第16話

「………………ん?」


 我ながら間抜けな声だったと思う。遠藤もそう思ったのだろう、俺の言葉に「だ、だから……っ」と珍しく狼狽えていた。


「よく分からない男に体を明け渡すくらいなら、素性のわかっている俺を選んだ方が良くないですかって、……そう言ってるんです!」

「お、怒るなよ……ごめん」

「別に、怒っていません」


 明らかにふてくされたような、むすっとした顔で眉を潜め、遠藤は腕を組んだ。その様子からしてどう見ても怒っているように思えるが、それ以上詰めることはせずに俺はそもそもの認識を遠藤に尋ねるために口を開く。


「でも遠藤ってβだよな?気持ちは嬉しいけど、俺が求めているのはαの男で……」

「βじゃないですよ」

「え?でも、うちの会社に入ったってことは……てっきりβかと……」

「それこそバース差別です。……それに、吾妻さんだってβじゃなくてΩじゃないですか」

「……うん」


 断るべくして出てくる言葉に淡々と切り返され、あっけなく言い負けてしまった。五紀はともかく年下の遠藤にも口では敵わないのだと思うと、俺は自分に少し虚しさを感じる。


「俺も自分のバース性を言ったことはないですけど、吾妻さんはわかっているかと思ってました」

「いや、俺は人事じゃないし履歴書とかは見てないから……でも、βじゃないなら……α、なのか?」


 思えば、いくらでも遠藤がαだと気付ける部分はあった。明らかに他の新入社員よりも仕事をこなすスピードが早く正確で、人付き合いだっていつも自分から話題を提供して……いつも遠藤は人の中心にいた。しかし、努力の結果なんだと納得していたんだ。五紀のように恵まれた環境と努力の結果で、αにも匹敵するようなβなのだと思っていた。


 何故なら、俺を貶さず見下さず、普通の後輩として頼ってきてくれたから。もし遠藤がαだったのなら、Ωである俺に何かを聞いたり仕事を教わることに少なからず嫌悪感を抱くはずだと思っていた。それこそ、学生時代に俺を鼻で笑ったα達のように。俺の中のαの知り合いの傾向が偏っていることはわかっているが、それでも遠藤にはα特有の威圧感のようなものが感じられないように思えた。



「……まあ、よく言われます。αに見えないって。俺も自分でそう思ってますし」


 自嘲するように薄く笑みを浮かべる遠藤を見て、αであっても俺のようにバース性に苦しめられることがあるのだろうかと、ふと思った。

 だからというわけじゃないが、俺は気付けば誰にも言えなかった学生時代のことを口に出していた。


「悪い、俺の中のαの認識が悪すぎたんだと思う。……俺、Ωにしては地味で長身だろ?昔から何かと馬鹿にされることが多くて……だから、αだったら当然俺のことを馬鹿にして見下してくるもんだと思ってたんだ。だけど遠藤は俺のことを馬鹿にしてこないし素直に接してくれるから……てっきりβなんだと思って」


「……最低ですね。吾妻さんのことを貶したやつら、全員。自分のバース性に驕って周りが見えない奴なんて、吾妻さんが気にすることないです。それに、そんな見る目のないα……絶対仕事できない奴ですよ。あと絶対モテません」


「何だその理論」


 真面目な顔で言い切る遠藤に思わず吹き出すように笑い出せば、遠藤もそんな俺の様子に声をあげて笑い始めた。俺たちは何がおかしくて笑い出したのかも忘れてしまうほど笑い、そして息も絶え絶えになりながら顔を見合わせる。



「あれ、何の話してたんだっけ」

「えーと、ちょっと待ってください……あ!そう、吾妻さんが夜の相手を探している話ですよ」

「如何わしく言うなよ」

「実際如何わしいんですよ」


 こほん、とわざとらしく咳払いをした遠藤は先ほどまでの笑顔を引っ込め、真剣な表情で背筋を伸ばして俺を真っ直ぐ見据えた。そんな遠藤につられるように俺も背筋を伸ばす。


「吾妻さん、吾妻さんのことを俺に抱かせてください」

「言い方……。いや、そもそも遠藤が俺を抱くメリットがないだろう。無理して提案することないよ」

「無理なんてしてないです!そもそも、嫌だったら吾妻さんがマッチングアプリやっていることを問い詰めたりしません。俺、吾妻さんがゲイだってわかった時……正直チャンスだと思いました」


 テーブルの上に投げ出していた手に、遠藤の大きく温かな手が重なる。急なことに俺の体は跳ねるが、遠藤は気にしない様子で言葉を続けた。



「……好きです、吾妻さん。本当はこんな形じゃなくて、もっとロマンチックに言えたらよかったんですけど……好きなんです。会社説明会の時、初めてあなたを見た時からずっと……好きでした」


 遠藤は耳まで赤くして、少し怒ったような顔でそう言った。緊張を隠すとき、怒ったようにムッとした表情を作ってしまうのが遠藤の癖なのかもしれないと、そんなどうでもいいことを思ってしまう。驚くほど……驚くほどに、俺の心は落ち着いていた。遠藤に告白されたことを確かに驚いているのに、心は動かない。


 こうして他人に触れられていると改めて実感してしまう。……俺にとって、どれだけ五紀が特別な存在なのか。


「……遠藤の気持ちは、本当に嬉しい。でも、俺はその気持ちを受け取れることはないと思う」

「どうしてですか?吾妻さん、マッチングアプリで相手を探すくらいだから、恋人はいないですよね?だったら、試すだけでもいいんです……試した上で、俺のことを判断してくれませんか。それくらいのチャンスを、もらえませんか」


 俺のようなΩにどうしてここまで食い下がるのか、正直理解ができなかった。俺は五紀と別れるための口実に抱いて欲しくて相手を探しているだけなのに、適当に理由を誤魔化したまま遠藤の気持ちを利用して抱いてもらうのは絶対に違うだろう。

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