第15話

「“20代~40代くらいで真剣なお付き合いを考えていない真面目なαの方“……ですか」


 居酒屋の個室で遠藤と2人だけで酒を飲む機会なんて、これが初めてだと何となく思う。仕事のことで相談に乗ったり個人的な悩みを聞いたり、きっと有意義な時間になっただろう……いつもであれば。しかし今、遠藤は俺の携帯を手に持ちマッチングアプリの俺のプロフィールを声に出して読んでいるし、俺はそんな遠藤の前で緊張を隠すようにちびちびとビールを飲んでいる。


「真剣なお付き合いを考えていない真面目なαってほとんどいなくないですか?」

「……わからないだろ、ひょっとしたらいるかも……」

「いやあ、αですよ?βならともかく、αで真剣なお付き合いを考えていないって……十中八九遊び人ですよ、それ」

「……」


 そう言われたら返す言葉もなかった。遠藤の言っていることは正論だろう。αで真面目な人間はとっくに結婚しているか相手がいる……俺だってそんなことは分かっていた。


「でも、残りの一割のαがいるかもしれないと思って……」

「吾妻さんって真面目じゃないですか。不特定多数と遊んだりするの、柄じゃないですよね」


 ふうと溜息を吐いた遠藤は、今まで見ていた俺の携帯を俺に差し出しながらそう言った。遠藤の言うことは痛いくらいに正論で的確だ。男漁りなんて俺の印象から一番ほど遠い言葉だろう。そもそも俺がいくら網を貼ったところで引っかかる男など露ほどもいないと、誰がどう見てもわかる。



「……まあ、確かに俺のこの見た目で人を選ぼうなんておかしな話だよな」


 はは、と笑いながらそう言った後で、またしても上司の笑えない自虐を後輩に聞かせてしまったと後悔をした。取り繕うために言った言葉がいつも空回りしてしまうのは、人としっかり向き合ってこなかったツケなのだろうか。


「そういう話じゃないですって!……吾妻さん、自己肯定感が低すぎませんか?俺、吾妻さんのこと尊敬してます。仕事が早くて的確だし、俺の書類のミスや抜けにすぐ気付いてこっそり教えてくれるじゃないですか。取引先の無茶振りとかも俺に代わって連絡をしてくれてますよね」


「それは、上司として当然の仕事だから……」


「でも、そういう吾妻さんが当然だと思っていること、やってくれない人ってたくさんいます。だから、俺のことを何度も助けてくれる吾妻さんが……俺は、魅力的だと思ってます」


 遠藤はそう言って俺のことを真剣な眼差しで見つめてくる。何故だか俺は目を逸らすわけにはいかないと思ってしまい、負けじと遠藤の瞳を見つめ返した。茶色い瞳の中に俺の姿が反射しているのが見えるほど長く見つめていると、流石に遠藤も気まずくなったのか俺の視線から逃げるようにふと顔を横に逸らした。



「……今の、茶化すか流してくれないと……気まずいじゃないですか」


 遠藤の頬に朱がさしているのを見て、意外だと思った。遠藤という後輩は、今年の春に新卒で入社してきた新人だ。βばかりのこの会社には珍しい、有名大学出身の遠藤は能力が高く仕事の内容をあっという間に覚えて、まだ一年も勤めていないのに四年目に差し掛かろうかという俺に匹敵するほどの働きぶりを見せている。仕事のできる遠藤は人付き合いも上手く、感情表現豊かに自分の気持ちを素直に表現する。嬉しければ笑い、悲しければわかりやすく肩を落とすような……少し大袈裟にも思えるが、なんとなく可愛がってしまいたくなるような素直さがある。……しかし、少しムッとした怒ったような顔で照れたように頬を染める姿は初めて見た。


「ごめん、遠藤の顔ってよく見たら整ってるな~と思って……」

「何ですかその面食いみたいな発言……っていうか“よく見たら“って若干貶されてます?俺……」

「不快にさせたなら悪い……ただ、うちの会社ってβが多いだろ?だから俺みたいな地味な見た目の人間が多いと思ってるんだけど、遠藤はなんというか……俺たちに無い華があるっていうか……。βらしくない?ってこれバース差別だよな」


 何を言っても墓穴を掘るだけになってしまう俺は、「今のなし、ごめん」と言って誤魔化すようにビールを煽った。年を重ねるほど自分の価値観をアップデートできず、気付かずにセクハラやパワハラをしてしまう――なんて話をニュースで見たことがあるが、まさに俺のことだとたった今自覚した。溜息を吐きたい気分だが、遠藤の手前ぐっと堪えてビールを喉奥に押し込む。



「……別に、俺はバース差別だとは思いませんでしたけど。ただ、ちょっと気になる部分はありました」


 遠藤は飲んでいたビールのジョッキをテーブルに置き、俺のことをやけに真剣な顔で見据えた。真面目な顔をした遠藤は、五紀とは違うベクトルで男らしさのある美形だった。


「“俺たち”なんて、βみたいな言い方してましたけど……吾妻さんってΩですよね?」


「え、……」


 会社で自分のバース性を隠しているわけでは無いが、喜んで公言するようなことでもないので履歴書以外ではっきりと表明したことはない。ましてや会社の人間に面と向かってバース性を指摘されることなんて初めてだったので、驚きで何と返事をすればいいのかわからず口籠ってしまう。そんな俺の様子を肯定と受け取ったのか、遠藤は「なるほど」と呟いて話を続けた。


「もしかして、マッチングアプリで相手を探している理由はヒートが近いからですか?だから後腐れのない、体だけの関係を望んでいる……俺の言っていること、間違ってます?」

「いや……」


 否定しようと口をついて出た言葉だが、弁明しようにも“Ωの恋人と別れるためにセックスの相手を探している”なんて明け透けに言えるわけもなく俺は続く言葉を飲み込んだ。どうせなら、遠藤の言うような一般的な理由でマッチングアプリを使用していたと誤解される方がマシだと思ったのだ。俺の言葉をまたしても肯定の意で受け取ったのか、遠藤は「うーん」と何かを思案するように顎に手を当てた。


「……だったら、俺にしませんか?」


 数秒だったか、それとも数分だったか。いくばくかの静寂の後、遠藤は少し上擦った声でそう言った。

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