第3話

「な、に……なんで。どうしてこんなこと……?俺、篠宮に嫌われるようなこと、したのか……?」


 唖然と呟く俺に、篠宮はキョトンと不思議そうな表情を浮かべる。俺が何を言っているのかわからないとでも言うように。


「吾妻、なーに言ってんのさ。嫌いだったら部屋に上げたりしないよ。むしろ逆だってば」

「ぎゃ、く……?」


「僕はずっと、吾妻のことだけが好きなのに」


 篠宮は真っ直ぐな瞳で俺のことを見つめてくる。昔から、この瞳に見つめられると俺は動けなかった。

 俺の瞳孔を通り越して、もっとずっと奥の方まで覗かれているような気がして。


「好きだからこうして、触れていたいと思うんじゃない。好きだから、吾妻のこと独り占めしたいって……僕は、」


 篠宮は俺にくっついていた上体を戻し、俺の手を両手で包み込むようにして持ち上げた。俺に触れている篠宮の手は、汗ばんでいるのか少ししっとりとしていてあたたかい。なぜか泣きそうな顔をした篠宮は、ゆっくりと瞬きをして俺を見上げた。


「吾妻、好きだよ。ずっと君のそばにいたい」


 “それって、友達としてだよな?”なんて、そんな風に茶化して誤魔化せるような声色じゃなかった。いつも凛々しい篠宮にしては珍しく声が震えていて、篠宮の泣いたところなんて見たことがないのに泣きそうな顔で、いつも篠宮は堂々としているのに手が震えていて……。


 篠宮の言葉が単なる友情の類ではないのだと、篠宮に必死に伝えられている。……けれど、それでも俺は……。


「……篠宮、でも……俺たちΩじゃないか」


 Ωという性は、この世界にとって重要らしい。だからこそ、αはαと結婚できてもΩはΩと結婚することが許されていなかった。より優秀な遺伝子を世界に残すために、Ωはαと子を作らなくてはいけない。そう決まっていた。


「それに、お前大企業の一人息子だろ?跡継ぎはどうするんだよ。ヒートだってαの番を見つけないと大変だろ?それに、こんな……俺なんかに……」

「吾妻がいい。僕は、吾妻だけがいいのに」


 ふと気づけば、篠宮は俺の手にすがるように頬を寄せて泣いていた。俺は初めて見た篠宮の弱々しい姿に言葉を失ってしまう。言葉に静かな嗚咽が混じるが、それでも篠宮は懸命に言葉を紡ぐ。


「吾妻、僕らの存在意義ってなんだろうね。どうして好きなものを好きなままでいちゃいけないの?誰のために生きてるのかな……」


 俺の手に篠宮の綺麗な涙が落ちていくところを、ただ思考を放棄するように眺めていた。

 この完璧な男が、誰からも好かれるΩの篠宮が、俺のことを好き?どうして?どこがいい?こんなに何も持っていない俺の、どこがいい?


「僕ね、Ωなんていう自分の性、大嫌い。吾妻のこと見るたび、どうして自分はαじゃなかったんだろうって思うから」

「篠宮……どうしてそんなに俺のことを……」


 困惑して震える俺の声に、篠宮は俺の手に頬を寄せたままの姿勢でふふっと可憐に笑いをこぼした。一瞬一秒、どの瞬間を切り取っても美しい人間はそうそういないだろうなと、どこか飛んでしまっている頭の中でポツリと思った。


「吾妻にとってはね、きっと……きっとなんて事のないこと。転んだら手を貸してくれたり、寄りかかったら支えてくれたり、勝手に手を引っ張っていっても仕方ないなって付いてきてくれたり……そんな、そんなことだよ」


 「そんなことだけど」と篠宮は嗚咽を飲み込みながら言葉を続けた。


「僕にとっては、吾妻の全部が救いなんだ。この世界で吾妻だけが、僕の虚しい心を満たしてくれた。特別なんだ」

「……篠宮……。でも、俺は……」

「……うん。無理強いはしない。今は僕の想いだけ知っていてくれたら、それでいい。……けど、約束して。“誰とも番にならない”って」


 そもそも俺に番なんてできるわけがない。拒否する理由もない俺は、雰囲気に流されるように篠宮の言葉を頷きで了承した。篠宮はそんな俺を見ると、今までの弱々しさはどこへやら、ぱあっと顔を輝かせて「ちょっと待ってて!」と明るい声を出して立ち上がる。そのまま勉強机へ向かった篠宮は、何やら引き出しの中を探っているようだ。


 篠宮の弱った姿を見たときはどうしようかと思ったが、すっかりいつもの様子に戻ってほっとした。

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