義兄への処罰

「申し訳ない!」


 しばらく後、事情を知ったトリバネが恐縮しきって、エリサンの前で頭を下げていた。事情を知って、真っ青になっている。

 だがエリサンは困るばかりだった。トリバネはおそらくエリサンよりも身分の高い人間であり、彼が頭を下げているということも本来ありえないことだ。


「頭を上げてください。もうすんだことです」

「しかし」

「トリバネ氏に責任はありません。それに彼は私の義兄です。私もどうしていいか、困っているところです」


 トリバネはそれをきいて、ようやく頭を上げてくれた。

 彼としても、おそらく何をしていいのかわからない状況だろう。


「どうすればいいもない、やつは異端審問を騙った。じきに教会から呼び出されて連れていかれる。それで終わりだ」


 後ろで立っているオムは容赦ない予想を立てる。これにイラガも続いた。


「そうですね。教会は自分たちのことを騙られて、怒っているでしょう。まともな判断であれば殺されるか、僻地へ追放されるのでは?」

「まあそうだろう。見せしめのために公開処刑という可能性もある」


 まさにそのとおりで、ギンのやったことはありえない大罪なのであった。

 それがエリサンとしては困るのだ。自分を殺そうとしたことは確かだが、ギンはエリサンの義兄である。このような過ちを犯したとしても姉を愛し、姉に愛された男であれば、割り切れない。

 それに加え、エリサンは司祭である。罪を犯した人間は償いをするべきではあるが、死んでしまえと教えているわけではない。

 しかし教会は勝手に異端審問を騙ったギンを許さないであろう。


「困りました」


 イラガに危害を加えたことは許せないが、死まで望むほどではない。エリサンは彼には生きて、本当にあれが正しい行いだったか考えてほしかった。

 とはいえ、エリサンはそのようなことを思う資格が自分に果たしてあるのかとも思う。死を望みながら自ら死ぬ勇気もなく、誰かに殺されたいと望んだような男が一体誰に何を教え諭せるというのか。上から目線で物を言うことなど許されるのか。


「それで、こいつはだんまりか。殺そうとした相手に傷を治療してもらって、拗ねくさって不貞寝とはいいご身分だ。

 それとも絞首台のことを考えて震えているのか」


 オムは容赦なくそんなことを言っている。彼からしてみれば被害者であるエリサンはすでに名声を勝ち得ていて、それを快く思えなかった小人が身の程知らずなことをした挙句、反省する事さえもできずにふてくされているようにしか見えていない。

 ギンはこうなってさえも、エリサンに謝ることさえできていないのだ。それはつまり、自分の罪を認めていないということになってしまう。彼自身の思惑はどうであれ、他人から見ればそのようになるだろう。エリサンは首を振って、あらためてギンの前に進み、そこで腰をかがめた。


「私は、ギンさんのしたことは間違っていると思っています。しかし、聞いた話ではあなたにもまた新しいご家族があられる。

 あなたはご家族を残して、このような行動に走る方ではなかったはずです。何かあったのではありませんか。だんまりでは、それもわかりません」

「ありましたとも」


 ギンは口を開かなかったが、トリバネが答えた。彼は事情を知っているらしい。


「セセリが体調を崩しましてね」

「セセリさんというと、先ほど話されていた新しい奥さんでしょうか」


 エリサンの問いに頷き、トリバネは話をつづけた。


「もともと体の丈夫なほうではなかったのですが、このところ伏せっていると。つまり、彼はそれを治療できる医者を探していたのです」

「それで」

「私が教えたのです。エリサンという名医がいて、娘の腫物もこの通り治ったのだといって」


 なるほど、とイラガが顎の先に手を当てた。


「それで知ったんですね、先生がご活躍なさってるってこと。でも先生のことをヤブだと今まで思い込んでいたから、受け入れられなかったんですね」

「たぶんそうでしょう。私が軽率に先生のことを伝えてしまったばかりに、このようなことになったのです」


 そう頭を下げるトリバネをオムがおさえた。


「なに、どちらにせよこの私が同じことをそこらで言いふらしていたのだ。トリバネ氏が何もせずとも近いうちにこうなっていただろう。

 そもそも、本当にヤブ医者だと思っているのなら官憲にそう言えばいいだけの話。それをせずに自分で殺しに行こう、名誉も奪おうなどと考えた時点で完全にこいつが悪い」

「しかしいくらなんでも」


 エリサンは自らの罪悪感がいかに重いものであったかを思い出す。誰に何を言われても、酒に逃げても神にすがっても心の奥に重く残り続けた鉛のようなものを。

 それだけ身近な者の死は簡単に切り捨てられるものではない。ましてや若い時期の、これからまさに幸せになるはずだった自分の妻ともなればなおさらだ。おそらくギンはエリサンが罪悪感として残し続けてきた感情を、そのまま怒りに変えたような気持ちで今までやってきていたのかもしれない。そう思えたのである。

 自分とて彼と同じ立場であれば、冷静に行動できたかどうか。

 治癒術師のエリサンは、そこまで考えてから両目を閉じて右手の指でおさえた。しばらくしてから、彼は目の前にいるギンにゆっくりと話しかけた。


「私とて、あの日から何も感じずに今日まで生きてきたわけではありません。あなたが怒りを抱えて生きてきたように、私もまた重苦しさを抱えてきたのです。あなたにとっては、それではきっと足りないでしょうが。

 しかしあなたに私の重苦しさがわからないように、私にはわからない、あなたにしかわからない感情もきっとあるのでしょう。もしも可能なら、私はそれをあなたの口からききたかった。あの日私を殴るのではなく、口でそうしてくれていれば、今このようにはなっていなかったと思います。

 今からでも、私はそうしてほしいと思っています。無理なら後からでも手紙ででも、きっとお話しいただければと思います」


 ギンは何も答えずに下を向いたままだった。だがエリサンはギンが何か言いたげに口をふるわせ、そしてやはり何も言わずに唇をかんだことを確認した。

 それから彼は立ち上がって、トリバネへ軽く頭を下げた。


「すみません。そのセセリさんの体調は、今もまだ回復されていないのですか?」

「伏せってはいますが、悪化しているということはありません。今は少しずつですが回復していると聞いています」


 それならよかった。エリサンは安心して、現実的なところに話を戻す。


「オムさん。今こうして彼は捕まっていますが、教会からどなたかやってくるのでしょうか?」

「そうだな、そのはずだ」


 オムたちはここへ来る前に、すでに教会にも知らせを送っている。

 重大な事件なので教会もすぐに動くだろう。おそらく遅くとも明日には使者がやってきて、ギンを連行する。あるいは、オムやトリバネの馬車で町へ連行して、そのまま引き取ってもらうという手もある。

 もちろん教会の判断には、情状酌量などといったものはない。自分たちの権力を騙って人を害しようとした事実のみで罪を判断されるだろう。そこから司法の手にゆだねられるとしても、まず死罪以上のものが適用されるのは間違いない。

 直接的な被害をうけたのはエリサンだが、彼がどのように言っても、教会の判断には影響しないだろう。

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