第14話

 一番手っ取り早い方法は、俺の気持ちが他者に傾いていると五紀が知ることだろう。それも劇的なものであればあるほど良い。……例えばそう、俺がαに抱かれるとか。それほどの失態であれば良い。……問題は、俺が魅力のないΩだということだが。


 極端な考え方だとは思うが、五紀に嫌われる……少なくとも五紀の気持ちを俺から離すためにはそれくらいのことが必要だと思う。五紀は律儀で一途な男だから、今俺が別れを切り出したとしても意味がない。絶対に五紀に運命の番が現れたから離れようとしているのだと解釈されるだろう。……まあそれは言ってしまえばその通りではあるのだが、五紀にバレるわけにはいかない。


「突然俺が“嫌いになった“なんて五紀に言うのも厳しいしな……冗談でも言いたくない」



 昼休み、会社の自分のデスクで携帯の画面を指でスライドしながら、俺は溜息を一つ吐いた。横にスライドするたびに様々な男の顔が表示されては消えていく。顔をアップで写した写真や逆に体だけを写した写真など、バリエーションはあるがどれも全て男の写真。いわゆるマッチングアプリだ……ゲイ向けの。俺はマッチングアプリでサクッと自分を抱いてくれる相手を探していた。


 Ωとして登録するだけで、顔写真などは一つも貼っていないのに驚くほどたくさんの申請が届く。その中には明らかに犯罪臭のするものもあり、すべてのメッセージに目を通すだけでもひどく疲れた。溜息を吐きながら代わり映えのしない男たちの顔や体を眺め続ける。


 できれば清潔そうな、それでいてセックスを動画に収めることに抵抗がないような……。俺自身が地味で取り柄のないΩだと自覚しているので我儘を言える立場ではないと分かっているが、それでも変な人間に体を差し出すのには抵抗がある。初めての相手になるのだから、ある程度ちゃんとした人間を探したかった。


「…………」


 指を絶えず動かしぼんやりと携帯の画面を眺めながら、五紀のことをつい考えてしまう。携帯の中に収まる数多くの男を見ても、五紀に匹敵するような男は一人もいなかった。αもβもΩも、どんな男を相手に比較しても五紀は比べ物にならない輝きを持っている。


「豚に真珠、か……」


 自分で口に出してそれはあまりにそのまますぎるなと思わず笑ってしまった。何もおかしくないのに、かえって笑いが出てしまうのは人間の防衛本能なのだろうかとどうでもいいことを考える。



「吾妻さんが真珠ですか?」


 不意に後頭部にかけられる声に、びくりと体が跳ねた。携帯の画面をとっさに裏返してデスクに伏せ、恐る恐る振り返ればそこにはデスクに手をつき俺に覆いかぶさるように立つ遠藤がいた。


「び……っくりした。どうした?何か用事があった?」


 まさか携帯の画面を見られていないよな?と遠藤の顔色を伺いながら取り繕うような言葉を口にするが、遠藤の様子に不審な点は見つけられない。自分を落ち着かせるように深く息を吐いて、妙な空気を流すように笑う。


「ってか、俺が真珠?ないない。どう見たって俺は豚の方だろ。……独り言、聞かれてたんだな。ちょっと恥ずかしい」

「そうですか?俺は吾妻さんのこと、真珠だと思いますけど」

「あ~……ありがとう、な」


 上司のつまらない冗談を聞かせられる後輩。その上励まさなくてはいけないような自虐。今更遠藤に気を遣わせたことに気付いて俺は自分の恥ずかしさと惨めさに空笑いすることしかできなかった。


「あ、それで……何か俺に用事でもあったか?」

「……あの、これ」


 声を上げる間もなく。遠藤の手は俺の携帯を掴み、画面を上に向けた。慌てて裏返したせいで携帯の画面は消えておらず、よりにもよって男の裸体がでかでかと全面に表示されていた。予期せぬ事態に思わず体が硬直するが、まだゲイ向けのマッチングアプリを使っていたことには気づかれていないだろうと思い直し、極めて明るく遠藤へ声をかける。


「あ、あ~……なんか画面の変なところ触ったら妙な画像が表示されちゃって……」


 ……いや、自分で言っておいてなんだがこの言い訳は厳しいな。

 しかし今更撤回するには遅く、俺はどうにか作った笑顔で遠藤の様子を伺う。遠藤は落ち着いた様子で俺の携帯の画面を見ていたかと思えば、おもむろに指を携帯の画面の上でスライドさせた。慌てて俺は「あっ、ちょっと!」と声をかけたが、遠藤は気にせず数回ほど指をスライドさせる動作を繰り返し、俺へ向き直った。



「吾妻さん、これ……ゲイ向けのマッチングアプリですよね?」


 極めて冷静に笑顔を浮かべた遠藤に、俺は昼休みとはいえ会社でマッチングアプリを開いたことを後悔した。

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