第24話 救済

 ぴちょんという、鮮やかな水音がして、顔を斜め上に上げたヒトハの目に映ったのは、長い前髪をそのままにした、目が隠れている、臆病そうな青年だった。


 青年は、比較的近くにおり、ヒトハと目が合うと身震いをした。そして、数歩後退る。


 この新鮮な反応に、ヒトハは毒気を抜かれた。自分から近付いてきたくせに、ヒトハに怯えている。それが、可笑しかった。


 なんだか、この青年を殺すのは可哀想な気もする。しかし、最後の一人にならないと願いを叶えてもらえないので、ヒトハは彼を殺す決意をした。


 ヒトハは、隠していた拳銃をひっそりと取り出し、銃口を青年に向けた。それに気付いた青年は、物凄い勢いで後退る。そのスピードに、ヒトハは驚愕した。


 今、物語は終盤へと向かっている。


 そう分かったのは、死体に出会うようになり、生きている人間と出会うことが極端に減り、落ちている武器は使用済みの使えないものがほとんどになっているからだろうか。


 推測でしかないが、多分、もうすぐこの殺試合デスゲームは終わる。そう、ヒトハの予感が言っている。


 強敵が集まる終盤まで生き残っているのは、その素早さ故か。


 ヒトハは、空を仰いだ。ヒトハは、素早さに自信はない。お手上げだ。


 素早い人間相手に、拳銃は相性が悪い。腕があるなら話は別だが、ヒトハは生前、本物の拳銃を扱ったことがない。


 ゲームセンターのホラーゲームや、本格的な格闘ゲームでやり込んだことがあるくらいだ。


 ゲームと実物は違う。しかし、手に馴染む上に、剣とは違い隠して持ち運びやすい。それに、多少下手でも至近距離で撃てばどうにかなるだろう。


 だから、懐に潜めていたのだが。


 すばしっこい上に距離をとられる。


 剣は、汚れていたので捨ててきた。だから、現在ヒトハが所持しているものはこの拳銃とその弾丸だけである。


 どうしたもんか。ヒトハの圧倒的不利である。運の良いことに、相手は戦意がない。逃げることはできる。


 けれど、それはヒトハの気に食わなかった。だって、それは負けたみたいじゃないか。


 決めたんだ。全員殺すって。


 ヒトハは、目を瞑った。しかし、それはほんの一緒で、ヒトハはすぐに目を見開く。


 懐柔すれば、いくらでも隙はできる。だから、そうしたいのだが、生憎ヒトハは人に好かれる方法を知らない。


 けれど人を、恐怖で支配する方法は知っている。


 人間が、何を恐れるのかを知っている。


 ヒトハは走り出した。腕を振り、できるだけスピードを出す。できるだけ、青年に近づいた。


 それは、決して速いと言えるものではない。しかし、確実に青年の心に恐怖を与えていた。


 そして、拳銃を持つ。無駄撃ちはしたくないけれど、しょうがない。


 ヒトハは、背を向けて走り出す青年に向けてまずは一発、弾を打ち出した。


 足を止めて、トリガーは、ゆっくり確実に引く。この時、急いで引いてはいけない。姿勢も大事だ。顎を引き、どっしりと構え、撃った時の反動に備える。


 パンッと、不快な音がして打ち出されたそれは、青年から大きく逸れて、どこかに飛んでいった。


 しかし、青年はこけた。恐らく、銃声に驚き、逃げようとして姿勢を崩したのだろう。ヒトハの狙いはそれだった。


 もし、銃弾が当たったのなら棚ぼた。しかし、そんなラッキーはなかなか起こらない。


 だから、飛んでくる銃弾に怖がり、動けなくなれば良いと思った。


 想像とは少し違ったが、まぁ、どちらでも隙ができることは同じ。


 青年は振り返り、そしてヒトハが近付いてくるのを見つめると、焦って逃げようとする。


 しかし、急げば急ぐほど足は縺れ、藻掻けば藻掻くほど蟻地獄のように地べたに這い蹲った。


 そこにはなにもないというのに。


 自分の上に差し込んだ人影に、青年は絶望の表情を浮かべたのが、前髪越しでも分かった。


 それは、自分の死を悟っているようだった。


 諦めたのか、そうでないのか。


「死にたくない、殺さないで、殺さないから、怖い、怖い、こわいよ、痛い、痛い、痛い、やだやだ、殺さないで、やめて、まだ誰も殺してないから、何も悪いことしてないの。殺さないで。」


 青年は、子供のようにただひたすらに同じ言葉を並べた。


 けれど、それは言葉だけで、体はだらんと脱力していた。それは、まるで死神の断罪を待っているように、ヒトハは感じた。


『死とは救済でもある』


 そう聞いたのは、一体どこだっただろうか。ただ、なかなかに衝撃的で、忘れられなかった。


 死ぬことで、赦される罪がある。


 いや、自分を赦すことができる。


 自分がした行為は、あれは、救済だったのだろうか。赦せないことをした自分を、赦す為のものだったのだろうか。


 この青年も、なにかをしてしまったのかもしれない。


 それは、大犯罪で、誰もが憎むようなことかもしれない。または逆に、誰も気にしないような、でも自分が自分を赦せないような、そんな罪とも呼べないものかもしれない。


 そう思うと、青年の見え方が少し前とは随分違った。


 親近感みたいなものだろうか。


 勝手な解釈だけど。


 長い前髪の中から、黒い目が覗いた。目は口ほどに物を言うというけれど、そこからは、なにを考えているのかは分からなかった。


 それは、所詮ただの目で、見方によれば、恐怖とも希望ともとれた。いや、いま青年の中にある感情は、どちらでもあるのだろう。


 本人でもないのだから、わかりやしないけど。


 ヒトハは、真っ直ぐ青年を見据える。


 今更、同情とかそんなしょうもないもので、夢を諦める訳にはいかなかった。もう、引き返せないところまで、きてしまったのだから。


 銃口を突きつける。この至近距離なら、外すことの方が難しい。


 青年は、抵抗しなかった。


 それは、それが無駄だと知っているからなのか、それとも、死にたいと思っているからか。


 わかりはしないけれど、別にわかる必要もないかと思い直した。


 バン。


 その音をもって、青年は死んだ。


 人が、こんな拳銃一つで死ぬことに、よく武器が蔓延る世界は滅ばなかったなと感心した。


 死体が綺麗だと思えないくらいには、ヒトハの人間性は腐っていないので、あまりまじまじとは見ずに退散した。


 二発で殺せたのはラッキーだな、なんて思いながら、ある程度その場から離れた時に、ふと、何を思ったのかヒトハは歩いてきた道を引き返した。


「あぁ、やっぱり。」


 そして、残した青年の死体を見て納得した。


 最低でも二十分はかかっているはずなのに、何も変わっていなかった。


 キノネの死体のように溶けてはいなかった。腐敗はしていなかったし、虫が、集ってもいなかった。


 そこで、今までの疑問が解決したようだった。


 思えば、動物の鳴き声が聞こえなかったこと、川の水があまりにも綺麗だったこと、虫一匹飛んでいないこと。


「ここには、人間しかいませんよってことだ。」


 さらりと風に揺れた草も、偽物かもしれなかった。

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