第12話
「え……」
喉奥でくぐもったような声しか出せない自分に、自分でも驚いていた。中途半端な姿勢で立ち上がったまま動くことができないでいる俺の元へ、五紀は迷いなく駆け寄ってきた。額に少し汗の滲んだ困ったような、心配したような表情で俺の肩にそっと触れる。そしてその手が俺を立ち上がらせるように添えられるので、俺はされるがまま力の入らない足でどうにか地面を踏みしめた。
「そちらの彼、篠宮さんのご友人?」
今までαと対面したことは数えるほどしかないが、この目の前にやってきた女性が他のαとは決定的に違うとわかる。182cmある俺の身長でも少し見上げてしまう位置にある彼女の目は、その瞳の奥を覗こうと眺めているだけで屈服してしまいそうな強烈な魅力があった。咄嗟に「初めまして、友人の吾妻といいます」と軽く頭を下げることで俺は彼女の目から逃げる。
「……はい。吾妻とは一緒に住んでいて、大切な……友人なんです」
……友人。俺から言い出したその言葉を五紀が口にするたびに「違う!」と叫び出しそうになる。俺たちの関係を隠すべきだと分かっていて、五紀にもそうするべきだとすすめておいて、いざとなったら俺の心はやめてくれと悲鳴を上げるなんておかしな話だ。頭の中で渦巻く雑音をどうにか打ち消して目の前の女性へ意識を戻す。
「私の都合で篠宮さんを付き合わせていたから、吾妻さんのことをずいぶん待たせてしまったわね。ごめんなさい」
こちらの目を真っ直ぐ見据えて謝罪の言葉を口にする彼女に、俺は「とんでもない」とかろうじてそれだけを口にして目を逸らす。無礼な態度だと分かっているが、彼女の瞳に見つめられ続けることに耐えられるとも思えなかったのだ。
「神城さん、ちょっと近いです」
「あら、またやってしまったのね……。うちの会社はΩがあまりいないから、ついαの社員に話しかけるような振る舞いを……。不快だったかしら?ごめんなさい、このくらいの距離だったら平気?」
眉を下げた笑顔で俺の顔を伺いながら、彼女は俺から一歩下がって距離を取ってくれた。目の前に圧迫感がなくなったことで俺はほっとして、静かに息を深く吐き出す。
「大丈夫です、お気遣いいただいてすみません……」
「いいえ、私の方こそ無礼でごめんなさいね。篠宮さんの大切なご友人に嫌われたら立場がないわ」
「はは……」
この口振りからして、彼女は五紀の取引先の代表か社長か何かなんだろうと思った。おそらく五紀の経営している会社と同じくらい……あるいはもっと栄えた会社の人間だからこそ、こんなに存在感があるのだと自分を納得させている面もあったが、ただのαではないと俺は直感で感じていた。何か、五紀と……俺には感じ取れない関わりがあるような。
だから、柄にもなくつい尋ねてしまったのだ。
「あの、失礼だったらすみません。その……神城さん?は、五紀……篠宮とはどういったご関係なんですか?」
「あら、名乗るのが遅れてしまってごめんなさい。私は神城雪……主にα向けの抑制剤を作っている神城製薬の代表です。篠宮さんの会社と新しい事業ができればと思って今日は打ち合わせに来たところなの」
「それで、今ちょうどその打ち合わせが終わって僕がお見送りをさせていただいているところ」
「なるほど……」
事情を聞いてほっとした心臓は、神城さんの言葉で再びギュッと締め付けられることになる。
「それでね、篠宮さん……彼と私、運命の番みたいで。ちょっと話が盛り上がって打ち合わせの時間が大幅にオーバーしてしまったのよね」
「神城さんのマシンガントークに僕が頷いていただけのような気もします」
「あら?そうだったかしら?」
………………。
頭を鈍器で殴られたような、何も思考できない真っ白な脳内。耳鳴りのように二人の談笑する声は遠くなり、俺は呼吸や瞬きすらも忘れて、ほとんど無意識で呟いた。
「……運命の、番?」
運命の番とは、なんだっただろうか。運命……運命?
俺にはそんなもの関係ないからと頭の隅の方へ追いやったような気もするし、授業でしっかり教えられたような気もする。ぐちゃぐちゃと色々な思考や言葉がぶつかって弾ける、混乱した頭の中ではその言葉の意味を噛み砕くことはできなかった。
「そう!運命の番……まさか生きている間に会えるなんて、本当に奇跡的よね!都市伝説みたいなものかと思っていたけれど、本当に存在していたなんて」
番……そう、αとΩにのみ成り立つ繋がりで、番になると……。番になると、Ωのフェロモンや精神は安定して普通のβと同じように暮らせるようになって……それで……。それで……?
「運命の番って本当に本能の部分でわかるものなのね。体感して初めて気づいたけれど、運命の番のフェロモンの香りは他のΩとは比べ物にならないほど心が満たされるというか……なんか特別だってわかるのよね……不思議だわ」
楽しそうに話している神城さんの言葉は、俺の頭の中を抜けていくようで一つも意味がわからなかった。俺はただ瞬きも忘れて呼吸すらもままならず彼女を見つめている。
運命の番……そうだ、運命の番。運命の番に出会える確率なんて1%もないと授業では教わった。けれどもし運命の番に出会えたのなら、そのαとΩは幸運だとも。……幸運?一体何が幸運なんだっけ。
「今日みたいな幸運な日に宝くじを買ったら、当たったりするのかしら」
「それこそ都市伝説じゃないですか?……それに、運命の番って言っても所詮ただ相性が良いだけですよ」
五紀の綺麗な言葉が俺の鼓膜を震わせる。脳の中にまでしっかりと、一言一句逃さないとでも言っているかのように、俺はいつだって五紀の声だけは聞き逃さなかった。
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