第19話 心残り
何度も何度も、鎌を振り回し続けたキノネの手はボロボロになっていた。
赤く切れそうになっている痛々しい皮膚からは、キノネの努力が見受けられる。
ずっと、夢中でそれを振り回し続けたキノネだった。しかし、彼女は夢から覚めてしまった。今までハイになっていたお
いくら疲労が回復しても、興奮から冷めてしまえば努力するとこが精神的に嫌になる。彼女は根性はあるものの、同時に飽き性で面倒くさがりだ。
今は惰性でなんとか続けているようなもの。しかし、夢から醒めたキノネにとってそれは、苦痛でしかない。
足がいたい。手がいたい。腰がいたい。
文化系中学生女子のキノネの体には、負担が大きすぎた。今すぐにでも辞めたい。でも、ある程度の相手なら難なく殺せるようになったのに、ここで鎌を手放すのは勿体ない。
しかし、この大鎌は持ち運びに不便だ。果物ナイフや拳銃のように、バックに入れて持ち運ぶことができない。そうなれば、選択肢は二つ。
鎌を捨て、身軽になってここから離れるか、鎌を持って、ここにやってきたものを殺していくのか。
ここまで練習してきた、最早相棒にもなっている大鎌を手放したくはない。
その思いが強く、キノネは後者を選択した。ここから離れることは、いつでもできる。だが、一度捨ててしまえば、きっと二度とこの鎌には巡り会えないだろう。それは、淋しい。
キノネは、そこに鎌を置いた。そして、伸びをする。休憩は大事だ。
「なんで、私はさっきまで特訓を辞めてはいけないと思ってたんだろ。」
ポツリとこぼす。まだ、正気ではなかったのか。
空を見た。青い、突き抜けるような空だったが、やはり太陽はなかった。けれど、ある時と同じように眩しくて、目を刺すような明るさがキノネを襲った。
慌てて目を閉じて、下を向く。そして、ここの原理はどうなってんだと半ば怒り気味に眉を寄せた。意味分かんない。太陽がないのに明るいなんて。
しかし、今更かと思い直した。親子丼の件だってそうだし。ここは天界だから、何があってもおかしくはない。
そっと目を開き、空を見ていれば、なんとなくソウキの顔が思い浮かぶ。嫌い、なんて言ったけど、あれは。
嘘ではない。けれど、本心ではなかった。嫌いって言ったまま、彼と会えなくなってしまったことは、少し、ほんの少し後悔している。
ソウキの嫌いな所は多かった。ナルシストなところや、役立たずなところ、馬鹿なところ。けれど、ソウキという存在が嫌いかと問われればそうではなかった。
憎めない奴だ。なんとなく、そう思う。彼に、悪意がなかった。キノネに対して、殺意を抱いていなかった。むしろ、ソウキは自分のことを友好的に考えていたのではないかとキノネは思った。
これは、半分正解で半分不正解である。
ソウキが死んだことに対して、キノネは大した感情を抱かなかった。抱けなかった。そんな自分に嫌気が差す。少しの時間だったが、仲間だった。同じ時を過ごした。なのに、
なんとも思えなかった。
感情は揺らがなった。ただ、悲しいとも、嬉しいとも思わなかった。怒りも感じなかった。
人の死に、何も思えない人ほど最低な人間などいるのだろうか。キノネは自嘲気味に笑った。
「いつから、こうなっちゃったんだろうな。」
少なくとも、母親が死んだ時はそうではなかった。
あれは、あの時の自分にとって、絶望だったのか、希望であったのか。
どちらでもあるように思えた。
目を細める。母親が死んだ日のことは、よく覚えていない。ショックからだろうか、記憶は朧気だ。あの後、私は遺書を書いて、自殺した。飛び降りた。
だから、覚えていない。母親の死因も、覚えていない。知らないかもしれない。
どちらにせよ、母親がいない世界に私の生きる理由がなかった。
それは、お母さんが生きる意味だったから、なんて母親想いな理由ではない。
死ねなかった。
ずっと、何かある度に「死なないでね」なんていう母親を、一人にできなかった。なんていうことはあったが、それは三割で、母親に軽蔑されたくなかった。それが、大部分を占めていた。
ことあるごとに、死にたいと思った。窓から飛び降りて、包丁で心臓を潰して、冷たい海に身を投げたいと思った。
それをせずに生きたのは、お母さんが死ぬなというからだった。そうでなければ、私はきっと、すぐに自殺している。あんな世界に、さよならをしていた。
まぁ、最終的には自殺をしたけれど。
キノネは目を閉じる。母親が死んだと知って、何を思ったのだったか。
確か、悲しさと喪失感と、解放感だった。
縛られなくていい。お母さんの目を気にして生きる必要もない。その喜びも、苦しみに紛れて確かに存在した。
だから、自殺した。ずっと、死にたかった。
ただ、少し、心残りがある。何も言わずに、置いてきてしまったことを、少しだけ、後悔している。
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