第10話


「美味しい、すっごく美味しいよ!」


 一口食べる度にそう言っているんじゃないかと思うほど、オムライスが美味しいことを五紀は嬉しそうに何度も俺に報告した。


「はいはい、どーも」

「本当に美味しいんだよ?わざわざ僕のために優が作ってくれただけでも嬉しいのに、僕の好物を作ってくれるなんて……」

「わかったって、さっきも聞いたよ。……それを言うなら五紀だって、俺の好きな惣菜を作っていっただろ」


 俺の作ったオムライスと共にテーブルの上へ並べたいくつかの保存容器の中には、五紀が俺のために作っておいてくれた惣菜が1人では食べきれないほどたくさん入っている。切り干し大根を小さめのトングで掴んで取り皿へ入れながら、俺は口を開く。


「五紀に俺の好みとか教えた覚えないのに、本当によくわかってるよな……。この切り干し大根の味付けとか天才的」

「優って結構渋いよね、味覚。っていうか、僕が出張の間ちゃんと食べてた?あんまり減ってないけど……」

「ははっ、それ作りすぎなだけだからな」


 保存容器の中の惣菜をジトっと見ながら呟く五紀に、俺は笑い返した。離れていたのはたった数日だが、こうして顔を合わせると自分の心が満たされていくのが分かる。そこでようやく俺は、五紀と会えない日々が寂しかったんだと自覚した。


「でもさ〜、わざわざ有給まで取ってくれなくても良かったのに。僕の帰りを優が待っててくれたのはすごく嬉しいけど、負担じゃなかった?」

「別に……俺の好きでやってることなんだから、五紀は気にしなくていい」

「え〜?もー、優は可愛いなあ。僕も優のこと大好きだからねっ」


 花が綻ぶように笑う五紀に見惚れてしまいながら、俺もそんな五紀に笑い返した。


 ……好き。俺の中でずっと渦巻いているのに、そのたった一言が相変わらず口にできないまま。



「あ、そうそう。優ってそろそろヒートだよね?」

「え?あ、ああ……そうだけど」

「前回採血した優の血で分析して、優の体に合う抑制剤を調合してもらってみたんだ。今までの抑制剤よりもずっと副作用が少ないと思うから、今回から試してみて?」


 五紀は椅子の横に置いていた鞄の中から白い封筒を取り出し、それを俺に差し出した。俺は素直に差し出された封筒を受け取り、ちらと中を覗いてみる。剥き出しの錠剤が、掌にギリギリ収まるくらいの大きさの四角いアクリルケースにパンパンに入れられているのが確認できた。これだけあれば1年は持つだろう。


「いつも悪いな……その、そういう面倒までかけて」

「え?なーに言ってんの。僕が好きでやってることだよ。普通のΩの抑制剤って体に負担がかかりすぎるから……なるべく多くのΩの負担を軽減できるようなものが開発できれば一番なんだけど、それって難しいからね。だからまずは、僕の一番大事な優の健康から守りたいんだ」


 眉を下げて優しく笑う五紀の顔を眺めながら、俺はこんな時も罪悪感を感じていた。罪悪感というよりは、劣等感にも近いその感情が押し寄せる。自分の体を自分で管理さえできない俺は、果たしてどこまで五紀に迷惑をかけているのだろう。五紀はいつも笑って気にしなくていいと言うが、俺はそういうわけにはいかなかった。


 申し訳ないと思いながら、それでもこうして気遣われていることに喜びを感じることも確かだった。俺は、五紀に大事にされている事をたまらなく嬉しいと思ってしまっている。そして同時に、こんな何気ない五紀の気遣いにさえ、施されるばかりで一つも返せない自分を実感して落ち込んでしまう。


「……出張、どうだった?温泉は堪能できたか?」


 乱れる心を隠すように俺はしれっと話題を変えた。五紀は「あ、そういえばお土産買ったよ」と椅子から立ち上がり、廊下へと早足で立ち去ってゆく。俺はそんなバタバタとした五紀の背中を見送りながら、食べ終わった食器を重ねてキッチンのシンクへと置いた。



「……ヒート、なあ」


 番が成立すればヒートの煩わしい症状に悩まされることがなくなると、授業で教えられたから知っている。そしてヒートの煩わしさはこの身で嫌というほど実感していた。初めてヒートを迎えたのは高校卒業間近のことだが、そのあまりの体の辛さに卒業式に参加できなかったことを覚えている。こんなことがこの先一生続くのかという、確かな絶望感さえ抱いていたと思う。


 五紀が会社の経営に深く関わり出した大学時代に、初めて「これ、吾妻の分ね」と市販には出回っていない抑制剤を手渡された。それを飲んでからというもの、俺のヒートはどうにか日常生活を送れるほどにまで改善した。どうやら五紀はΩがもっと社会に進出できるような製品や薬剤の開発に力を入れているらしく、俺の首につけられたチョーカーや手渡された抑制剤もその一環で開発したものらしい。


「……α、だったら」


 五紀がαだったのなら、俺のことを抱いてくれたのだろうか。

 そんな考えが頭をよぎり、俺は慌てて頭を振ってその思考を追い出した。自分が抱いて欲しいからとそんな想像をしてしまうのは、五紀に対して失礼極まりないと思った。ヒート間近で自律神経が乱れているからといっても許されることじゃない。


 ただ、ふと思う。五紀もΩだからヒートがあるはずなのに、俺は一度も見たことがないと。抑制剤を飲んでいるのだろうが、こうして一緒に住んでいても飲んでいるところさえ見たことがなかった。俺が抑制剤を飲み忘れてしまい酷い姿になったところを五紀に晒したことはある。そんな時、五紀は俺のそばで手を握りながら優しく背中をさすってくれていた。決して性的に触れてくれはしなかったが心が満たされたことを覚えている。だからこそ、俺も五紀がヒートで苦しんでいる時に助けになりたかった。同じように苦しむ背中をさすって安心させたいと思った。熱に任せて身勝手に抱いてくれても良いと思ったし、五紀が抱かれたいのなら応じる覚悟もあった。……いや、五紀のためと言いながらもこれは俺の望みだったのかもしれないが。



「……あれ、優〜?」


 ダイニングに戻ってきたであろう五紀が、席を外している俺を探して呼ぶ声が聞こえる。その声にキッチンから「今いく」と返事をして、五紀の待つダイニングへと早足で戻った。やけに多い紙袋を持った五紀に「買いすぎだろ」と突っ込みを入れて笑い合う。


 心の底から幸せを感じていた。五紀に笑顔を向けられて名前を呼ばれると泣きそうになるほど嬉しい。ただそばにいるだけでこんなに満たされているのに、どうして体は不満げに熱を帯びるのだろう。どうして全て暴いて欲しいと思ってしまうのだろう。種を求めて熱を帯びるこのΩの体に、俺と五紀の関係を否定されているような気がしておかしくなりそうだった。



「この煎餅、めちゃくちゃ薄くてさ。なんか本物のイカをプレスしてうすーくしてるらしいんだけど、すごい技術だよね」

「五紀、そういう変なやつ好きだよな。いや美味しそうだけどさ……」


 大きな煎餅を手に持って俺に見せる五紀に笑い返す。ヒートが終わればこの余計な思考も無くなるだろうと願いながら。

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