第2話
数年ぶりに訪れた篠宮の部屋は、驚くほど変わっていなかった。お洒落な勉強机、難しい本ばかり入れられた本棚、ふかふかそうな布団が敷かれているベッド……必要最小限の物だけが置いてある部屋。そんな部屋に最新のゲームが置いてあるのは、少し不格好に思えた。
「ベッド座って待ってて。ちょっとお茶とってくるから」
「悪いな、ありがとう」
部屋から出ていく時に少し微笑んだ篠宮にそれとなく笑って手を振り、俺は遠慮なくベッドへ腰をかけた。予想通りふかふかと優しく下半身を包み込むような柔らかさの布団に、思わず寝転がりたくなってしまう。……流石に人の家でそんなことはできないが。
「夕飯までご馳走になるなんて……中学以来だな……」
流石に申し訳なくて何度か断ったが、それでも篠宮は「いいから」と一歩も引くことなく、結局俺は流されて篠宮の言う通り夕飯を食べていくことになってしまった。普段の篠宮の穏やかな様子からはあまり想像できないが、篠宮は自分の思い通りに事を運ぶのが本当に上手い。頭の回転も早く、口も上手い篠宮に、俺はとてもじゃないが口論で勝てたことがない。
……もしかしたら俺が流されやすいだけなのかもしれないが。
「お待たせ。緑茶でよかったよね?」
しばらくして、湯呑みをのせたお盆を持って篠宮が部屋に戻ってきた。俺はそんな篠宮に「大丈夫だ、ありがとう」と言いながら勉強机の横の隙間に入れられた折りたたみ机を取り出し、パチンと脚を広げて床へ立てる。篠宮はそんな俺の様子に「おー」と緩い声を出しながら、折りたたみ机の上へお盆を置いた。そして床に腰を下ろす。
「久しぶりに僕の部屋に来たのに、よく分かったね。折りたたみ机の場所」
「昔はよく来てたからな。……それに、俺の友人はお前くらいしかいないし」
部屋へ招かれるほど仲の深い友人は、当たり前だが俺には篠宮しかいない。脳の中に友人フォルダがあるんだとしたら、俺の場合はそこには篠宮のデータしかない。容量的には余裕だろう。篠宮の方は俺の比にならないほど交友関係は広そうだが、それでも俺の好みや過去の発言を事細かに覚えているのだから、本当にすごい男だと思う。αだったら世界のトップに立てるほどの実力者だっただろう。
「……まあ、そうだよね?吾妻の大切な存在は僕だけだもんね?」
にやりと人を小馬鹿にするような笑顔を浮かべる篠宮を軽く小突きながら、俺は篠宮の隣の床に腰を下ろし、机の上に置かれた緑茶を口に含む。少し渋みがあるが喉越しの良い緑茶は、普段は飲めないような高級なものなんだろう。素直に美味しい。暖かくてほっとする。
「もうすぐ卒業、かあ……」
「なんだよ、今更」
「吾妻と離れ離れになるの寂しいなあって……。吾妻も僕と離れるの寂しいよね?ね?」
グッと俺の方に体を寄せた篠宮は、わざとらしく悲しそうな声を出しながら目をキラキラさせて俺を見上げてくる。
卒業すれば、篠宮とこうして過ごすことも少なくなるだろう。俺は文系の私大に進み、篠宮は有名大学へ進学する。距離も離れていれば忙しさも段違いだろう。篠宮は大学の課題と会社の仕事をこなさなくてはいけないのだから。
「……まあ、そりゃ……ちょっとは」
「“ちょっと“!?僕は心が引き裂かれそうなくらい寂しいのに?吾妻はちょっとだけなの?」
「普通に……」
「“普通に”!?」
「……か、かなり……かなり寂しい」
「ふふ、そうだよね?」
半ば尋問のように詰められて言わされたようなものだが、寂しい気持ちは確かだった。篠宮は大学でも交友関係を広げてゆくだろう。……それに比べて俺は、また1人だ。バース性の入り乱れた大学は少しはマシであるようにと、祈ることしかできない。どうか俺をΩだと見つけ出さないでくれと。
「……モニモンでもやるか?」
しんみりした話はごめんだと思った俺は、篠宮とゲームで遊ぼうと部屋の隅に置かれた自分の鞄へ向かおうとした。
「……?おい、どうした?」
篠宮が立ち上がろうとした俺の腰にしがみついてきたため、それは叶わなかったが。腰に回された手にギュッと力が入っていて、立ち上がろうとしても力で負けてしまうため、仕方がなく俺はそのまま再び床へ腰を下ろす。篠宮は腰に回してしていた手をいったん放し、そして今度は正面から俺のことを抱きしめた。華奢なように見えて俺よりも力の強い篠宮に、俺はされるがままにしておくことしかできない。
「……いやだな」
俺の胸に埋まるようにしている篠宮の頭。表情の見えない篠宮の小さな声。
「……何がだよ」
「吾妻が、僕以外と仲良くするの……想像するだけでも辛い」
「なんだよそれ」
妙なことを言う篠宮の頭に、俺は手を置き溜息を吐いた。あるわけもない妄想をする篠宮がなんだか少し面白く感じて、ふっと吐いた息が笑い声へ変わってしまう。
「ないだろ。俺が、誰かと仲良くとか。ふっ、はは……」
「ちょっと!何笑ってんのさ、わかんないじゃん!大学にはαもβもいるんだよ!?吾妻に勝手に番ができたら、僕……僕……」
「番ぃ!?」
篠宮は俺の言葉に顔を上げ、本当に切羽詰まった顔でそう告げるが、番というより一層あり得ない境地まで妄想が進んでいることに俺は驚いて思わず大きな声を出してしまった。驚く俺の表情に何を思ったのか、俺を拘束するように背中に回した腕にギュと力が込められる。篠宮の体により一層密着して、少し息苦しい。
「たとえΩに飢えてる人間でも、さすがに俺には手を出さないだろ……」
「どうしてそう言い切れるの?そもそも吾妻のチョーカー、そんな粗悪な作りじゃ簡単にうなじに噛みつかれちゃうじゃんか」
「粗悪ってお前……これ一応ちゃんとしたメーカーの……」
俺が首につけている黒いチョーカーは、Ωなら誰でもつけているうなじを守るための道具だ。強制的に番にさせられることを防ぐためのこれは、それなりに耐久力もあり鍵がなくては外せないという特徴を持つ。俺の身につけている黒のチョーカーも例に漏れず、高級品とまではいかないがそれなりにちゃんと身を守ってくれるほどにはしっかり作られているはずだ。
それでも何が気に入らないのか、篠宮は俺の首に長い指を這わせてチョーカーを確かめるように撫でる。少し官能が漂うような指の動きに俺は思わず身を竦めてしまうが、篠宮は構わないといった様子で触り続けている。
「……ダメだね、こんなの」
篠宮が低い声でそう呟いた瞬間、ぱちん、と何かが弾けるような音が俺の首元から聞こえた。
「な、に……」
「ほら、ハサミで簡単に切れちゃった。ずっと気になってたんだよね、吾妻のチョーカー……簡単に外せそうだなって」
篠宮の手には鍵のついたまま裂けるように1本になった黒いチョーカーが揺れていた。俺はとっさにうなじを確認するように首に手を当てる。
……ない、革のベルトの感覚がない。
篠宮が握っているのは、紛れもなく俺が先ほどまで身につけていたチョーカーだった。
「吾妻、大丈夫だよ。僕もΩなんだから、吾妻のうなじを無理矢理噛んでも番にならない。だから隠さなくっても大丈夫」
篠宮は俺の背中に手を回しポンポンと規則正しく背中を撫でながら、まるで幼い子供をあやすように優しい声を出す。かえって、俺にはそれが不気味に思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます