呪いの治療
「帰りました」
「あっ、先生!」
ドタバタと大慌てに戻った二人に、助手は少し慌てた。
エリサンは彼を押しとどめ、真っ先にモパネのところに向かう。衰弱が激しいようで寝椅子で仰向けになっていたが、その息は弱弱しい。ここに来るまでの間に、イラガに聞いた通りの症状だ。
「モパネさんですね、私はエリサンと申します」
問いかけてみるが、反応はほとんどなかった。しかし、それでもエリサンはいくらか言葉をかけた。静かな声だ。
「治るのですか、先生」
「できるだけのことはします。このぶんでは、おそらく大きな音は避けたほうがよいかと。できるだけ静かにしましょう」
これまで診察をしていたのであろう助手がエリサンに自分の見立てを話す。
「息が弱く、手足に震えがきています。脈も弱いですね。衰弱が進んでいるのでしょうか」
「下痢や嘔吐はありませんか」
「ここに運ばれてきてからはありません」
エリサンはモパネの体を熱心に調べ、それから助手へ指示を出しながら、自らも器具や薬を用意する。
「先に呼吸を助けましょう。補助具をお願いします」
そうして二人でモパネの命を救うため、処置を始めたのだった。まだ、根本的な病巣がわかったわけではない。ひとまずいつ呼吸や脈が止まるかわからないような状況をどうにかしているだけだ。
しかしその様子を見たイラガは、もうすっかり安心していた。
先生に任せておけば、大丈夫。たとえ手遅れであるにしたって、集落から追い出されて死ぬよりはずっといいはずだ。
そんな風に思っているのだ。
それにここから先、おそらくイラガは大して役に立てないだろう。邪魔にならないように、彼女は部屋を出た。
突然、強烈な眠気が彼女を襲う。ぼんやりとして、考えがまわらない。
集落に戻ってからずっと気を張っていたのだ。そしてモパネを抱いて走って、エリサンの元へ走って、今やもう大丈夫だと安心しきってしまった。そのために疲労が押し寄せてきたのだ。
まずいな、さっきの男たちだって完全に立ち去ったとは言えないのに。
気を引き締めないと、とイラガは思ったがうまくいかない。両眼をこすりながら外に出て夜風に当たっても、全くダメだった。
このままだと倒れてしまうだろう。せめて椅子に座るか、何か。
そう思ってどうにか部屋に戻って、自分用の寝台にたどり着いたところで彼女の意識はぷっつりと途絶えてしまった。
気が付くとすでに朝日が差し、部屋の中まで明るくなっている。すっかり眠ってしまったのだ!
イラガは焦って身を起こし、大慌てで診察室に引き返した。
「先生、モパネはどうなりました」
「イラガさん」
診察室にはエリサンが立っていた。寝椅子には昨晩見たままのモパネが寝ていて、毛布がかけられている。
「できるだけはやってみました。今は眠られています」
「あっ、じゃあ助かるんですか!」
「まだハッキリそうとは言えませんが」
エリサンはかなり難しい顔をしてモパネを見下ろしている。だがイラガは安心しきったままだった。
ハッキリ言えないとはいうが、エリサン以上の名医はイラガの中に存在しないのである。彼に任せていれば何も問題はない、と本気で思っているのだ。
モパネの寝顔は昨夜よりもずっとやわらかくなっている。それでイラガはエリサンを頼ったことが間違いでなかったことを確信した。
しかし、エリサンはモパネから離れるようにイラガを誘導する。今はあまり刺激せずにゆっくり眠らせておきたいのだろう。
「擦り傷か、切り傷から悪い菌が入ったようですね。オムさんからお預かりしている薬を使っていますが、うまくいくかどうか」
「時間がかかるのでしょうか」
「おそらくは。じっくり治療する必要があるでしょう。うまくいっても二か月くらいは見たほうがいいかもしれません。そこで、ひとつ聞いておきたいことがあるのですが」
「なんです?」
安心しきったイラガに、エリサンは一言告げる。
「モパネさんが完治したとして、どこか戻る場所はあるのでしょうか」
「ええっと、そうですね」
咄嗟にこたえられなかった。イラガは集落からモパネを連れ出したが、彼は一人で生きていけるほど大人でもなかった。誰かが面倒を見なければならない。
集落に戻すことはできるだろうか。呪われたはずのイラガでさえも、治ったのであれば受け入れようという声があった。完全に無理とはいえない。
「集落ではモパネさんを受け入れてもらえないのでしょうか」
「オサたちは『呪いをもらってきた』とか言ってましたからね、もしかすると断られるかもしれません」
「このような小さな子が住み慣れた環境から離されるのはつらいでしょう。もし、モパネさんが集落に戻りたいと望むのであれば、そのときは私も一緒に行って頼んでみましょう」
「遠いんですよ、先生。大丈夫ですか?」
イラガは少し心配そうにしたが、エリサンは何も答えなかった。
助手が部屋に入ってきたからだ。
「先生、お客様が来られております」
まだ早朝といっていい時間だが、誰かが訪ねてきたらしい。助手が「患者が来た」とは言わなかったので、仕事というわけではないのだろう。
このような来訪は失礼にあたるのだが、エリサンは門前払いすることを選ばなかった。
「わかりました」
そういって外に出てみれば、大勢の人間がエリサンを待ち構えていた。十人以上はその場にいた。武装もしている。
かなり驚いたがエリサンを捕らえに来た、という雰囲気ではない。
見知った人物もいた。
「オムさん」
「戻っていたか」
キサラの保護者であるオムだった。彼は疲れた様子であったが、エリサンの姿を見て安心したようだ。
「異端尋問にかけられそうだというから、探して連れ戻そうとしたんだがな。もうそっちのほうはいいのか?」
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