が名乗ってすらいなかった事を思い出した。
「あっ……すいません」
「まぁこうして見つけられたからいいけど。場所的にもちょうど良かったし」
その意味を問おうとする前に先輩が、ポケットから折りたたまれたメモ用紙を取り出して、僕の方に差し出した。
「私の連絡先、勢いに押されて了承しちゃったけど、約束は約束だからね。映画に誘いたくなったら連絡して」
「それと私との事は秘密ね。学校ではお互いに知らないふりをする事」
「……解りました」
辛うじて、そう返事をした。実際にただ映画を見るだけでそういう関係ではないと解っていても、そう言われた事に少し
「ああ、別に君との関係を知られるのが嫌だからじゃないよ。ただ、また変な噂を立てられるのが嫌なだけ、そうなったらたぶん君にも迷惑が掛かっちゃうから。ごめんね」
「いいえ」
そう言って首を横に振りながら、ほとんど僕の事を知らない先輩ですら解るほど、自分の気持ちが表情に出ていた事を悟った。あいつだからわかるのだと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。これから気を付けようと思いながら、「それじゃあ」と去っていく先輩の背中を眺めた。一度も振り返ってはくれなかったけれど、その凛とした姿が見えなくなるまで僕はそうしていた。
◆◆◆
学校から帰ってすぐ自室に駆け込んだ。散らかっている机の上のものを
短いお礼と挨拶を兼ねた文章を作って、送信ボタンに手をかける。数秒迷ってから、意を決してそれを押した。画面に送信した文章が表示される。すぐに返事は来ないかもしれないと思いながら、端末を手放せなかった。心拍数と呼吸が早くなって、手が汗ばむ。そのままじっと画面を見ていたら、小さな電子音と共に返信が表示された。
口から
完成した次の映画のお誘いを送って、返ってきた了承の返事にまた感謝の言葉を書いて、先輩がそれを読んだ事と、それから何も送られてこない確信を得てからベッドに倒れ込んだ。ただ端末で文章をやり取りしただけなのに、今日一日の他の全てを足したよりも疲れた。
翌日の学校では、何事も無かったかのように過ごし、週末に二回目の映画を見に行った。それから僕はそれを繰り返した。
特に何かがあるわけじゃない。いつも映画館の前で待ち合わせて、映画を見て、映画館の前で別れる。
席が指定式の劇場だったら、選ぶのは後列寄りの中央席。指定されていない劇場では先輩がいつもそれぐらいの席を選んでいるのに気付いてからそうするようになった。
エンドロールの後、幕が下がり切ってしまってから立ち上がる先輩に
そんなある日の学校帰り、バイトが無かったから久しぶりに悪友と公園によると、ブランコに座り公園前の自販機で買った炭酸飲料の缶の口を開いた悪友に聞かれた。
「で?進展はどうよ?」
「進展?」
一瞬何の事か分からなかった僕に、悪友は
「先輩の事だよ」
「ああ、良い感じだよ。先週も映画を見に行ったんだ。見たい新作があるからって、街の方の大きい映画館まで行った。小さな劇場も良いけど、やっぱり大きい劇場も良いよ。画面が大きいのもあるけど、音響も全然違うから、迫力があるし、見たのはアクション映画だったんだけど、これがまた最新技術がふんだんに使われててね。制作予算も桁違いだから……」
「ちげぇよ。俺が聞きたいのは映画の話じゃなくて、もっとなんかあるだろう?」
そう言われて、少し考える
「そういえば、映画を見終わった後に食事をするようになった」
ここ半年の間に起こった凄い変化を口にすると悪友が興味深そうに身を乗り出した。
「それで?」
「そこで、さっき見た映画の話をするんだ」
とても驚くだろうと思っていた悪友は一瞬沈黙した後で首を傾げた。
「お前もしかして、この半年ただ映画を見てるだけなの?ずっと?」
肯定すると悪友は天を
「お前それは……流石に都合よく利用されてんじゃねえか?」
その言葉に少し腹が立って、僕は語気を強めた。
「先輩はそんな人じゃないよ」
「お前がそう思いたいだけじゃなくて?」
重ねられた問いに迷いなく頷く。
「
悪友は哀れだとでも言いたげな顔をして
先輩に利用されているとは思わない。嘘をついているとか、そういう事が出来る人ではないと思う。
それにそれ以外全く進展が無かったわけでもない。学校では相変わらずお互いに知らないふりをしているけれど、時々、先輩は僕に目配せしたり、小さく手を振ってくれたりするし、それに連絡すればすぐに返事をくれる。まだ次に見る映画の連絡しか送った事ないけど……。
そこまで考えて、少しだけ不安になった。世間一般で言われる恋人のような関係には全く近づいていないと言う事は確かで、チケット代を払い続けている事も事実だ。そう考えると都合よく利用されているという表現もあながち間違っていないのかもしれない。でも食事の時は自分の食べた分は自分で出す方式だし、それに最初に利用しようとしたのは僕だったわけだし、なによりそんな感じであっても先輩と過ごす時間は苦痛では無かった。それどころか、どこか心地よくて落ち着くような。映画を見るだけでほとんど会話がないと言う事がかえっていいのかも知れなかった。必死に何か話さなければならなかったとしたら、続かなかったかもしれない。
もしかすると毎日決まった道を好んで散歩している人はこんな気持ちなのだろうか、特にすごく変わったことが起きるわけではないけれど。季節によって咲く花や、景色、天候、そんな僅かな違いが、時々強く印象に残るような。まぁ、全部想像だけど……
「まぁいいけどさ。お前がそれでいいっていうんなら」
そう口にしながら悪友は持っていた炭酸飲料を
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