全ての暴露
「いえ、お騒がせして申し訳ありません。どうやら異端の疑いというのは最初からなかったようです。お恥ずかしながら、教会を騙った企みだったようです」
エリサンはわかっていることをそのまま答えた。大勢の人間がどうやら今まで自分たちを探してくれていたことに対し、頭を下げる。
うむ、とオムが頷いて応じた。彼はどうやら事情をおおよそ把握しているらしい。
「お前につけていた助手たちから、夜のうちに連絡をもらってな。いくらなんでも教会がそのようなことをするとは思えなかったから、探し回った。
おかげでずいぶん骨を折ったぞ。まったくの無駄ではなかったがな」
「ありがとうございました。そして、申し訳ありません。私のためにこのようにたくさんの方を出してくださったのでしょうか」
「そうだ。だがこいつらのことはいい。私のこともな」
オムは軽く息を吐いただけで、それ以上自分たちの苦労については語らなかった。
おそらく、彼らは一晩中エリサンを探して森の中を歩いていたに違いないのだ。もちろん彼らは山や森に慣れた者を連れていただろうが、夜間の森林を歩く危険はその程度ではどうにもならない。
エリサンは恐縮して、とにかく礼を述べたがやはりオムはそれを受け取らなかった。
「それより、本題だ。実は面白いものを見つけてな。ここに持ってきた」
「面白いもの、ですか?」
この季節、山の中にオムが面白がるようなものなどあっただろうかと思いながらエリサンは訊ねた。オムはニコリともしないで顎をしゃくる。
後ろにいた男たちが進み出て、エリサンの前に抱えていたものを見せた。
人だった。怪我人である。
「ギンさん」
おもわずその名を呼んでしまった。
オムたちが連れてきたのは、ギンだったのである。どうやら怪我をしているようだった。
「沢の下で倒れていたところを見つけた。こいつが面白い書類を持っていたものだから、ここに連れてきたというわけだ」
そう言いながらオムは一枚の紙をエリサンに見せる。
ギンが署名するようにエリサンに迫った、自白調書であった。エリサンが自分の地位を利用して肉欲や支配欲を満たし、名誉のために人々をだまし続けていたという内容だ。
全てが悪意で固められたその書類は、地位と名誉が全て剥奪されるに十分な内容だった。その内容が事実で、署名があれば。
「こんなものが事実であるわけもない。おおかた、こいつが教会の名を騙ってお前を連れ出したのだろう。
そして残念ながら、私はこいつの素性を知っている」
「ご存知だったのですね」
「知りたくもなかったが」
ギンに対し、軽蔑するような目をオムは向けた。
「とんだ悪党だったな。お前のような大人しい医師に暴力をぶつけて何がしたかったのやら。
見つけてしまった以上持ち帰ったが、誰の目も届かぬ山の中で野犬にでも食われてたほうがよかったな」
「いえ、さすがにそれは」
エリサンは首を振った。
ギンは確かに自分を殺そうとしたし、イラガも巻き添えにしようとしていた。そのあたりは許していいものではない。だが、今の彼は負傷している。それに自分が殴ったことも一因であるかもしれないのだ。
「それよりも、怪我をしているようですね。診察いたしましょう」
訪ねてきた患者たちにするように、エリサンはギンに近づいた。
「よせ、さわるな」
といったのはオムではなくギンだった。だが聞き入れられない。
手慣れた様子で、エリサンはギンの右足が折れていることを確認し、その治療法を考え始めている。できればどこでどのように折れているのかしっかり確かめたいが、この様子ではどうやら深刻な骨折ではなさそうだ。
添え木をして動かさないようにするのは当然だ。なるべく早く治すためには骨がくっつくように力をかけなければならない。
「右足の、脛の骨が折れています。しかし骨折の中ではさほど重篤なものではありません。ここで処置されますか。
少し、というかかなり痛みが伴いますが」
そう聞いてみると、すぐさまオムが返事をした。
「痛いのか。ならすぐにやってくれ。こういう奴は痛い目を見なければ何も学ばんだろう」
学ぶも何もない、ただの治療である。エリサンとしても殊更痛いやり方でしてやろう、などとは全く考えていない。単純に、目の前に患者がいるので治療しなくてはという、医者としての行動だった。
ギンはもはや諦めたようで、横を向いている。
「先生」
そのとき、開きっぱなしになっていた扉からイラガが出てきた。彼女は倒れているギンを見て嫌そうにこれを睨み、それから遠慮もなく言い放つ。
「先生、この人は先生を殺そうとしたんですよ。
怪我をしているみたいですが、いま治療しなければ死ぬというような怪我でもなさそうです。
言っていたじゃないですか、先生のことをヤブ医者だって。この人はきっと、先生の手で治療されるより放っておかれた方がいいと思っているでしょう。治療しても感謝なんてされませんし、悪口を言われるだけですよ。やめておきましょう」
ほんとうに遠慮もなく、イラガはズバズバと言ってのけた。
おそらく彼女は本音をぶちまけている。恩人であるエリサンを殺されそうになったのだから、当然である。
「ほう、殺そうとしたと。異端審問を騙ったうえに殺人未遂まで加わったわけか。そうも罪が重なると縛り首でも罰が足らん、判事も困るだろうな。
イラガ、何があったのか知っていれば、聞かせてもらって構わないか」
オムは興味深そうにイラガを見た。彼女は深く頷いて語り始めようとしたが、思い直してエリサンの確認をとった。
「先生、全部言っちゃってもいいですか。お姉さんのことも」
「かまいません」
エリサンはそう言ったが、手は休めていない。痛いだろうなとは思いながらも、骨折の様子をみていた。どこからどう力を入れて矯正すべきか、添え木はどのような形のものを使うか、そんなことを考えている。
彼は二人の助手を呼んで意見を交換するなどしながら、処置を始めた。普段ならば診察室に運び込むところだったが、このときは外でそのまま始めた。
予告通り、痛みを伴う処置であった。これはどちらかといえば治癒術というよりも骨接ぎとして知られる技術だった。
「ぐぅ……」
ギンはその痛みに歯を食いしばって耐えた。悲鳴を上げるようなことはない。
しかし処置さえ終わってしまえば、この痛みは次第に引いていくはずである。ゼロにはならないが、何もしないよりは楽になるだろう。
そうしている間に、イラガの話はすっかり終わっている。
事情を知ったオムは何かを言おうとして、やめた。馬車がやってきたからだ。それも、急いだ様子だった。
「患者さんでしょうか?」
イラガの声に、助手たちが少し慌てた様子を見せる。急患の可能性があったからだ。
二頭立ての立派な馬車から、大慌ての紳士が下りてくる。彼はすぐさま、エリサンのところへ駆け寄ってきた。
「先生! ご無事でおられましたか」
上質な余所行きの服を着た、裕福そうな男だった。整えられた口ひげに、エリサンは見覚えがある。
彼は心底安心した、という声で言った。
「異端審問にかけられるときいて、いてもたってもいられずに参りました」
「お久しぶりです、ご心配をおかけしました。その件は問題ありません。それよりも、お嬢様の具合はその後いかがでしょう」
エリサンも頭を下げる。彼は以前、「娘の腫物をなんとかしてほしい」といってやってきた男だ。
名はトリバネといっていたはずだった。
「お礼はきっとする、と言っておきながらまだ何もできておりませんからな。先生が危ないと聞いて慌ててきました。
おお、オム氏。あなたも来られていたのか。すっかり出遅れてしまったようですな」
彼はどうやらオムとも知り合いであるようだった。さらに彼は倒れているギンに気づいて、驚きの声を上げた。
「なんと、そこにいるのはギンじゃないか。一体どうしたんだ、ケガをしているのかね。
もしや先生を守って、名誉の負傷をしたとか」
「もしそうならどれだけよかったか」
オムはやってきた紳士に皮肉気な声をかけた。
「まさかとは思うが、トリバネ氏。あなたの姪は少し前に再婚したときいていたがその相手というのは」
「え? ええ、そのとき彼は妻を亡くして荒れておりましたから、引きこもりがちだった姪と引き合わせまして」
「ほう、彼が」
「まさか彼も先生のところへ来ていたとは思いませんでした」
トリバネと呼ばれた男は、オムとの会話をそこで終わらせ、ギンに向き直った。
「ギン、大丈夫か。足を折ったのか? 何があったか知らないが、先生は名医だ。任せておけばきっと大丈夫だぞ」
「トリバネ氏」
オムが真実を教えようと口を開いたが、エリサンが首を振っているのを見て、口をつぐむ。
それから彼は深く息を吐き出し、エリサンにだけ聞こえるように小さく言った。
「どうせ後でばれることだ。今かばったところで無駄だぞ」
「それでも、心の準備をする時間があるのとないのでは違うでしょう」
エリサンはそう答えたがオムは納得しない。
「どのみち、異端審問を勝手に行ったのだ。官憲からは逃れられん。トリバネ氏にも責が及ぶかもしれん。むしろこの場に本物の異端審問官を連れてきて、真実を伝えたほうがマシだ」
「なかったことにはできませんか」
「無理だ」
そうか、無理か。
エリサンは義兄であった男を見下ろし、考えた。確かに目の前の男は自分から名誉と命を奪おうとしたが、姉を愛した男でもある。
「お前だけの問題ではすまない」
「どうやらそのようですね」
どうやら、どうにもできないようだった。
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