第17話

「いや、いやいや……展開が早すぎるだろ……」


 かろうじて目が見えるくらいの薄暗い部屋にはテレビやテーブルなどのシンプルな家具と、二人で寝転んでも余裕なほど大きなベッドが置いてある。至ってシンプルな部屋だが、シンプルだからこそ何をするための部屋なのかがすぐにわかってしまい妙に気恥ずかしい。……ここはいわゆるラブホテルだ。


「こういうのは思いついた時にパーッとやっちゃうのがいいんですよ」


 スーツの上着を脱いでハンガーに引っ掛けながら、遠藤は気楽そうな軽い声でそんなことを言っている。俺が決めたことだが、自分の気持ちを割り切って振る舞うことはできなかった。


「遠藤はなんか楽しそうだな……」

「それは、俺にとってはチャンスですから。たとえこういう形であっても」

「……けれど、その想いに俺が応えることは――」

「ちょっと吾妻さん!始まる前から気分が萎えるようなこと言うの、禁止ですよ!」


 いつもの調子で明るく振る舞う遠藤に、少し肩の力が抜けた。遠藤も俺と同じく緊張していることは、ハンガーに引っ掛けようとしている上着を何度も落としていることから窺えるが、それでも俺を気遣ってか気丈に振る舞ってくれているのがありがたい。


「それじゃあ俺、先にシャワー浴びてきますね」

「ああ、待ってる」

「……なんか今の、グッときました」

「ん?」


 よくわからないことを言ってそそくさと浴室へ向かう遠藤の背中を見ながら、俺は少し前のことを振り返る――。





 ◇◇◇




「――というわけで、本当はヒートのために相手を探しているわけじゃないんだ。だから……遠藤の気持ちには応えられない。無理をして俺に付き合う必要なんてないよ」


 居酒屋で真剣な想いを伝えてくれた遠藤に、俺は自分の事情を全て話した。Ωの恋人がいること、そしてその恋人に運命の番が現れたからどうにかして別れたいこと、別れるためにαと浮気をして相手に嫌われてしまいたいこと。……みっともないことだが、本当に全てを遠藤に打ち明けた。


「……それって、なんか俺が言うのもアレですけど、もうちょっとお互いに話し合った方がいいんじゃないですか?」

「……」

「だって吾妻さん、その恋人のことめちゃくちゃ好きじゃないですか!別れるためにαと浮気とかはちょっと思考が捻れすぎですけど……」



 そして遠藤のあまりの正論に貫かれ、俺は言葉を発することもできなかった。話し合えばいい……そんなことは百も承知だが、話し合いに持ち込んだらどうやっても五紀に俺は勝つことができない。なんだかんだと丸め込まれ、今までと変わらない関係性で落ち着くのが関の山だろう。……それは、俺にとっても五紀にとっても未来のない話だと思う。


「でも、Ωはαと番になるのが運命だろ。……そんな決められた運命を、無駄にしたら不幸だ」

「ええ~?!吾妻さん固すぎませんか!?今どきΩとβが恋人同士だったり、αとβが結婚したりなんて当たり前ですよ!恋愛は自由ですよ」

「そんなこと言っても、現にΩ同士は結婚できないだろ」

「……それ言われたら弱いですけど……」


 遠藤は俺の言葉にどう返事をすればいいのか「う~ん」「でも……」と言葉を選んでいるようだったが、結局は直球を投げつけてきた。


「でもそれって吾妻さんが一方的に思ってることですよね?恋人はどう思ってるか、吾妻さんちゃんと聞きました?」

「…………」

「吾妻さん、一番大切なコミュニケーションは会話ですからね!今日はちゃんと後輩と飲んでるだけって連絡入れましたか!?自分の気持ちをメッセージに添えるだけでもいいんです。ちゃんと言わないと後悔しますよ」


 仕事での立場とは完全に逆転し、俺はほとんど遠藤に説教をされていたと思う。正論を言われる度に俺は気まずげに俯き話題を逸らそうと試みたが、その度に遠藤に詰められ話を戻される。そんなことを何度か繰り返した気がする。


「……ちゃんと、その……今日は『会社の人と飲んでくる。帰りが遅くなると思うから、気にしなくて大丈夫』って送ってるし……」

「簡潔すぎてダメですよ!ちゃんと『好き』とか相手に言ってます?行動で示そうとか考えてても、結局人は言葉が大事な生き物ですからね。言わなきゃわからないですよ」

「……好きとか、ちょっと……俺くらいの歳になると若すぎるって言うか……」

「年齢関係ないですよ」


 まさか後輩の遠藤にここまでボコボコに言葉で刺されるとは思わず、俺は少なからずショックを受けていた。自分が頭の固い人間だとわかっていたつもりだが、ここまで人に指摘されると五紀と今までの関係を続けることになんの問題もないような気さえしてくる。むしろ勝手に五紀の未来を決めつけていることに、妙な罪悪感を覚えるほどだ。


「遠藤は、俺にΩの恋人がいるって聞いて……俺への気持ちを諦められた?」

「……いいえ、むしろ俺がαなことでちょっと有利だなと思いました」

「正直だな……」


「でも、自分も相手もΩだとわかっていて告白するなんて、相当の覚悟だと思いますよ。同性なら尚更、よっぽど吾妻さんのことが好きなんですね。その人」


 五紀が俺のことを一途に想ってくれているのはわかっている。五紀の俺への愛情表現は豊かで、素直に愛情を表現できない俺には過剰なほどの愛だった。だからこそ俺は気後れしてしまう。

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